第11弾は『舟を編む』(2013/松竹)。以下そのプロフィール。
玄武書房という出版社の営業部に勤める馬締光也(松田龍平)は、真面目すぎて職場で少々浮いている。しかし言葉に対する卓越したセンスを持ち合わせていることが評価され、新しい辞書『大渡海(だいとかい)』の編纂を進める辞書編集部に異動となる。
今を生きる辞書を目指している『大渡海(だいとかい)』は見出し語が24万語という大規模なもの。曲者ぞろいの辞書編集部の中で、馬締は作業にのめり込む。ある日、ひょんなことから知り合った女性(宮崎あおい)に一目で恋に落ちた馬締。なんとかして自分の思いを彼女に伝えたいが、なかなかふさわしい言葉が出てこず苦悩する。そんな中、会社の方針が変わり、『大渡海』の完成に暗雲がたちこめる……。
○主要な登場人物は以下の通り。
「馬締(まじめ)光也」(松田龍平)
まさに真面目が歩いているような若者で、コミュニケーション能力ゼロ。営業部では厄介者扱いであったが、大学院で言語学を学んでいることで辞書編集部に配置転換となり、水を得た魚のように仕事に精を出す。
「早雲荘」というボロアパートに学生時代から住んでいる。家主の老女と2人暮らしで、他の部屋は彼の蔵書で埋め尽くされている。
「林 香具矢(かぐや)」(宮崎あおい)
大家である老女の孫娘。板前修業で上京。「早雲荘」に住み込む。
「荒木 公平」(小林薫)
入社以来辞書編集部一筋。定年を控えて退社するが『大渡海』の完成を目指して嘱託として復帰する。
「西岡 正志」(オダギリジョー)
軽薄でよくしゃべる典型的チャラ男であるが、なぜか辞書編集部に所属、まったく気の合いそうにない「馬締」のことを何かと世話をするよき先輩。後に営業部にまわり、『大渡海』の発売に向けて貢献する。
「松本 朋佑」(加藤剛)
『大渡海』を監修する学者。荒木とコンビを組んで辞書編集を続け、荒木の能力を高く評価している。『大渡海』出版に際して、新語、俗語、流行語や誤用も収録しようと務め、合コンに出席したり、ファーストフードで「馬締」と一緒に女子高生の言語を研究中に、女子高生から不審がられたりする。
○登場する俳優の中で一番印象深いのが主人公「馬締」を演じた「松田龍平」だろう。
オヤジの松田優作は、1949(昭和24)年に生まれた「団塊の世代」。1973(昭和48)年に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でジーパン刑事として颯爽(さっそう)と登場、最終回の殉職の場面は、現在50歳以上の世代なら誰でも一度は見たであろう有名なシーンだ。
その後、親父はスターダムを駆け上がり、1970年代はアクションスター、80年代からは演技派としても認められたが、1989年に40歳で病死した。長男の龍平はその時6歳。
親父が精悍(せいかん)かつ荒々しいイメージのアクションスターで、我々の世代は一度は「松田優作」にあこがれた経験があるので息子はどんなんやという目で映画を見たが、役柄もあるがこんな繊細な演技ができるなんてと驚いた。「偉大な父親」を持った息子は父と比較され苦しんだ時期もあったと思うが、完全に自分独自の雰囲気を持っているようだ。今後の活躍に期待したい。
○2012年度の本屋大賞で第1位に輝いた「三浦しをん」の同名ベストセラーを映画化したもの。
○国語辞典は以下のように分類されるらしい。
(大型)およそ20万語以上のもの。分厚くて重い、ダンベルの代わりになるような辞書。日本最大の『日本国語大辞典』(小学館)は実に50万語を擁している。
(中型)およそ10万語以上のもの。
(小型)それ未満のもの(6万~8万語程度のものが多い)。
○映画の中で作ろうとしている『大渡海』は「大型」であり、約24万語の『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(三省堂)レベルのものを「改訂」ではなく一からのスタートで完成をめざすということ。
○『大渡海』も24万語をめざしており、収録する言葉を決めて『大渡海』独自の解釈を考える、例えば4人が1日60個を考えたとして「240000÷60=4000日=約11年」かかり、途中で流行語や俗語が加わり、「さすがにこれは要らんやろ」という言葉を除去するなどの気の遠くなるような作業を、コツコツ繰り返すのである。
