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暑気払い(旧岩崎邸庭園~上野精養軒ビアガーデン)

2010-08-30 14:31:47 | 日記・エッセイ・コラム

8月24日に学生時代の友人仲間による例会(歩喜の会)で台東区池の端の旧岩崎邸庭園~上野精養軒の屋上ビアーガーデンで暑気払い。

Imgp8297 Imgp8294 今もどっしりとした石造りの袖塀が残る旧岩崎邸庭園は明治29年にジョサイア・コンドル(鹿明館、上野博物館、ニコライ堂等を設計)が設計した三菱財閥の創設者岩崎家の本邸です。往時には15000坪の敷地に20棟の建物が並んでいましたが第2次大戦後GHQに接収されて返還後は最高裁判所司法研修所等に利用されていました。昭和36年に洋館とビリヤード室が国の重要文化財に指定され東京都が管理する旧岩崎庭園として一般公開されました。

Imgp8256 Imgp8269 Imgp8276 木造2階建ての洋館と洋館と結合した書院造りを基調とした和館。洋館と地下でつながっているスイスの山小屋風のビリヤード室があります。岩崎弥太郎は同じ土佐藩で坂本龍馬の知遇を得て海援隊の会計担当として土佐の材木商で得た資金で龍馬を資金的な支援をした人物。維新後海運業、輸送業で財をなした三菱財閥の創業者です。現在NHKテレビで放映中の人気番組「龍馬伝」の岩崎弥太郎への関心から訪れる人が増えているようです。Imgp8259 Imgp8264 洋館と手水鉢・灯篭・庭石・築山を設けた大名庭園の形式を取り入れた芝庭等から構成された和洋併置式の邸宅建築です。坂本龍馬が生きていたらここでどのような話をしたのでしょうか?Imgp8267 Imgp8273_3 Imgp8271

1時間ほど見学してから創立100周年の幕がかかる黒門小学校近くの喫茶店で休憩。不忍の池を見下ろす高台にある上野精養軒に5時30分に到着。3階の屋上ビアガーデンに上がってびっくり! 眼下に広がるハスに埋まった上野不忍の池と水上動物園の眺望がすばらしい。ビルに沈む夕日とどこかなつかしいハスの匂いを嗅ぎながらビールで乾杯!涼しい風が吹き抜けます。Imgp8299 Imgp8318

事前に3000円の料理を予約して置くと眺めの良い席が確保されます。飲み物は別で2400円で飲み放題(2時間)。料理は本業の西洋料理店の味付けのメニュです。なお、ビアガーデンの営業は9月12日までです。

Photo Photo_2 ご参考までに上野精養軒は明治5年4月創業。元勲三条実美、岩倉具視卿の援助を受けて東京府築地に西洋館ホテルを創業。精養軒ホテルに改称して明治9年に現在地に上野精養軒を開業。西洋料理の老舗として文明開化の頃は各界の名士が馬で来店したり夏目漱石の「三四郎」にも登場します。元祖ハヤシライス(1360円)の発祥店と聞きましたが、山口瞳のエッセイで日本橋の丸善のレストランが元祖と書いたあったと記憶しています。どちらが元祖なのでしょうか。上の2枚の写真の左は現在、右が明治の創業時の上野精養軒(出典:角川書店 よみがえる明治の東京より)です。

不忍の池で競馬が開催されていたことをご存知でしょうか?明治17年(1884年)~明治23年(1890年)に上野不忍池で開催された競馬の絵です。Imgp6830 Imgp6833 Imgp6836_2 左の絵は明治17年に明治天皇が伊藤博文を伴って天覧した時のとても華やかな絵です。真ん中の絵の森の中に上野精養軒と思われる建物が描かれています。上野公園界隈は下町のイメージがありますが明治の文明開化の上層階級の社交場でもあったわけで、興味深いことです。絵はJR府中本町駅から東京競馬場(府中市)へ向かう連絡通路にあるパネルの絵をデジカメで撮ったものです(すべての写真はクリックすると拡大します)


