柴高の毎日

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生徒にみてほしい映画(7)その1 

2016-09-11 12:28:00 | 一般
 今年1月3日以来、久々の「生徒にみてほしい映画」シリーズ。第7弾は『キューポラのある街』(1962/松竹)。



 以下そのあらすじ。[all cinema]より。

 鋳物の町として有名な埼玉県川口市。

 この街にはキューポラという煙突が立ち並ぶ。昔カタギの職人の町にも時代の波が押し寄せる。旧来型の鋳物職人であるジュンの父は、働いていた工場が大工場に買収されたことからクビになってしまう。

 困窮に苦しむ一家だったが、ジュンはそんな境遇の中でも、自分の進路について一生懸命考え、パチンコ屋でバイトしながらも高校進学の学費を稼ごうとがんばる……。吉永小百合主演で、高度経済成長期の庶民の暮らしを温かなまなざしで描いた青春ドラマ。


 最近のブログで「団塊の世代」についてあれこれ書いた。「団塊の世代」とは、戦後間もない1947(昭和22)年、1948年、1949年の3年間に生まれた世代をさし、1年間で260万人以上の赤ちゃんが生まれたので「第1次ベビーブーマー」とも呼ばれる。今年度、67歳、68歳、69歳となる皆さんで日本の人口ピラミッドで一番人口が多い。というより、今後20年ぐらいは日本で一番人口の多い世代であり続けるだろう。

 生徒の中には祖父母が「団塊の世代」である場合もあり、また、将来生徒がいろいろな職業に就いたとき、この世代のことを理解するとしないとでは、仕事をする上で大きな違いが生じることもあるはずだ。なぜなら「団塊の世代」は今もなお日本の消費活動の中心を担っているし、近い将来、看護や介護の現場では「団塊の世代」が大半を占めることも予想されるからだ。

 その「団塊の世代」を理解するのに、めちゃくちゃ適した映画が『キューポラのある街』なのだ。

 それでは映画のどんなところに注目してほしいか箇条書きしてみよう。興味がわいた人は、レンタルするもよし、入会すれば映画が見放題のネットサービスを利用するのもよし。現に担当者は、年会費3900円で某サイトに入会しており、この映画を布団の中で寝転がりながらタブレットで鑑賞したのである。

(1)映画製作と公開が1962(昭和37)年。東京オリンピックの2年前。

○当然カラーではなくモノクロ映画。現在、CGを駆使した『シン・ゴジラ』ちゅうのが大ヒットしているらしいが、シリーズ第1作『ゴジラ』(1954)はモノクロであった。

○吉永小百合が演じる主人公ジュンは中学校3年生。1962年の公開時に15歳という設定なので、まさにジュンは1947(昭和22)年生まれの「団塊の世代」である。生徒の祖父母が中学生の頃の都会の風景が、埼玉県の川口市を舞台にあますところなく描かれている。ちなみに撮影当時の吉永小百合は高校2年生の17歳ぐらい。

○ジュンの家庭は父親が鋳物(いもの)職人。仕事中に足を怪我して身体が不自由。職人気質(かたぎ)の頑固者で、男尊女卑的な思考回路、おまけに酒飲みときている。野球アニメの名作『巨人の星』のオヤジと似ているが、残念ながら「ちゃぶ台返し」のシーンはない。

○かたやジュンと小学6年生の弟タカユキは、戦後の民主主義教育を学校で学んでいる。親子の間で「職業」や「進学」、「男女」に関する認識の違いが原因で、口論するシーンがある。

○ジュンの親父が酒を飲みながら気持ちよさそうに「都都逸(どどいつ)」を唸っているシーンがある。「都都逸(どどいつ)」とまではいかないが、「団塊の世代」の保護者の世代、つまり現在90歳以上の人にとって、歌といえば戦争中の「軍歌」や「唱歌」、シャレた人ならクラシックやシャンソン、そして戦後の「演歌」などが定番だろう。

 そんな保護者をもつ「団塊の世代」は、占領軍が持ち込んだアメリカの音楽や「ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」「ボブ・デュラン」などに目覚めて、日本文化史上初めて「ロック」や「フォーク」に夢中になった世代でもある。

 例えば、グループサウンズの代表格である「ザ・タイガース」の「沢田研二(ジュリー)」
や『心の旅』などのヒット曲のある「チューリップ」の「財津和夫」は1948(昭和23)年、『神田川』で有名な「かぐや姫」の「南こうせつ」は1949(昭和24)年生まれの「団塊の世代」である。

 ということはどういうことが想像されるか。そんな「ロック」や「フォーク」に傾倒する子供のことを、戦前派&戦中派の保護者はなかなか理解できなかっただろう。単なるやかましい不良の音楽、エレキギターは不良、男が長髪するなんて許せん、などと文句を言う保護者と「団塊の世代」は日々戦ってきたと思われる。

