連日アップしている「生徒に見てほしい映画」シリーズの第12弾は、沖縄を舞台にした『涙そうそう』(2006/TBS)。「なだそうそう」と読む。以下そのプロフィール。[Yahoo!映画]より。
那覇で自分の店を持つことを夢見て働く兄の洋太郎(妻夫木聡)のところへ、高校に合格した妹のカオル(長澤まさみ)がやって来て同居することになった。やがて資金が貯まり店が開店を迎えようとしたとき、洋太郎は詐欺に遭って莫大な借金を背負ってしまう。それでも洋太郎はカオルを大学に進学させるために必死に働くが……。
○この映画に関しては話の筋がどうのこうのというより、南国沖縄の美しい風景や独特のイントネーション、「レラ抜き」の沖縄音階、沖縄に住む若者の様子、台風対策のコンクリートの家、咲き乱れるハイビスカス、ひなびた離島の古民家、沖縄観光定番の那覇の国際通や牧志公設市場、北谷(ちゃたん)のアメリカンビレッジなど、映画に登場する「沖縄らしさ」を楽しんでほしい。特に来年の冬、沖縄に修学旅行に行く2年生は事前学習の一環として気軽な気持ちで見てほしい映画だ。
○冒頭の「牧志公設市場」や「市場本通りのアーケード」のシーンでは、柴島に転勤した年度の2003(平成15)年1月、27期生修学旅行に付き添って永遠2時間も「これ以上向こうに行ったらアカン」的立ち番をした「牧志公設市場」入口あたりの雰囲気が思い出されて、思わず身を乗り出して画面を見ていた。アーケードの喧騒も人通りもなくなった時に、どこからともなく三線の音色が聞こえてきて「あー、沖縄に来てるなあ」と修学旅行の付き添いとはいえ、南国の旅情に魅了された幸せなひと時だった。
○また「妻夫木聡」や「長澤まさみ」のファンも必見。特に当時18歳ぐらいの「長澤まさみ」がむちゃくちゃかわいい。50代後半の自分でさえ年甲斐もなく「ああ、俺もこんな妹がおったらもっと頑張っとったやろなあ」「俺にも『にぃーにぃー』と呼んでほしい」「成人式にはヴィトンのカバンなんかプレゼントしてたやろな」と映画の途中で「胸キュン」状態になったぐらいである。(これって死語?)
○「なんくるないさー」(なんとかなるで)の「なんくる」を「妻夫木」は自分の店の名前にするなど、沖縄方言(ウチナーグチ)が随所に出てくる。自分が一番好きな沖縄方言は「てーげー」(適当)で、ほんまに正真正銘骨の髄までウルトラ「適当」なんや、でもなぜか微笑ましいと思わせるすごい言葉だ。
○映画の書き込みなどを見ると、2人の沖縄方言のイントネーションは今ひとつらしい。そういえば映画で沖縄出身と思われる俳優のイントネーションは、やっぱり自然やったかもなあ。いっそのこと「沖縄出身オールスターズ」みたいな配役で、徹底した方がよかったかもしれない。今から10年前なんやから妹役に「新垣結衣」とか(というか若い俳優は彼女しか知らない)。
○「妻夫木聡」&「長澤まさみ」が演じる兄妹の名字が「新垣」、「塚本高史」演じる友人が「島袋」、「麻生久美子」演じる恋人が「稲嶺」と、沖縄らしい名字が登場する。
沖縄県の名字ランキングは以下の通り。「マイナビニュース」より。
①比嘉(ひが) 日本の「比嘉」さんの95%が沖縄に住んでいる。
②金城(きんじょう かねしろ かねぐすく) 「金城(きんじょう)綾乃」(Kiroro)
③大城(おおしろ おおき)
④宮城(みやぎ みやしろ)
⑤新垣(あらがき にいがき) 「新垣結衣」「新垣渚」(ヤクルトスワローズ)
⑥玉城(たましろ たまき) 「玉城(たましろ)千春」(Kiroro)
⑦上原(うえはら かみはら)
⑧島袋(しまぶくろ しまたい) ルーツは現在の中頭郡北中城村島袋
⑨平良(たいら へら) 沖縄の女優といえば「平良とみ」。この映画にも登場。
⑩山城(やましろ やまき)
ランキングを見ても分かるように「城」という漢字を含む名字が多いことが分かる。この「城」という漢字を沖縄では「ぐすく」と読み、「聖地」「神様がいるところ」という意味がある。15世紀の琉球王朝時代に建てられた世界遺産の「中城城」は「なかぐすくじょう」と読む。
ちなみに、全国で一番多い名字の「佐藤」さんは沖縄県には約700人しかおらず、沖縄では317位。また「具志堅用高」「我那覇和樹」(サッカー)「真栄田賢」(スリムクラブ)、そして「東風平」(こちひら こちんだ くちんだ)や「南風原」(はえばる はえばら)など、3文字の名字が多いのも特徴。