三鷹阿波おどり

2010-08-23 21:35:42 | 伝統・文化

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「阿波踊り」は約400年前に徳島藩主(蜂須賀)の徳島城落成のお祝いに踊ったのが始まりです。鳴り物(三味線、太鼓、鉦、横笛)のリズム(2拍子)に合わせて 「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄いながら手と足、腰を使った短い動作の踊りを繰り返しながら歩きます。

三鷹の参加連の踊り手は20代・30代の男女が目立ちます。全体的に女性が多いのは男性が担ぐ御神輿とは違い「参加連」と言う踊りのグループで練習して参加できること、粋なゆかた、ハッピの衣装と踊りの手軽さ、楽しさのためだと思います。Imgp8164 Imgp8140 Imgp8134_3 Imgp8151_3 Imgp8155_3 Imgp8170_2 

日本の三大阿波踊りは徳島、高円寺、南越ケ谷の阿波踊りだそうです。私が住んでいる国立市にも練習グループができて昨年の市民祭で踊ったそうですが見逃しました。阿波踊りが閉そく感が漂う日本の社会に元気を与えるお祭りとして各地に広がると楽しいですね。

徳島県(旧・阿波の国)徳島市では2010年8月12日~15日の4日間で観客数約135万人。高円寺東京阿波おどりは今年で第54回(8月28日・29日)を迎えます。1957年(昭和32年)の夏、商店会の青年部誕生の記念行事のイベントとして誕生。2000年(平成12年)は2日間で参加連70、踊り手7000人、観客数約120万人です。南越ケ谷阿波踊りは今年で26回(8月20~22日)。第1回1985年(昭和60年)参加連24、観客数約3万人が現在は約60万人と言われています(すべての写真はクリックすると拡大します)


クヌギに集まる虫

2010-08-18 16:36:45 | 生き物

家の近くの大学構内にこの時期になると虫が幹から染み出した樹液を吸いにやって来る大きなクヌギの樹があります。Imgp7876_3 Imgp1112_2 Imgp7859 この場所を虫かごを持った子どがときどき見に来ます。樹液は根元近くに染み出していたのですが今年は2mぐらいの高さの場所から染み出しています。昨年はかなぶんとかぶとむしがいました(真ん中の写真)が今年はかなぶんに加えてこわいスズメバチとみかけないちょうちょうがいました。通りすがりの学生が「おおごまだらちょう」ですよと教えてくれました。自分の故郷でも見かけるので珍しいなぁ・・・と気になって見ていたそうです。

ネットで調べてみると「ごまだらちょう」は国蝶オオムラサキの近縁種。幼虫はエノキを食樹として育ちクヌギの樹液を橙色の口吻(くちばし)で吸う。種類も「おおごまだら」、「あかぼしごまだら」、「あさぎごまだら」等いろいろです。クヌギのちょうは羽に赤い斑紋があるので「おおまだらちょう」ではなくて「あかぼしごまだら」だと思います。Imgp7821 Imgp7842 Imgp7825 日本国外では、ベトナム、中国、台湾、朝鮮半島まで分布する典型的な外来生物昆虫マニアによる人為的な放蝶(ゲリラ放虫)で特定地域に突発的に発生することもあり要注意外来生物に指定されています

樹液の染み出し口は数匹のかなぶんが占拠しています。その周りをうろうろして空席のチャンスをうかがっているスズメバチ新参者のあかぎまだらはすこし離れたところからチャンスをうかがっています。しかし樹液に近づくとスズメバチに追い払われてなかなか近づけませんごまだらちょうは悪臭があり体液に辛みがあって鳥に捕食されるこが少ないためスズメバチが匂いを嫌ったのでしょぅか?