 その「団塊の世代」が結婚して子供を授かり、その子供が成長して「ユーミン」や「サザン」、「チェッカーズ」や「おにゃん子クラブ」などのヒット曲に夢中になっても、さほど抵抗なく受け入れられたはずだ。

 「団塊の世代」は、保護者とのジェネレーションギャップに最も苦しんだ世代であったかもしれない。

○親父は就職したり失業したりを繰り返しているので、ジュンの家庭はかなり経済的に苦しい。路地が舗装もされていない木造の老朽化した狭い長屋に住んでいるが、そんな風景は都会のそこかしこにあった。ジュンとタカユキは自分の部屋などあるはずもなく、帰宅後、家族が食事をする部屋で2人が着替えるシーンがある。

○ジュンは成績優秀。高校進学の資金を貯金すべく、親や学校に隠れてパチンコ屋で在日コリアンの同級生と一緒にアルバイトをしている。現在ならば労働基準法などの違反で、雇用したパチンコ屋は罰せられていただろう。

○中学校は木造校舎。基本的にこの時代の学校はどこも木造で、コンクリートの方が珍しい。床も長い平板を敷いたもので、「油引き」の独特匂いが教室中に充満していた。「フローリング」のようなシャレたものではなく、歩くとミシミシと音がした。1960年代半ばごろからコンクリート建築に立て替わり、今やその校舎も築50年に近づこうとしている。

○さすがに映画では「便所」のシーンはないが、洋式トイレや水洗などあるはずもなく、いわゆる「くみ取り式」で、現在の学校のトイレとは比べものにならないほど悪臭が漂っていた。

○教室でのシーン。とにかく生徒数が多く教室が狭く感じる。ざっと数えても50人ぐらいは在籍している。

○ちなみに日本でも有数のマンモス校として有名だったのが、大阪市阿倍野区の文の里(ふみのさと)中学校。1962(昭和37)年に全校生徒3700人、1学年26クラスというネット情報もある。グラス替えのとき、「何組になった?」「俺、1組」「ほんまか、俺、24組や」なんて会話が普通に交わされていたのだろう。

○ジュンはソフトボール部に所属。投手の投球フォームが今より単純であるのが興味深い。

○ジュンの担任は生徒思いの熱血漢。ジュンが修学旅行に行けるように、公的な資金援助の世話もした。しかし、職員室では平気でタバコを吸いながらジュンと面談している。「嫌煙」「分煙」「禁煙」という概念のない時代の映画は、このようにひっきりなしにタバコを吸うシーンが出てくる。

(2)1954(昭和29)~1973(昭和48) 高度経済成長時代

関係年表

1945(昭和20) 日中戦争&太平洋戦争おわる アメリカなど連合軍が日本を占領

○日本は戦後の混乱の中で、戦後復興期が始まる。

○世界では、「日本・ドイツ・イタリア」という共通の敵がいなくなった「アメリカ」と「ソ連」の二大親分の対立が始まる。これを「東西冷戦」という。

1947(昭和22)~1949(昭和24) 「団塊の世代」が誕生

1949(昭和24) 「東西冷戦」により朝鮮半島が南北に分断される。


 南「大韓民国=アメリカ側=西側=資本主義」
 北「朝鮮民主主義人民共和国=ソ連側=東側=社会主義」

1950(昭和25) 朝鮮戦争はじまる → 日本は朝鮮特需

○朝鮮民族どうしの戦争。「南」にアメリカ、「北」に中国が参戦。ソ連は「北」を援助。
○休戦までの3年間、アメリカは日本に物資やサービスを大量に注文する。例えば、兵器の修理や軍服、軍靴、クスリ、包帯などなど。
○「戦争による特別な需要=特需」により、日本の景気はV字回復。

1953(昭和28) 日本の経済が戦争前の状態に回復。

1954(昭和29)~1973(昭和48) 高度経済成長時代


○19年間にも及び、日本経済は年平均10%の成長を続ける。

1956(昭和31) 経済白書で「もはや戦後でない」 流行語となる。

1960(昭和35) 池田内閣 所得倍増計画


○要するに「日本の景気をよくして10年後には所得を倍増して国民の皆さんの生活を豊かにします」と宣言した。実際、10年後には日本一人当たりの消費支出は2.3倍になった。

1964(昭和39) 東海道新幹線&名神高速道路が開通 東京オリンピック開幕

○学校近くのJR新大阪駅はこの年に開業。
○敗戦の焼け跡から奇跡の復興を成し遂げた日本の姿を世界にアピールできた。

1970(昭和45) 大阪・千里で万国博覧会

○現在の「太陽の塔」を中心とした万博公園が会場。6か月で6000万人が入場。人気のアメリカ館やソ連館は長蛇の列で3時間待ちなど当たり前。
○担当者は小学校の遠足も含めて6回訪問した。
○最寄りの駅は「千里中央」「北千里」や「JR茨木」。万博をきっかけに大阪南部からの交通の便を考えて、「天六」止まりだった阪急千里線が地下鉄の堺筋線とつながった。