○「独自の解釈」と書いたが、例えば映画の『大渡海』では「恋」と「ださい」はどう書かれたかは以下の通り。ならば他の辞書はどうなっているかが気になるので、国語の先生に借りた『新明解国語辞典』(三省堂)のやつも一緒に紹介しておこう。
『新明解国語辞典』(三省堂) 77500語 国語辞典らしからぬ独特の解釈と例文で人気がある。語数からいくと小型の国語辞典か。
「恋」
(大渡海)ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成就すれば、天にも昇る気持ちになる。
(新明解)特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態。
「ださい」 かなり前に「西岡」が考えたもので、実際にこれが採用されたかどうかは不明。
(大渡海)時代遅れ。田舎臭い。鈍臭い。恥ずかしい位、主流派。要は格好悪い。
用例「酔ってプロポーズとか、マジ、ださいよね」
(新明解)服装や身のこなしなどが、見るからにやぼったく感じられる様子だ。(俗語的表現)「~男」
実際に『広辞苑』や『大辞林』ではどう表現されているのか、非常に興味がある。映画では、チャラ男の「西岡」(オダギリジョー)が「ださい」を考え、当時の実体験から「用例」まで考えている。それを国語学者の監修「松本」もOKを出したということで、「こんなええかげんな奴がこんなええかげんな態度で考えてええんか」とふと思ったりする。
さて、あなたなら「恋」と「ださい」をどう説明するかチャレンジしてみては。
○熱烈なファンが多い『新明解』の他の解釈はどうなっているのかと、「やばい」と「全然」を見てみた。「やばい」が使われ始めたのは、自分が高校や大学の昭和50年代で、自分と同年齢の現在の皇太子も「やばい」を使っていると週刊誌で話題になったこともある。
「全然」は以前ブログでも書いたような記憶があるが、自分はいまだに「全然OKですよ」とか「全然大丈夫ですよ」という使い方には抵抗がある。やっぱり「全然」は、「全然あかんやないか」とか「全然足らん」などの「否定」を伴うのが当然と思っている。「全然」が肯定表現に変身し始めるのは平成になってぐらいからだろう。
さて『新明解』はどうなっているのか?
「やばい」 もと、香具師(こうぐし=テキヤ)や犯罪者仲間などの社会での隠語)
①違法なことをするなどして、警察の手が及ぶおそれのある状態だ。「そんな偽物を売ったら~ぞ」
②自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。「今のままでは単位で卒業がやばくなる」
「①②とも口頭語的表現」
(運用)最近の若者の間では「こんなうまいものは初めて食った。やばいね」などと一種の感動詞のように使われる傾向がある。
「全然」
(否定表現と呼応して)あらゆる点から見て、その否定的な状態が認められる意を表す。「~変わらない/~なっていない/~だめだ/このところ売り上げが~だ(=まったくよくない)」
(古くからあった否定表現を伴わず、「非常に」の意を表す用法も最近は多くなった。例「~おもしろい」)
○「全然」に一言を持つ自分であるが、映画の最初の方に「憮然(ぶぜん)」という言葉に関するシーンがある。さてみなさん、「憮然とした顔」をしてみてください。
以下ネットの「コトバンク」より。
失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。「―としてため息をつく」「―たる面持ちで成り行きを見る」
[補説]近年、「憮然たる面持ちで」とした場合、「腹を立てているような顔つき」の意味で使われることが多くなっているが、本来は誤り。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」で、「憮然として立ち去った」の例では、本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」で使う人が17.1パーセント、本来の意味ではない「腹を立てている様子」で使う人が70.8パーセントという逆転した結果が出ている。