名字だけ見ても、日本本土とは異なる歴史を歩んできた「異文化琉球」「異文化沖縄」を感じることができるのだ。修学旅行に行ったときは、店の看板や民泊先の名前にも注目してほしい。
○邦画洋画に関わらず映画を見るとき、配役の名前に注目するもの面白い。特に世界各国からやってきた「移民の国」「多民族国家」のアメリカ映画は、それに意味を持たせている場合もある。「オニール」「オブライエン」「オハラ」「オマリー」はアイルランド系でたいてい警察官か消防士、「マッカーサー」「マッケンジー」「マクロード」はスコットランド系、「なんとかバーグ」「なんとかシュタイン」「コーエン」はユダヤ系、「サラバス」「ヴァンゲリス」など「なんとかス」で語尾が「s」ならギリシア系、「マルチネス」「ラミレス」など「なんとかス」で語尾が「z」ならヒスパニック、などなど。
○上記のように「日本本土」と表現したが、沖縄の人は沖縄に住む人のことを「ウチナンチュー」、日本本土に住む人を「ヤマトンチュー」と呼ぶ。沖縄の人にとって「日本本土」とは「九州・四国・本州・北海道」を指す。以下その歴史。
1429 尚巴志(しょう・はし)が沖縄本島を統一して琉球王国が成立
「南山・中山・北山」と3つに分れていた本島を「中山」の「尚巴志」が統一して、「琉球王国」という国をつくった。沖縄は日本とは違う独立国だったのだ。
★中国の「明」に「朝貢」して中国の子分となる。東南アジアを舞台に貿易で栄える。
1500年代前半 琉球王国の黄金時代
★しかし、ポルトガルの東アジアの進出(1549年には日本にもやってきたぞ)などで、徐々に貿易が衰える。
1603 江戸幕府ができる。
1609 日本の薩摩藩の侵攻を受け、支配下に入る。
九州鹿児島の「薩摩藩」に侵略された「琉球王国」は、強力な軍事力をもたない小国ゆえに、「明」と「薩摩藩」の両方に従うこととなった。
1634 薩摩藩は琉球国王に命じて、幕府の将軍が代わるごとに「慶賀使(けいがし)」、琉球国王が代わるときは「謝恩使(しゃおんし)」を江戸に上らせた。
これについては授業で何度も繰り返して説明をするのだが、要するに「慶賀使」「謝恩使」ともに、「琉球国王」が「江戸」に来るわけで、これだけを見ても両国が対等の関係でないことが分かる。少なくともこの頃より「ヤマトンチュー」の権力者は「ウチナンチュー」の国王や使節を上から目線で見ていたと思われる。
1853 アメリカのペリー提督、那覇に来航する。
なんとあのアメリカのペリーが、浦賀(神奈川県)に来航する前に那覇に立ち寄っていた。「まあ日本に断られてもかめへんわ」「琉球の那覇で水や薪を積んだらええし」と、ペリーは考えていたという説もある。中国との貿易を第一に考えていたアメリカは、途中で燃料や水を補給できる港を求めていた。
1868年 江戸幕府に代わり明治政府(薩摩藩&長州藩が中心)が日本を支配する。
1871(明治4) 廃藩置県 全国に261あった「藩」を廃止して「県」を置き、明治政府の息のかかった役人を「県」に派遣した。
1872(明治5) 明治政府により「琉球国王」は「琉球藩王」とされ「琉球藩」が設置される。
1879(明治12) 明治政府は警察と軍隊を送り、「琉球藩」を廃止して「沖縄県」を設置。「琉球国王」は東京に移住。これを「琉球処分」といい「琉球王国」は滅亡。
これら一連の出来事を見ても分かるように、「ウチナンチュー」は常に「ヤマトンチュー」(この時代までは北海道は入っていない)の圧迫&支配を受けていたことが分かる。
★日本本土が産業革命を達成して近代化をすすめるが、沖縄にまではその発展は及ばず。
沖縄に住む貧しい農民は、働き口を求めて本土へ。「那覇~大阪」の定期船が始まったこともあり、明治後半から大正・昭和前半にかけて工業化が著しかった大阪に多くの沖縄の人が移住した。今も「大正区」や「尼崎」には沖縄にルーツを持つ人が多い。
本土以外では、1900年初めにハワイやアメリカ西海岸、ブラジル・ペルーなどの中南米、第1次世界大戦後に日本の領土になった「南洋諸島」(サイパンなど)に移住する人も多かった。
