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春告魚のメバル(眼張)

2011-02-27 16:56:14 | 食・レシピ

家内がお隣の島崎さんの奥さんからメバル(眼張)を二匹頂きました。Imgp2267 ご主人が新潟に出かけた時のお土産です。海の生魚を頂くことはほとんどないのでちょっとびっくりすると同時に有り難く頂戴しました。島崎さん家族はご夫婦にお子さんが3人(二人は会社員、一人が大学生です)の5人家族です。この辺りではお子さんと同居されている家族は非常に少なくなりました。、

メバルをネットで調べるとメバルの名は目が張りだしていることからつけれました。カサゴ目、フサカサゴ科のメバル属に分類されクロメバル、ウスメバルヤナギメバル、トゴットメバル、キツネメバル、タケノコメバル、エゾメバルなど種類が多いうえ呼び名も地方によって違う。頂いたメバルは赤色の地に黒みがかった褐色の文様から「ウスメバル」だと思います。船での一本釣りは水深70m、餌はホタルイカ。旬は春。早春の船釣りはメバルから始まるため「春告魚」とも呼ばれ北海道南部から青森から新潟の日本海沿岸、東京、駿河湾、九州鹿児島まで全国各地で釣れます。

メバルの料理でまず頭に浮かぶのは煮つけです。Imgp2280 Imgp2265 煮つけ以外では塩焼き、唐揚げ、刺身ですがメバルと言えば煮つけ。今夜の夕食は煮つけに決定。見た目は良くありませんが美味しく頂きました。ちょうど5歳の孫娘が来ていたので海の生魚を見せるいい機会と思い見せて触わらせ匂いをかがせました。絵を描くことが好きでメバルの絵をさっと書いてくれました。背びれと、尾びれが閉まった状態になっているのですこし形がスマートになっています。魚の向きが右を向いています。なぜでしょうか?・・・・

Imgp2326 Imgp2340 Imgp2330 大学通りのオオカンザクラ(寒桜)と桜守が樹勢回復(害虫予防と肥料用)のための桜の根の回りに植えている菜の花が咲いていました。今日は自転車で立川までいきましたが汗ばむほどの陽気。 これからの季節は自転車が快適です。5月に友人とマイ自転車持込みで田舎にサイクリングをしようと相談しています(すべての写真はクリックする拡大します)


国立駅から見える冬の富士山

2011-02-22 14:18:28 | 日記・エッセイ・コラム

Imgp2153_2 Imgp2138 国立駅は工事を契機に市が中心となって国立駅周辺開発整備計画(仮称:森の駅構想)を作成して詰めています、三角屋根の駅舎の復原、駅前広場の整備、隣接市有地の活用、高架下の活用、周辺道路の整備による100年に一度の「エポックメーキングな駅周辺のまちづくり」と言う重要な課題を抱えています。駅本体の工事はあと2年ぐらいで完了しますが駅前周辺の開発整備はあと5年~10年ぐらいはかかるのではないでしょうか。

Imgp2149_2 Imgp2143_2 高架になったお陰で国立駅のホームから富士山が見えるようになりました。上りホームは立川駅寄りの最後部、下りはホームの先頭です。Imgp2159_3 Imgp2167 特に冬晴れの朝は秀麗な富士山が見えます。東京の駅のホームから富士山が見える駅は他にありますか。国立駅は「富士見駅」をキーワードして何か楽しいことを考えてPRすると知名度が高まるかも知れません。思いつきですがJR中央線の駅から富士見百景なんかどうでしょうか。ホームにカメラ愛好家が集まると危険ですが・・・・

富士見〇〇と言う地名は沢山あります。国立には富士見通り商店街と富士見台団地があります。地理的、地形的にもともと町中から富士山が見える土地です。Imgp2194 2枚のImgp2190 写真は夕方の富士見通り商店街の奥に見える影絵のような富士山です。朝日に輝く富士山、夕陽のシルエットの富士山。富士山を見ながらのショッピング。どちらもきれいです(写真はクリックするとか拡大します)


屋久島のタンカン

2011-02-16 22:57:38 | 通販・買い物

Imgp2031_4 Imgp2055_4 気になるほど強い酸味は感じませんでしたが家内は少し酸味が強いと言っていました。今年は気候変動と収穫直前にムクドリの群れに襲われ、急遽収穫をしたため大分減収になったそうです。