いずれにしても人間世界と同様虫の世界も生存競争が激しいようです。昨日の午後あぶら蝉が玄関に落ちていたので拾うと生きています。クヌギの樹にとまらせると動き出しました。3時間ほどして見たらかなり上にいました。今年は蝉の鳴き始めが遅かったような気がします。今を盛りに泣いています。残暑厳しき折、蝉の鳴き声を聞きながらブログを書いています。

コツコツとブログを始めて8月12日で丸2年。アクセス数は1万を超えました。ほぼ週刊のマイペースですが生活のリズムのなかで書けるようになりました。これからもお暇な時にでもご覧いただけたら幸いです。ありがとうございました(すべての写真はクリックする拡大します)


信州白馬村、小谷村旅行(その三 大出のつり橋、小谷温泉)

2010-08-13 13:27:17 | 旅行記

Imgp7551 Imgp7554 暑い舗装道路を避けて遠回りですが地元のまちづくり友の会(東八会)の人々が整備した遊歩道「詩の小径」を歩くことにしました。小さな流れの木流川に沿った小路を行くと植樹した並木に木札に書いた俳句や川柳を掲げていました。自由に投稿できる投句箱も置いてあります。川のせせらぎと涼しい風に吹かれながら小休止。汗が引いたところでさらに歩くと姫川が見えて来ます。ニジマス、ヤマメ、信州サーモンの養魚場がありました。この先の舗装道路に出ると大出の吊り橋です。

Imgp7566 Imgp7570 Imgp7575 白馬三山をバックにした景観は観光ポスターにも採用されているビューポイントです。橋の入り口の吊り橋茶屋で暇そうにテレビを見ている店主にビン牛乳を注文。喉をうるおし、近くのふれあい広場へ。姫川の流れを前にして白馬三山をバックに吊り橋を撮りましたが残念ながら山並みがもやってぼやけてしまった。この時期この時間ではしかたがないとあきらめて散策路になっている山道を登って行くと小さな喫茶店「カミニート」がありました。Imgp7580 Imgp7598 Imgp7594 Imgp7582_2 Imgp7585_2 Imgp7595 Imgp7604 自作の熊避け木製拍子木。ひとつ借りて鳴らしながら山道を歩き姫川にかかる押込の吊橋にある所定の場所に返して置く決まりです。吊り橋を渡りお休み処かっぱ亭の前を通って白馬駅に戻りました。白馬駅発5時20分の最終バスで栂池高原のホテルへ。今日は汗をふきふき良く歩いたというよりもよく歩けたなあ!と思う1日でした。

翌日は栂池高原発9時15分の雨飾高原行きバスで小谷温泉山田旅館前まで約1時間。山田旅館は標高850mの山間の湯治の温泉です。Imgp7609 Imgp7671 Imgp7676 温泉の質の良さと江戸期に建築された木造旅館は国の登録有形文化財です。ちょどう着いた時分がチャックアウトが済んだところでとても静かな雰囲気でした。宿泊客は多分数組ぐらいです。Imgp7690 Imgp7687 温泉はドイツの温泉博覧会に日本を代表する温泉(別府、登別、草津、小谷)のひとつとして内務省特選で出泉した名湯。今もそのことが建物に刻まれていました。

源泉かけ流し100%のやや熱め(42度)ですが我慢して入ると肌にぬるっとしたなめらかな感触が残るやわらかな温泉でした。Imgp7654 Imgp7646 Imgp7630 Imgp7669 午後3時ごろになると宿泊客の声が聞こえて廊下を歩く音がミシミシと聞こえて来ます。部屋は鍵なし隣室との境は襖の開放的な雰囲気の宿です。部屋代、昼食、入湯費の合計2100円でした。

午後3時35分のバスで大糸線南小谷駅に出て帰路に着きました。やなば駅あたりの車中から見た仁科三湖(青木湖、中綱湖、木崎湖)あたりです。きれい!と言う声に窓を見ると雲間から陽が射し込んだ湖が輝いていました。Imgp7713_2 Imgp7726_2 Imgp7721 (すべての写真はクリックすると拡大します)


信州白馬村、小谷村旅行(その二 青鬼集落)

2010-08-07 20:23:36 | 旅行記

2日目は千国街道「塩の道」をすこし歩いて今回の旅の楽しみにしていた日本の棚田百選認定、伝統的建造物保存地区に指定されている白馬村の山村「青鬼集落(あおにしゅうらく)へ行きました。Imgp7510_2

