ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

震災について思うこと。

2012-03-15 14:55:15 | 日常
震災から一年が経ち、3月11日には沢山の番組や特集記事が流れた。
私は意識してあまり震災にはコメントをしてこなかった。
仙台で過ごした時期もあり、疎遠な実家や親戚や
そして大切な友人達が住む地域で起きたことだけれど
現実に私は遠く離れた場所に住んでいることが
ある種の罪悪感のように感じられていたからかもしれない。
多分私が何を感じたにしても、
当事者を100%理解することはできない、
当事者でなければわからないことを軽々にコメントできない、
という思いが強いのかもしれない。
そのもどかしさを、苦々しさを十分に感じることが
せめて私が震災を忘れない、ということなのだとも思っている。
だから他の誰かの記事に対しても、特にコメントしようとは
思っていなかった。

でも、今日は一つだけ書こうと思う。
ある人のブログで、震災から一年が経っての特集番組に対して
「どれもこれもが頑張って、大丈夫、絆・・・といったメッセージ性の強いものばかりだ。
 それは違う!もっともっと当事者に寄り添うべきだ」
と書かれていた。
確かに、「絆」の文字は溢れすぎた感じもあるし
もう十分に頑張ったのも事実だ。
何を今更頑張れというのか、と。
頑張れ、絆、大丈夫、という言葉は、こうして他人事のように遠くに住む部外者の私達が
ただ安心したいだけの言葉なのかもしれない。
でも、それでも仕方ないじゃないか、と私は思う。
仕方ないという言葉はあまりにネガティブかな。
う~ん、上手い単語が見つからないのだけれど
そういう報道・番組を特集した人達にも苦悩はあった、と信じていいのじゃないか
というニュアンスだろうか。

誰もが感じていると思う。
どう、寄り添えばベストなのか。
悲しみや辛さは理解できるのだろうか。
それが単純な「絆」という一語で処理されてしまうことに
苛立ちを感じることを。
あんな特集番組なんて違う、と批判することは簡単だ。
ならば、作らない方がいいのか。
記念式典の様子を流すだけでいいのか。
それこそ、違うと思う。
悩むメディア、紋切り型の報道しかできない幼いTV、
それでいいのだと思う。
私達は稚拙でいたらない存在なのだから
大いに悩んで苦しんで考えたらいいのだから。

今回の被災者の方への対応に答えがでるのは(行政の対応は別にして)
多分、ずっと先なんだと思う。
それほど未曾有の出来事であったのだし、
計り知れない苦しみだからだ。
だからこそ、一方的にあれはダメ、これはいい、という判断は
とりあえず横に置いてはどうだろうか。
みんなが出来る事を探して、悩んでいる。
それを確認できたら、それでとりあえず許して下さい、
くらいのニュアンスはダメなんだろうか。
甘すぎるだろうか。
やはり部外者の私には、意見は言えないと感じる瞬間だ。
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