昨日の新聞に以下のような記事が掲載されていた。
古都・京都の夏の風物詩として知られる「五山送り火」の一つである左大文字で、地元住民らでつくる保存会が今年から、男系のみとする世襲制の会員資格を女系の男子にも広げるよう改めた。少子高齢化に伴い会員が先細りする見通しのためで、伝統行事の後継者育成に取り組む。
観光学FW「初夏の京都を歩く」で、アイスクリーム休憩をした琵琶湖疎水の夷川発電所から「五山」のひとつ、東山の如意ヶ嶽の「大」が見えた。
「Photozou」より。東山の如意ヶ嶽の「大」
今日はまさにその「五山送り火」の日で、午後8時になると、写真で生徒2人が指をさしている如意ヶ嶽の「大文字」(下の地図A)に点火され、その後5分おきに「妙」(B1)「法」(B2)「船形」(C)「左大文字」(D)「鳥居」(E)と、「東」から「西」の順番で点火される。
ちょうど地図で表現するとこうなる。ここで注意したいのが、京都における「左」と「右」の呼び方についてである。下の地図は見にくいので是非とも拡大をクリックしてね。
拡大
五山送り火の位置.jpg
【地図の説明】
〇赤の四角が「平安京」。桓武天皇794年に遷都建設され、平安時代には、天皇や貴族、庶民など12万人ぐらいの人口が住んでいた。
〇その東の「極み」ゆえに阪急河原町駅近くには「新京極(しんきょうごく)」、西の「極み」には「西京極駅」がある。
〇「天皇」がいる「平安宮」前に南北メインストリートの「朱雀大路」があり、これは現在の「千本通」にあたるが、だいたい南北に走る山陰本線と同じルートだ。
〇もともと「平安宮」に「天皇」は住んでいたが、火災などの緊急避難用に「裏内裏(うらだいり)」と呼ばれる場所があり、これが「現在の京都御所」である。
〇14世紀の「南北朝時代」、「北朝」の天皇がこの「裏内裏」に住んでおり、1392年の南北朝統一後もここに住んだので、「現在の京都御所」が正式な皇居となった。
〇赤字「観」の〇が「琵琶湖疎水夷川発電所」。女子生徒はここから「A=如意ヶ嶽」の「大」を指さしていた。
〇有名どころを青字で示した。「清=清水寺」「銀=慈照寺銀閣」「植=京都府立植物園」「金=鹿苑寺金閣」「嵯峨野」。
〇「妙=B1」「法=B2」ちかくの「宝ヶ池」には、国際会議が開催される国際会館がある。年末の高校駅伝のコースは、スタート地点が「西京極」で「宝ヶ池」が折り返し地点。このあたりは「岩倉」という地名もあり、幕末に「岩倉具視」も一時住んだ「実相院」は、黒い床に紅葉が写る「床紅葉」で有名。
さてここで注目してほしいのが「左京区」「右京区」の位置である。
地図で見ると「左=西側」に「右京区」、「右=東側」に「左京区」があり、「これっておかしいやん」と思ったことはないか?
京都の「左」「右」は、常に南を向いた「天皇」目線で決まると覚えてといてほしい。
中国では昔から「天子南面」の習慣があり、それを真似した日本も「天皇の住む平安宮内の大内裏」を北の端につくり、「天皇」は南を向きながら政治をとった。ゆえに「天皇」目線では、地図の「左=西側」が「右京」で、「右=東側」が「左京」となる。
ここでまた面白いのが、「五山送り火」のひとつ「左大文字」(D)である。地図で見ると「D」は京都の「西側」にあるように見えるので「右」のはず。なのに「左大文字」。
これも「天皇」目線で考えればいい。「天皇」の住んでいる場所から北にある「D」を見ると「左」にあるから「左大文字」なのである。
なるほど京都は奥が深い。
最後に、
[京都五山送り火連合会]のホームページを参考に「五山送り火」の簡単なプロフィールをつくってみた。
生徒諸君の中に見に行く人がいたら、単に「あっ、キレイ」だけでなく、その意味も理解して京都観光を楽しんでほしいものだ。
〇祇園祭と並び京都の夏を彩る風物詩。
〇盆の翌日に行われる伝統行事であり、再び「死後の世界」に帰る精霊を送るという意味をもつ宗教行事。
〇この行事が一般に広く行われるようになったのは、仏教が庶民の間に深く浸透した鎌倉から室町時代以降であるといわれている。
〇五山にそれぞれの歴史が伝えられているが、その起源には平安初期、室町中期、江戸初期ではないかとさまざまな俗説があり、どれ一つとして明らかな説はなく確かな記録も残されていない。
〇「妙」「法」は2つの山であるが、1つの山と1つの字として扱われる。
〇地元の寺のメンバー(檀家)が代々そのノウハウを受け継いできた。「送り火」は地元の人々によって数百年間も支えられてきた宗教行事である。
最初に紹介した新聞記事は、その「地元の人々」が少子高齢化などで将来「送り火」ができなくなるかもわからんと危惧して、本来「男系」男子のみで受け継いできた行事を、「女系」男子も参加してもええことになったという意味。
「送り火」のために「地元の人々」は、大量の薪(まき)をその場所まで運ぶ重労働、「送り火」に点火してその火をコントロールするときの暑さをものともせず、今まで頑張ってきたが、将来のことを考えて「左大文字」は「女系」男子の参加を決意したのだろう。これで2人のメンバーが加わるという。
地元の寺のメンバーを「檀家」という。その寺に先祖代々のお墓があり、地元の寺を経済的にも行事的にも支えてきた。
その「檀家」の男子「A」、そして男「A」の男の子供「B」、男「B」の男の子供「C」。男「C」は「男系」男子である。
男子「A」の女の子供「D」、女「D」がその家と関係のない男子との間に生まれた男の子供「E」。この男「E」は、その家にとっては「女系」男子である。
「左大文字」の会員資格が「男系のみとする世襲制」で今まで続けられたことに驚くが、「女系」男子も認めようとする動きは今後他の山でも広がるのではないかと思う。
上記のように「五山送り火」の運営には「女」は参加できない。そういえば「祇園祭」でも、本番の「山鉾巡行」は「女」はお囃子や引手として参加はできない。
本校の男女比率は約「3:7」。このブログを読んだ現在の1・2年生女子で「なんで女はあかんの」「そんなんおかしいやん」と思った人は、ぜひ3年生「卒業論文」のテーマにして、その疑問を追究したらどうかと提案したい。