明石さんのレターによるとタンカンは「ポンカン」とネーブルオレンジ」の自然交配種で、原産地は中国の広東省と言われています。Imgp2036_5 Imgp2053_3 日本のタンカン生産は鹿児島県が最も多く、沖縄で古くから生産されていました。屋久島は気候風土に恵まれ、手厚い栽培環境づくりによって果肉もやわらかく高い香りと糖度によって高品質のタンカンが生産されています。温州ミカンの2倍のビタミンCが含まれています。果肉だけでなく果皮も食や美容に利用できます。平成21年に屋久島の地域ブランドになりました。タンカンが店先に出回るシーズンです。品薄かもしれません。手に取って味わってみてはいかがでしょうか。

今日の昼間は3月上旬の気温です。Imgp2061_4 Imgp2059_2 Imgp2024_2 Imgp2075_4 季節はめぐり春はそこまで来ています(写真はクリックする拡大します)


吉野梅郷(青梅市)

2011-02-12 12:57:32 | まち歩き

昨日から東京の西郊ここ国立(くにたち)は雪です。大学構内のテニスコート、落ち葉が真白です。先Imgp1860_2 Imgp1862 週の1日暖かい天気に誘われて多摩の梅の名所吉野梅郷(青梅市)を散策してきました。 JR青梅線立川駅から青梅駅で奥多摩行きに乗り換えて2つ目の日向和田駅下車。青梅街道を渡るすぐの神代橋から眼下の多摩川の清流と梅園が見渡せて気持ちがすっきりします。農協の直売所では蕗の薹の鉢植え、地元産こんにゃく、原木植菌シイタケ、卵、新鮮野菜とならんでおかみさんがつくった梅ジャム、柚子ジャムが沢山並んでいました。

Imgp1870 Imgp1863 Imgp1869 吉野梅郷は日向和田駅から二俣尾駅まで多磨川の南側、吉野街道沿いに東西4Kに広がる梅の郷。梅の公園に行く途中の神社の梅の古木にチラホラと咲いていました。お願い地蔵にお参り。中心の梅の公園は丘陵地の斜面に120種1500本の梅が咲き誇る公園です。Imgp1893 Imgp1874 梅はまだ蕾。山の頂上まで登り東屋(あずまや)でひと休み。早咲きの紅梅が咲いていました。暖かいので遠くの山並みと民家を眺めているとほのかな梅の匂いがします。今年の梅まつりは2月19日~3月31日で例年の見頃は3月上旬から中旬と管理人が話していました。 いつもは吉川英治記念館経由でおとなりの石神駅まで一駅を歩くのですが今回は花より団子ならぬお蕎麦がお目当てです。

Imgp1911 Imgp1907 梅の銘木・古木やオープンガーデン(梅の木のある自宅の庭を開放している家)の民家の梅を見ながらの歩いていると蝋梅(ロウバイ)の木があります。蝋梅の名は「花の色が蜜蝋に似ているとか」、「蝋細工のような、梅に似た花」からなったとか諸説があるようです。 花の少ないこの季節に黄色い花のいい香りがします。

Imgp1927 Imgp1941 吉川英治記念館の近くに手打ちそば「梅の内(めのうち)」があります。散策路から奥まったところにある隠れ家のようなお蕎麦屋さんです。2時ごろに入店して天もり(1300円)と食前酒梅酒(200円)を注文。サービスに柚子ジャムがつきました。フキノトウ、ウド、カボチャ、梅干し、エビのカラッと揚げた天ぷら。時間はかかるが手打ち蕎麦は美味しい。蕎麦湯も飲みやすい味でした。

Imgp1961 Imgp1940 閉店まじかで一息ついたご主人とすこし話をしました。お店はご主人が前に住んでいた古民家です。関西から引っ越してきて定年退職後に東京の蕎麦打ち教室で修業して開業。蕎麦打ちの話しをしながら今日の蕎麦は茨城産常陸秋そばの9割そば。僕が食べたのはモンゴル産100%の生粉打ちそば(つなぎは使いません)。Imgp1957 ときどき蕎麦粉は国産品とブレンドすると味を香りが違うそうです。1日80食が体力的に限度で売り切れた時に終了。午前11時30分~午後3時 定休日毎週月曜日・火曜日です。観梅時期の2月1日~3月31日は毎週月曜日が定休。Imgp1966_3 Imgp1922 写真は散策路と農協直売所の梅ジャムと柚子ジャムの小瓶1個350円ですImgp1975_4  (すべての写真はクリックすると拡大します)


