今回の映画のタイトルは『僕たちは世界を変えることができない。 but we wanna build a school in cambodia.』(2011/東映)。以下その同名文庫本のプロフィール。
向井理主演で2011年秋に公開される同名映画の原作ノンフィクション。
医大生の甲太は受験勉強をして大学に入ったものの平凡な日常に疑問を抱いていた。そんな彼が、<150万円を寄付すればカンボジアに小学校が建つ>というパンフレットを偶然見かける。「これだ!」と感じた甲太は、仲間を募り、クラブでのイベントを企画して、何とか150万円の捻出をはかろうとする。それと同時にカンボジアにも出かけ、売春宿で働く少女たちやエイズの問題、地雷除去やゴミ山で暮らす人たち……などの過酷な現実に触れ、自分たちとのダメさ加減と正対することになる。
けっしてきれいごとだけを書いているわけではない彼らの行動は読む者に勇気と元気を与えるものとなっている。笑って泣けて考えさせられる青春ストーリー。「王様のブランチ」でも取り上げられ、“いま、自分に何かできることは?”と多くの人の共感を呼び、話題沸騰のノンフィクションを文庫化。(アマゾンより)
○主人公「向井理」は、医者を目指して1浪の末、医大に合格。入学後はそれなりの大学生活を送ってはいるが、「何か違うんだよな」と平凡な生活にいつも割り切れない気持ちを抱いている。
○50代後半の自分ぐらいになると、「平凡で何が悪いねん」「平凡な生活が送れることを感謝せんかい」とつい説教じみたことを言いたくなるが、若者はちゃうんやろなあ。というか、自分も30年以上前はそんな割り切れない気持ちを持っていたかもしれない。そして何も特別なことをせぬまま今に至っているのかもなあ。
○立ち寄った郵便局で見つけたパンフレットをみて、「これだ!!」と同級生2人を誘って立ち上がる。軟派イケメンの「松坂桃季」も加わり、クラブでイベントを開催して150万円の収益を上げようと計画。このへん、「なんでクラブのイベントなんや」「4人で1人1か月1万をコツコツためて1年で48万」「それが3年ちょっとで150万円」「大学卒業するまでに十分可能やないか」などのツッコミをしながら映画をみていた。
○しかし、そのイベントサークルもなかなか上手くはいかない。「なぜカンボジアなのか」との問いに、「向井」はまともに答えることさえできなかった。何かと応援してくれる看護科の彼女に「カンボジア、行ったことないの?」と呆れられ、「なぜカンボジアなのか」の答えを見つけるため、一念発起して4人はカンボジアを訪問して1週間滞在する。
○ここでも、「カンボジアに4人で1週間?」「往復の飛行機代やホテル代、案内してくれたガイドさんへの料金などなど、これだけで150万円の半分以上はかかるんとちゃうか」などのツッコミは無粋(ぶすい)だ。
○お金を出せばそれでOKというものではない。このカンボジア訪問で、22年にわたる内戦での大量虐殺、今も続く地雷による被害、貧困、未就学児、エイズなどのカンボジアの苦しみを目の当たりにした貴重な経験が彼らを目覚めさせる。以下カンボジアの現代史。
1945 第二次世界大戦後にシハヌーク国王の下でフランスから独立
★ベトナム戦争で、お隣のカンボジアは「中立」の立場。アメリカにとってそれは都合が悪い。
1970 アメリカが支援するロンノル政権によりシハヌークが追放される → 内戦はじまる
この時点で、カンボジアは3つの勢力が三つ巴(みつどもえ)の抗争を繰り返していた。
ロンノル政権(親米)
シハヌークの旧政府軍(反米)
ポルポトが率いる赤色クメール(クメール=ルージュ)(共産主義・親中・反米・)
1975 ベトナム戦争終結 アメリカ敗退 → 赤色クメールが原始共産主義をめざして政権を握る。ポルポトが首相に就任。大量のカンボジア人を虐殺する。
★カンボジアの原始共産主義とは?
あらゆる生産手段を共有、生産物を社会全体で平等に分け与える制度。この社会では、学校・病院はおろか貨幣すら必要ないとされ、完全な自給自足の体制が理想となる。
中国の文化大革命を手本とする。
子どもは親から隔離されて労働所で働く。自由恋愛は許されず、結婚相手は国家が決める。
都市は必要ないとして、政府高官以外の人々は首都プノンペンから追われ、荒れ果てた地方を立て直す肉体労働に従事させられた。
知識人は労働に向かないとして一般の人々から分けられ、「原始共産制」に疑問をはさんだ者は、こどことく処刑された。当時のカンボジア人の6人に1人が殺されたといわれる。
1978 ベトナム、カンボジアに侵攻 カンボジアのポルポト政権と対立
ポルポト、政権の座を追われるがゲリラ活動で抵抗する。
1989 ベトナム、カンボジアから撤退
1991 パリ和平協定 内戦が終結
カンボジアを統治する権限は国連に移る。
「国連カンボジア暫定統治機構」のトップに日本人の国連事務次長・明石康が就任
○映画の中では、4人が通訳のカンボジア人の説明で現在は記念館となっている「トゥール・スレン」収容所を見学するシーンがある。まさに「カンボジア版アウシュビッツ」とも言える場所で、歩いている地面のすぐ下に、残虐された人の服の布や人骨、歯などが出てきたときの4人の愕然とした表情は、おそらく演技ではなく素直な気持ちだったと思う。
○22年に及ぶカンボジア内戦で、約400~600万個の地雷が埋められたといわれる。現在、その撤去作業が進んでガイドブックに掲載されているようなところは安全とされるが、映画で4人が小学校を設立した辺境地帯などはまだまだ埋まっている。
○地雷によるカンボジアの死傷者は2012年には186人、2013年には111人、その46%は子供というから、まだまだ解決されたとはいえない状況である。映画ではその撤去作業の光景や、危険地帯を知らせる赤いマークがあるのにそれを気にせず走り回っている子供も登場する。
○映画の後半、クラブのイベントで壇上に立ち「向井」が挨拶するシーンがある。もともと口下手な彼がやけくそ気味にパンツ一丁となり発したメッセージが非常に印象深く、この映画を貫くメッセージとなっている。
「誰かのために何かをする喜びは、自分のために何かをする喜びよりも上回る時があるんじゃないかと思うんです」
日本製の4色ボールペンを渡したときのカンボジア少年の笑顔と手紙は、その後の「向井」を精神的に支え続け、人生も変えてしまうぐらいのインパクトがあった。
○このような類の映画を見るにつけ、「学べること」や「友情」のありがたさ、「現場で体験して知ること」や「草の根レベルの国際交流」の大切さ、若いうちに「自分の視野を広げること」や「一歩前に踏み出す」重要性を、しみじみと感じたのである。
○ちなみに現在カンボジアは6910もの小学校があるが、そのうちかなりの数の小学校が日本のNGO・NPO活動によって建設された。そして実在の「向井」は、今もなお医者をしながらカンボジアの小学校建設の活動に関わっている。