なるほどなあ。「全然」では保守的な自分も、「憮然たる面持ちで」に関しては「腹を立てているような顔つき」派やなあ。そんな意味で「憮然」を使っていた自分を、年寄り連中はどう思ってたんやろなあ、こんなことを繰り返しながら言葉の意味は時代と共に変わっていくんやなあと思うのである。
○映画の『大渡海』のように、言葉の意味の変化に対応するのは大変なことであり、監修の「松本」はその変化に対応すべく、ラジオや新聞、女子高生、合コンなどを通して常にアンテナを広げている。彼の「言葉」に関する情熱には頭が下がる思いだ。
○ところで『新明解』の言葉の説明文に、やたら「状態だ」とか「様子だ」と「だ」を多用しているのを気づかれた方もいるだろう。なぜこういう文末にしているのか理由を知っている人がいたら教えてください。
○この映画をみて思ったことは、「人間には得手不得手がある」「自分の得意分野で仕事をすることはどれだけその人間を前向きにするか」「その適材適所を判断するのは上司であり、人材の適正配置がその会社の利益にもつながる」ということだ。
もしも「馬締」がそのまま営業部にいたら、おそらく会社を辞めていたかリストラにあっていたかもしれない。「馬締」は本当にいい上司と同僚に恵まれたということだろう。
○最後に。前回と同じく「( )な時におすすめの映画」の( )に入れる言葉だが、「クラブをやめたいと思った」か「いったん決めた志望大学を難しそうやからと安易に諦めようとしている」にしておこう。「クラブ」を現在プライベートで続けている何かに置き換えてもいい。
映画の中で「辞書は言葉の大海に漕ぎ出すための一隻の舟である」というフレーズがある。15年の歳月を費やして完成した『大渡海』であるが、最初の一歩は言葉とその意味を書いたたった1枚のカードだった。そのカードがいつの間にか24万枚になり、5回も校正するなど気の遠くなるような作業を繰り返しやっとの思いで出版にこぎつけた。その喜びを多くの人と共有できる人間は幸せである。最後までやり遂げたという達成感を経験した人間は幸せである。
そんな幸せな高校生活を多くの生徒に送ってほしいと思う。
玄武書房という出版社の営業部に勤める馬締光也(松田龍平)は、真面目すぎて職場で少々浮いている。しかし言葉に対する卓越したセンスを持ち合わせていることが評価され、新しい辞書『大渡海(だいとかい)』の編纂を進める辞書編集部に異動となる。
今を生きる辞書を目指している『大渡海(だいとかい)』は見出し語が24万語という大規模なもの。曲者ぞろいの辞書編集部の中で、馬締は作業にのめり込む。ある日、ひょんなことから知り合った女性(宮崎あおい)に一目で恋に落ちた馬締。なんとかして自分の思いを彼女に伝えたいが、なかなかふさわしい言葉が出てこず苦悩する。そんな中、会社の方針が変わり、『大渡海』の完成に暗雲がたちこめる……。
○主要な登場人物は以下の通り。
「馬締(まじめ)光也」(松田龍平)
まさに真面目が歩いているような若者で、コミュニケーション能力ゼロ。営業部では厄介者扱いであったが、大学院で言語学を学んでいることで辞書編集部に配置転換となり、水を得た魚のように仕事に精を出す。
「早雲荘」というボロアパートに学生時代から住んでいる。家主の老女と2人暮らしで、他の部屋は彼の蔵書で埋め尽くされている。
「林 香具矢(かぐや)」(宮崎あおい)
大家である老女の孫娘。板前修業で上京。「早雲荘」に住み込む。
「荒木 公平」(小林薫)
入社以来辞書編集部一筋。定年を控えて退社するが『大渡海』の完成を目指して嘱託として復帰する。
「西岡 正志」(オダギリジョー)
軽薄でよくしゃべる典型的チャラ男であるが、なぜか辞書編集部に所属、まったく気の合いそうにない「馬締」のことを何かと世話をするよき先輩。後に営業部にまわり、『大渡海』の発売に向けて貢献する。
「松本 朋佑」(加藤剛)
『大渡海』を監修する学者。荒木とコンビを組んで辞書編集を続け、荒木の能力を高く評価している。『大渡海』出版に際して、新語、俗語、流行語や誤用も収録しようと務め、合コンに出席したり、ファーストフードで「馬締」と一緒に女子高生の言語を研究中に、女子高生から不審がられたりする。
○登場する俳優の中で一番印象深いのが主人公「馬締」を演じた「松田龍平」だろう。
