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石井筆子と津田梅子

2008-10-11 00:10:11 | 人物

みなさん、国立市谷保(くにたちし やほ)に園内に湧水の小川が流れるみどり豊かな場所にある社会福祉法人「滝乃川学園」をご存じですか。前身は、1867年(慶応3年)佐賀藩士(現在の佐賀県佐賀市)の三男として生まれた石井亮一が1897年(明治30年)に現在の東京都北区滝野川に開設した日本で初めての知的障害児専門施設「滝乃川学園」です。1928年(昭和3年)に本館竣工と同時に北区滝乃川から国立市に移設されました。写真は左から正面入り口、保存修復工事中の本館(国登録有形建造物文化財)、聖三一礼拝堂(市登録有形建造物文化財)、園内を流れる湧水の小川の矢川です(写真をクリックすると拡大します)。

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創立者である夫の石井亮一とともにTenshi_piano_2虚弱児と知的障害児の3人の娘の母として事業の発展に尽したのが石井筆子です。私が園を知ったのは数十年前の秋の市民祭に出展しているところを眼にしてからです。その後、職員の方に本館内部や文書保管施設を見せていただきながら話をお聞きする機会があり石井筆子のことを知りました。写真は礼拝堂にある1885年(明治18年)3月に製造された日本に現存する最古のアップライトピアノ(市登録歴史資料文化財)です。正面に二人の幼児を抱いた天使の絵が嵌めこまれおり、「天使のピアノ」と呼ばれている筆子愛用のピアノです。

筆子は、肥前大村藩(現在の長崎県大村市)の家臣の渡辺清・ゲンの長女として生まれ、明治、大正、昭和の前期にかけて鹿鳴館の華として呼ばれながら男女同権思想の先駆者として女性の地位と知的障害者の向上、近代女子教育にその身を捧げた人です。19歳の時皇后の命により津田梅子らと共に日本初の女性海外留学生として約2年間フランスに留学し帰国後は梅子と共に華族女学校の語学教師となり親交を深めました。筆子が校長に就任した静修女学校は後に梅子が主宰した女子英語塾に引き継がれ現在の私立津田塾大学(東京都小平市)となります。Imgp2188 Imgp2182 津田塾大学の創立者として日本の女子教育に大きな足跡を刻みつけた女性として歴史に名を残しましたが、石井筆子の名を知る人はほとんどいないと言っても過言ではないと思います。写真は現在の津田塾大学です(写真をクリックすると拡大します)

最近の石井筆子の生涯を知る、映画、テレビ番組をご参考までに書いておきます。

その時歴史が動いた「母の灯火(ともしび)小さき者を照らし」 (NHKテレビ)

無名の人~石井筆子の生涯~  (映画)

筆子・その愛ー天使のピアノー    (映画)

滝乃川学園 ホームページ)


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