1973(昭和48) 第4次中東戦争 オイルショック 高度経済成長おわる

○「第4次中東戦争」は「イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教」と「周辺アラブ諸国=アラブ人=イスラム教」の戦争のこと。

○日本は石油のほとんどを輸入に頼っており、中東の「アラブ諸国」(サウジアラビア、UAE、イラクなど)から大量に輸入していた。その「アラブ諸国」は「イスラエルを支援する国に対して石油を値上げする」と宣言。

○「イスラエル」の最大の支援国は「アメリカ」。日本は「イスラエル」を直接支援したことはなかったが、アメリカ側なので「支援国」とみなされ、輸入する石油の価格が上昇した。

○よって日本の物価は上昇してインフレとなり「狂乱物価」という言葉が生まれた。政府はインフレを抑えるため公定歩合を上げて、企業は設備投資をおさえる。

○1974(昭和49)年の経済成長率は「-1.2%」という戦後初めてのマイナス成長となり、「高度経済成長時代」は終わりを告げた。


 めちゃくちゃ長い関係年表だったが、映画ではこれに関してどんなシーンがあったか。

○ジュンの弟タカユキがお小遣いか何かを上げてくれと、「所得倍増」と何回か訴えるシーンがある。映画の2年前に池田内閣が「所得倍増計画」をぶちあげたのだから、当時の小学生がその言葉を知っていて当然か。

○とにかく成長しまくっていた「イケイケドンドン」の雰囲気の中、今のように「環境」とか「景観」「建物保存」などの概念はない。町には子供や若者があふれかえり、大人も働いたら給料が上がるのでギラギラした目をしていた時代だ。10年ぐらいまでの中国、現在の東南アジアなどは、こんな感じなのかなと思う。

○よって、映画で何度も出てくる川や水路は、経済活動最優先で埋め立てられたり、蓋(ふた)をかぶせて暗渠(あんきょ)となって、道路に姿を変えた。大阪市内には橋がないのに「心斎橋」とか「四ツ橋」いう地名があるが、現在の長堀通には「長堀川」が流れていたが、1960年に埋め立てが始まり1971年に埋め立てが完了、橋はなくなり地名として残った。

○徐々にトラックや自家用車などクルマの数も増えるので、高速道路や線路をまたぐ道路が必要となる。東京オリンピックに開催にあわせて、東京では川や運河の上に高速道路が建設された。現在、その高速道路の老朽化が大問題となっている。

○映画のラストでジュンとタカユキがJR(当時は国鉄)をまたぐ橋を走るが、いかにも真新しい立派な橋である。

○「環境」という概念がないので、大気汚染や水質汚染などの「公害」が1970年代に激しくなる。映画でも川岸がゴミで汚染された水路が登場する。

○国民の生活が豊かになるにつれて、テレビを購入する家庭も増えてくる。ジュンの家は貧しいのでテレビはないが、お隣には「白黒テレビ」がありジュンの弟たちが相撲を見ているシーンがある。

○当時の白黒テレビがいかに重宝されていたかは、吉岡秀隆や堀北真希が出演していた『ALWAYS 三丁目の夕日』が詳しい。

○それでもまだまだ貧しい家庭が多く、高校進学をあきらめて就職したり、就職しながら定時制高校に通う生徒も多くいた。現在、高校進学率は男女合わせて「96.5%」だが、「団塊の世代」が高校に進学する1962(昭和37)年は男女合わせて「64%」で、男子より女子の方が2%ぐらい低い。



○ネタバレになってしまうが、おそらくジュンは大企業の勤務時間にあわせた「隔週定時制」などの高校に進学したと思われる。大阪府では現在総合学科となっている「貝塚高等学校」が有名で、学校周辺にあった紡績工場で働く工員(主に女子)が、交代勤務などにあわせて通学していたが、その数も年々減少して2006年に廃止されている。

○成績優秀なジュンが、第1志望の高校を訪問して正門前でたたずむシーンがある。映画では「埼玉県立第一高等学校」とあるが、モデルとなり映画でも登場する高校は「埼玉県立浦和第一女子高等学校」のことで、なんと埼玉県では県立の女子校がいまだに存在しているのである。さらに浦和市(現在はさいたま市)には「埼玉県立浦和高等学校」という男子校もあり、ともに受験雑誌などで難関校としてよく登場する伝統校である。

○そういえば、2003(平成)年に大ヒットした森山直太朗『さくら』で、合唱のコーラスを担当したのが「宮城県立第三女子高等学校」であったことを思い出した。調べてみると2010年に共学化され「宮城県立三桜(さんおう)高等学校」と改名されたが、共学化するにあたり在校生と卒業生から大反対があったという。

○大阪府で長年勤務してきた者として「公立は男女共学」が当然と思っていたが、どうやら関東以北とはその点に関しては文化が異なるようである。日本は狭いようで広いのだ。

以下次号