オヤジの松田優作は、1949(昭和24)年に生まれた「団塊の世代」。1973(昭和48)年に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でジーパン刑事として颯爽(さっそう)と登場、最終回の殉職の場面は、現在50歳以上の世代なら誰でも一度は見たであろう有名なシーンだ。
その後、親父はスターダムを駆け上がり、1970年代はアクションスター、80年代からは演技派としても認められたが、1989年に40歳で病死した。長男の龍平はその時6歳。
親父が精悍(せいかん)かつ荒々しいイメージのアクションスターで、我々の世代は一度は「松田優作」にあこがれた経験があるので息子はどんなんやという目で映画を見たが、役柄もあるがこんな繊細な演技ができるなんてと驚いた。「偉大な父親」を持った息子は父と比較され苦しんだ時期もあったと思うが、完全に自分独自の雰囲気を持っているようだ。今後の活躍に期待したい。
○2012年度の本屋大賞で第1位に輝いた「三浦しをん」の同名ベストセラーを映画化したもの。
○国語辞典は以下のように分類されるらしい。
(大型)およそ20万語以上のもの。分厚くて重い、ダンベルの代わりになるような辞書。日本最大の『日本国語大辞典』(小学館)は実に50万語を擁している。
(中型)およそ10万語以上のもの。
(小型)それ未満のもの(6万~8万語程度のものが多い)。
○映画の中で作ろうとしている『大渡海』は「大型」であり、約24万語の『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(三省堂)レベルのものを「改訂」ではなく一からのスタートで完成をめざすということ。
○『大渡海』も24万語をめざしており、収録する言葉を決めて『大渡海』独自の解釈を考える、例えば4人が1日60個を考えたとして「240000÷60=4000日=約11年」かかり、途中で流行語や俗語が加わり、「さすがにこれは要らんやろ」という言葉を除去するなどの気の遠くなるような作業を、コツコツ繰り返すのである。
○「独自の解釈」と書いたが、例えば映画の『大渡海』では「恋」と「ださい」はどう書かれたかは以下の通り。ならば他の辞書はどうなっているかが気になるので、国語の先生に借りた『新明解国語辞典』(三省堂)のやつも一緒に紹介しておこう。
『新明解国語辞典』(三省堂) 77500語 国語辞典らしからぬ独特の解釈と例文で人気がある。語数からいくと小型の国語辞典か。
「恋」
(大渡海)ある人を好きになってしまい、寝ても覚めてもその人が頭から離れず、他のことが手につかなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成就すれば、天にも昇る気持ちになる。
(新明解)特定の異性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態。
「ださい」 かなり前に「西岡」が考えたもので、実際にこれが採用されたかどうかは不明。
(大渡海)時代遅れ。田舎臭い。鈍臭い。恥ずかしい位、主流派。要は格好悪い。
用例「酔ってプロポーズとか、マジ、ださいよね」
(新明解)服装や身のこなしなどが、見るからにやぼったく感じられる様子だ。(俗語的表現)「~男」
実際に『広辞苑』や『大辞林』ではどう表現されているのか、非常に興味がある。映画では、チャラ男の「西岡」(オダギリジョー)が「ださい」を考え、当時の実体験から「用例」まで考えている。それを国語学者の監修「松本」もOKを出したということで、「こんなええかげんな奴がこんなええかげんな態度で考えてええんか」とふと思ったりする。
さて、あなたなら「恋」と「ださい」をどう説明するかチャレンジしてみては。
○熱烈なファンが多い『新明解』の他の解釈はどうなっているのかと、「やばい」と「全然」を見てみた。「やばい」が使われ始めたのは、自分が高校や大学の昭和50年代で、自分と同年齢の現在の皇太子も「やばい」を使っていると週刊誌で話題になったこともある。
「全然」は以前ブログでも書いたような記憶があるが、自分はいまだに「全然OKですよ」とか「全然大丈夫ですよ」という使い方には抵抗がある。やっぱり「全然」は、「全然あかんやないか」とか「全然足らん」などの「否定」を伴うのが当然と思っている。「全然」が肯定表現に変身し始めるのは平成になってぐらいからだろう。
さて『新明解』はどうなっているのか?