1941(昭和16)~1945(昭和20) 太平洋戦争 vsアメリカなど
1945(昭和20)年4月1日 アメリカ軍、沖縄本島に上陸(唯一の地上戦がはじまる)
1945(昭和20)年6月23日 日本軍の組織的戦闘が終了。沖縄住民の4人に1人が死亡したともいわれる。
1945(昭和20)年8月15日 終戦 日本はアメリカ軍などに占領される。
★このとき、アメリカ軍は沖縄、奄美、小笠原を支配下に置いた。要するに「沖縄」はアメリカのものとなった。通貨はドル、自動車は右側通行、看板や標識にはアルファベットが並んでいた。
1960年代 ベトナム戦争
アメリカ軍の爆撃機や戦闘機は、沖縄のアメリカ軍基地から飛び立っていった。
1972(昭和47)年5月15日 沖縄返還
沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカから日本に返還される。
○日本に返還された沖縄であったが、主要産業といえば「基地関連」「公共事業」、そして「観光」ぐらいしかなく、都道府県別の完全失業率や高校生の求人倍率ではいつも沖縄県は全国で最悪の数値となっている。高校を中退した「妻夫木」は仕事探しに苦労した経験から、妹で成績優秀な「長澤」にはぜひとも地元の国立大学である「琉球大学」に進学してほしいと、必死になって妹を支えている。
沖縄での仕事を増やすために、IT産業を誘致したり、コールセンターを沖縄に開設した企業を優遇したりしている。生徒諸君が何かの質問やクレームのため「フリーダイヤル」に電話したとき、なんとかかっている先はその企業の本社ではなく沖縄のコールセンターという場合があるのだ。
高校生の求人倍率(2016年9月13日 厚生労働省) 23年ぶりの高水準
全国平均 1.75倍(ひとりの就職を希望する高校生に1.75社からの求人がある)
全国最高 東京 5.14倍 「東京一極集中」と言われているのが納得できる数字ですなあ。
全国2位 大阪 2.79倍 大阪、恵まれてるやん。
全国最低 沖縄 0.72倍 東京との差に愕然とする。
生徒諸君が修学旅行に行く沖縄の高校生は、高卒で就職するのは今もなお至難の業なのだ。沖縄で就職先が見つからない生徒は、故郷や親元を離れざるを得ないということだ。
そういえば、「長澤」は沖縄本島ではなく「竹富島」と思われる離島の中学校を卒業して、本島の高校に通学すべく兄の「妻夫木」のボロアパートで同居を始めた。「長澤」のように本島に親族がいない場合は、下宿などして一人暮らしするしかない。
大阪では考えられないが、交通事情や通学距離などが理由で、高校入学直後に親元を離れて一人暮らしや下宿をする高校1年生もいる。
日本は狭いようで広い。
(以下次号)
(追伸)
「大正区」には沖縄をルーツに持つ人が多いと書いたが、これに関して忘れられない思い出がある。以前勤務していた高校で「○○」という名前の生徒を担任したことがある。柴島でいうフィールドワーク的なもので、その高校では毎年夏に「工場見学」を実施しており、我がクラスは大正区の中山製鋼を訪問、JR大正駅にて待ち合わせた。ほとんどの生徒が駅の改札口から出てくるのに、「○○」だけが反対方向から「オッス」とばかりに歩いて登場した。「○○」の態度がなんか不自然でバイクの免許を取ったことも知っていたので、「なんでみんなと違う方向から歩いてくるねん」「バイクで来たんやろ?」と疑う自分に、「小学生の頃、大正区に住んどったから友達の家に泊まってたんや」と激しく反論してきた。その場はなんとか収まったが、「そんなうまいこと大正区に幼なじみがおるか」としばらくの間、彼に対する疑いは晴れることがなかった。
その後、いろいろ自分も勉強したりして知識が増えると、「○○」という名字が沖縄には多いこと、「大正区」には沖縄をルーツにする人が多く住んでいることを知った。「あの時、○○が言ってたことはほんまやったんやなあ」と、なぜかこのことだけは今も強烈に覚えており「○○」を疑って言い合いしたことを後悔するのである。
現在37、38歳ぐらいになって中間管理職となっているかもしれない「○○」へ、ほんまにすまんかった。謝ります。ごめんなさい。わっつさいびーん。