夏目坂

2011-02-06 17:28:08 | 人物

Imgp1826 Imgp1807 夏目坂は夏目漱石が生まれた家の前の坂道です。ときどき某財団の会議のある時の下車駅が地下鉄東西線早稲田駅。2番出口を出て漱石の実家があった夏目坂を歩いてみました。漱石の家は江戸名主で町奉行の支配を受け町年寄りの下で民政を行っていた、江戸の町人の水準からすると相当の収入と権力のあった家柄で、明治になってからも漱石の父が区長を務めたりして羽振りの良い生活をしていました。

漱石は慶応三年(1867年)1月5日生まれ。漱石は雅号で本名は夏目金之介。夏目小兵衛直克の先妻ことが生んだ二人の姉と後添の母の千枝が生んだ六人兄弟Imgp1829 Imgp1828 (五男一女)の末っ子。生まれて間もなく里子に出された後の三歳から小学校の八、九歳まで名主の塩原昌之助の養子に出されて成長しました。後年復籍の問題で父と養父との間で戸籍、養育料などでごたごたが続いた。漱石にとって塩原夫婦の手元に置かれていたら今日の漱石はどうなっていたのか分からないと愛弟子の小宮豊隆が著書「夏目漱石(上)」で書いています。夏目坂の酒屋小倉屋の裏手に石碑があり、夏目漱石生誕之地と刻まれています。

Imgp1837 Imgp1842 実家は江戸牛込馬場下町(新宿区喜久井町)にありました。場所は夏目坂下の小倉屋という酒屋の裏手にあって小倉屋の娘の長唄の稽古を聞いていたと草枕の中で書いています。写真の小倉屋は昔「堀部安兵衛が高田の馬場で仇を討つ時に、ここへ立ち寄って枡酒を飲んで行った酒屋」。吟醸清酒「堀部安兵衛」、「夏目坂」のポスターを掲示していました。小倉屋の右端に漱石生誕之地の黒い石碑が見えます。

Imgp1988_2 Imgp1984_2  明治11年(1878)の内務省地理局から発行された「実測東京全図」で見ると左下に牛込喜久井町の町名があります。町名に沿った道が夏目坂。「硝子戸の中で」父親がかって門前町の名主をしていた誓閑寺、西方寺、来迎寺のある裏手一帯は深い竹藪で覆われていて田んぼに荒れ地が散在する寂れてさびしい町で実家の近所には棒屋、鍛冶屋、豆腐屋屋、やっちゃ場、一膳飯屋があったことから実家のあたりの様子が感じとれます。

漱石は大正5年(1916)12月9日に死亡(享年49歳)。小説は亡くなる10年ほど前40歳の時に朝日新聞社に入社してから本格的に小説家として書きはじめました。漱石の本を読むと今は使われていない難しい漢字が沢山出てきます。注解を読むことは面倒なことですが、漢字が読めるようになると表現が豊かになります、情景がはっきりと眼に浮かんできます。

クラレ会長の和久井康明氏が日経新聞のインテビュー記事で「漢字の使用制限撤廃と国語の授業時間数増で読む力を中心に国語力を高めること」を提案しています。Imgp2002 政府は昨年常用漢字を見直し、2136字に増やしました。しかし、漢和辞典には5万語が載っている言われています。確か難しい漢字は読めても書くことは難しいです。今は電子辞書やパソコン、携帯電話で読めさえすれば意味や書くこともできます。読めると語彙が増え、読解力が身に付く。論理的な思考力も深まる。本好きが増える。教科書もより理解できる。。携帯世代に適しているかもしれない。個人的に賛同するところ大です。日本語の基本が身につかなくて英語教育もなにもありえない筈です。日常会話での日本語の乱れは耳を覆いたくなります。猫の写真は新聞の文化欄に載っていた漱石の描いた鉛筆画の猫のデッサン(熊本近代文学館蔵)です。Imgp1847 夏目坂は写真の出口2番が便利です。案内地図の下に見える弁天町の横の小さな緑のところが漱石山房のあった所で漱石が亡くなった住まいの跡です。今は漱石公園になっています(写真はクリックする拡大します)