「やばい」 もと、香具師(こうぐし=テキヤ)や犯罪者仲間などの社会での隠語)
①違法なことをするなどして、警察の手が及ぶおそれのある状態だ。「そんな偽物を売ったら~ぞ」
②自分の身に好ましくない結果を招く様子だ。「今のままでは単位で卒業がやばくなる」
「①②とも口頭語的表現」
(運用)最近の若者の間では「こんなうまいものは初めて食った。やばいね」などと一種の感動詞のように使われる傾向がある。
「全然」
(否定表現と呼応して)あらゆる点から見て、その否定的な状態が認められる意を表す。「~変わらない/~なっていない/~だめだ/このところ売り上げが~だ(=まったくよくない)」
(古くからあった否定表現を伴わず、「非常に」の意を表す用法も最近は多くなった。例「~おもしろい」)
○「全然」に一言を持つ自分であるが、映画の最初の方に「憮然(ぶぜん)」という言葉に関するシーンがある。さてみなさん、「憮然とした顔」をしてみてください。
以下ネットの「コトバンク」より。
失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。「―としてため息をつく」「―たる面持ちで成り行きを見る」
[補説]近年、「憮然たる面持ちで」とした場合、「腹を立てているような顔つき」の意味で使われることが多くなっているが、本来は誤り。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」で、「憮然として立ち去った」の例では、本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」で使う人が17.1パーセント、本来の意味ではない「腹を立てている様子」で使う人が70.8パーセントという逆転した結果が出ている。
なるほどなあ。「全然」では保守的な自分も、「憮然たる面持ちで」に関しては「腹を立てているような顔つき」派やなあ。そんな意味で「憮然」を使っていた自分を、年寄り連中はどう思ってたんやろなあ、こんなことを繰り返しながら言葉の意味は時代と共に変わっていくんやなあと思うのである。
○映画の『大渡海』のように、言葉の意味の変化に対応するのは大変なことであり、監修の「松本」はその変化に対応すべく、ラジオや新聞、女子高生、合コンなどを通して常にアンテナを広げている。彼の「言葉」に関する情熱には頭が下がる思いだ。
○ところで『新明解』の言葉の説明文に、やたら「状態だ」とか「様子だ」と「だ」を多用しているのを気づかれた方もいるだろう。なぜこういう文末にしているのか理由を知っている人がいたら教えてください。
○この映画をみて思ったことは、「人間には得手不得手がある」「自分の得意分野で仕事をすることはどれだけその人間を前向きにするか」「その適材適所を判断するのは上司であり、人材の適正配置がその会社の利益にもつながる」ということだ。
もしも「馬締」がそのまま営業部にいたら、おそらく会社を辞めていたかリストラにあっていたかもしれない。「馬締」は本当にいい上司と同僚に恵まれたということだろう。
○最後に。前回と同じく「( )な時におすすめの映画」の( )に入れる言葉だが、「クラブをやめたいと思った」か「いったん決めた志望大学を難しそうやからと安易に諦めようとしている」にしておこう。「クラブ」を現在プライベートで続けている何かに置き換えてもいい。
映画の中で「辞書は言葉の大海に漕ぎ出すための一隻の舟である」というフレーズがある。15年の歳月を費やして完成した『大渡海』であるが、最初の一歩は言葉とその意味を書いたたった1枚のカードだった。そのカードがいつの間にか24万枚になり、5回も校正するなど気の遠くなるような作業を繰り返しやっとの思いで出版にこぎつけた。その喜びを多くの人と共有できる人間は幸せである。最後までやり遂げたという達成感を経験した人間は幸せである。
そんな幸せな高校生活を多くの生徒に送ってほしいと思う。