昔から塩は貴重な生活必需品です。塩を運ぶ道「塩の道」は生活の道、文化の道でもあり日本各地の塩の産地と消費地を結ぶ交通路として重要な役割を持っていました。信州松本藩の塩の主要な移入ルートのひとつは、太平洋側の三河湾沿岸から三州街道経由、駿河湾沿岸から富士川舟運や甲州街道経由、尾張名古屋方面から中山道コースから来る「南塩」。もうひとつは、日本海側の糸魚川近郷、能登さらに瀬戸内海沿岸の塩が糸魚川から上がって来る「北塩」です。この北塩を運ぶ千国街道(糸魚川街道、大町街道)は代々大町の人々は「塩の道」と呼び鳴らして来ました。特に街道筋は石仏も多く、昔の面影を色濃く残しています。春と秋には小谷村で塩の道ウォークのイベントが開催されています。

栂池高原駅からバスで岩岳スキー場前で降りてImgp7484 Imgp7498 Imgp7486 Photo 千国街道をしばらく周りの景色を見ながら歩くと「観音原石仏群」の案内板がありました。横道を入ると杉木立に囲まれた方形の広い芝生を囲んでたくさんの石仏があります。西国三十三番、坂東三十三番、秩父三十四番を合わせた百体(百番観音)完全に揃い、八十七体に及ぶ石仏と馬頭観音を含めると合計百八十七体の石仏です。Imgp7488 Imgp7493 Imgp7487 馬頭観音は 当時多くの旅人が険しく辛い行路の安全を祈ったのでしょう。他に人影もなく蝉の声しか聞こえません。椅子に座っていると石仏から受ける和やか表情とともに景観からちょっと異次元の世界にいるような特異な雰囲気を感じます。

さらに下ると国道148号線に出ます。角のコンビニ(セブンイレブン)で買い物ついでに青鬼集落までの道と所要時間を尋ねるととてもこの暑さの中では歩いては行けないことが分かりました。ここからタクシーを利用することにしました。曲がりくねった山道を登ること約10分で集落入口の駐車スペースに到着。急な山道を歩かなくて良かった! 熱中症になったかもしれません? 帰りの信濃森上駅までで往復のタクシー料金は3500円でした。

Img_0002 Imgp7502 Imgp7505 Imgp7508 Imgp7519_2 Imgp7515 汗をふきふき歩いていると昭和の初期まで米搗きに使ったガッタリを復元したものがありました。ガッタリも棚田の水も江戸時代に造られた農業用水路が今も使われています。

小高い所にある江戸時代の神殿が残る青鬼神社を横目で見ながら登って行くと石垣で形成された約200枚の棚田が広がります。Img_0004 Img_0011 Img_0012 奥まで登って振り帰ると集落の屋根越しに(願わくば萱葺を覆っているトタン覆いがなくなるともっとすばらしい町並みになると思います)北アルプス白馬三山の雄大な景観が望めます。秋と冬はもっと素晴らしいと思います。棚田の石垣の上の石仏とちょうちょうが舞う花です。Imgp7535Imgp7528  「この先 熊に注意」の看板を見て立ち止り。しばし木陰で水分補給とコンビニで買ったパンで昼食休憩。棚田を眺めながら無為な時間を過ごします。炎天下で農作業する人がいます。除草をした草を燃やしていました。ちょうど2匹のちょうちょうが戯れていたのが眼にとまり慌ててコンパクトデジカメのシャッターを押しましたがブレてしまいました。見ようによってはその場のリアルな感じがしないでもありません。Imgp7543 Imgp7544 Imgp7545 Imgp7546 白馬紫米という古代米の一種が青鬼地区で栽培されるようになりお米はもちろんおかきや大福に加工しておみやげ物として白馬駅で販売されています。集落内に直売所のような建物がありましたが閉まっていました。路線バスも自販機もない集落です。Imgp7540 Imgp7504 日本の山村の原風景がきちんと残っています。生活が息づいています。 季節を変えて再訪したい所です。車で来る見学者の駐車や写真撮影でトラブルがあったと帰りのタクシーの運転手から聞きました。信濃森上駅で45分のホームでの待ち時間。吹き抜ける涼しい風に吹かれて白馬駅行きを待ちます。次回は白馬村の大出の吊り橋で有名な大出地区と湯治の宿小谷村温泉山田館です.。木造の当時の建物が国の重要文化財です(すべての写真はクリックすると拡大します)