THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

裸のアスリートⅡ~加藤陽一 & 荒川オープン大会の結果

2014年06月30日 | 日記

「空飛ぶプリンス」の愛称で日本バレーボール界に 一時代を築いた男、加藤陽一37歳。 彼は今年、ボロボロになった身体で最後の闘いに挑んだ。 分厚いサポーターで覆われた両膝での、鬼気迫るプレー。 加藤は言う。「これは、日本代表への“遺言”だと」。



大学4年生の時に初めて全日本に招集。 身長190センチ、滞空時間の長い華麗なスパイクを武器に、 瞬く間にエースの座に登り詰めた。 しかし加藤は、日本が安住の地とは思っていなかった。



2002年、世界最高峰のリーグ・イタリアのセリエAに挑戦。 当時世界最強のイタリア代表が顔をそろえるチームで 出場機会を獲得、リーグ優勝の美酒に酔いしれた。 その後ギリシャ、フランスのプロリーグに所属。 世界で闘う日本人バレーボーラーの先駆者として活躍し続けた。



だが加藤には、バレーボール人生の中で唯一の悔恨がある。 それは、「オリンピックに出場できなかったこと」。 2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪は共に最終予選で敗退。 その後は全日本から招集がかからなくなった。


 


「選手としての夢が叶わなくても、指導者として2020年へ」。 引退を決意した今シーズン、選手兼監督を務める つくばユナイテッドというクラブチームで、 チームをVプレミアリーグに押し上げるための最後の闘いに挑んだ。 世界を知る男が、背中で語る「遺言」。


 



 


昨日は、荒川区のオープン大会だった。先日の足立区での準優勝を自分たちの自信に、今回の大会へ挑んだわけだけど、そうは簡単に勝利は呼込めなかった。トーナメント1回戦、相手はまだ負けたことのないチームだったので相性はそれほど悪くないはずだったが、昨日は相手チームに、185cmの強力な助っ人オポジットを据え敵は万全の体制。


 


序盤から、いきなり相手オポジットのスパイクサーブで崩され失点を重ね、負けパターンの悪い展開でスタート。中盤、喰らい付くものの、要所要所でも前後関係なくオポジットに気持ちよくスパイクを決められ、相手チームに終止主導権を与えてしまいリードすることが出来ないまま、25-21で1セットダウン。暗雲が、チーム全体の雰囲気を包んでいた。


 


2セット目は、自分の連続サーブでサービスエースとレセプションを崩しブロックポイントなどを決め、反対に5-0と大幅リードしたのだが、その後、イージーミスなどが続き10点に届くまでに貯金を使い果たてしまった。毎回、出だしの躓きがチームの弱点としながらも今回のようなスタートダッシュを決めた展開で勝利を呼込めなかったことは、そうではないチームの致命的な弱点を、また一つ露呈されたことは次につなげるためにも収穫だと取るべきだろう。


 


その後は相手オポジットに決められながらも、一進一退のゲーム展開でなんとか最初のマッチポイントを防ぎ同点としたが、まあ負けるときはこんな感じでしょう、相手オポジットが前衛のレフト好位置のローテーション。善戦虚しく、最後は相手オポジットにブロックを弾かれそのままに25-27点でゲームセット、1回戦負けをしてしまった。


 


今回は、相手オポジットのワンマンチームだっただけに、オポジットに対応することがもう少し早い段階で出来ていれば、もう少し長くゲームを楽しめたと思うだけに残念な結果だった。それと、厳しいゲームをモノにする時ように個人個人の良いプレーがもう少しづつ、『だけ』でも、出せていればと言うのが、自分なりの感想。勝負の、『苦さ』を味はされた昨日の大会。


 


優勝は、世田谷区から初参戦のLinksって言うチーム。数セットは競った試合もありましたが、全てストート1セットも落とさず、『完封』に近い感じでの優勝でした。準優勝は、1回戦でうちが負けたチーム。それだけに、1回戦を勝ってその先を勝ち進み優勝したチームと勝負をしてみたかった…。荒川で長い間大会に参加しているチームとしては、初参戦のチームにあっさり優勝を攫って行かれるのはとても悔しい結果でした。


 


『人生は、上手く行かないのが当たりまえ』。上手く行かないから頑張るわけで、いくつもの勝負に一喜一憂しながら負けに引きずられることなく、前進あるのみ!あ~それにしても、負けは悔しい~やっぱり勝ちたい!!そのためにも、もっともっと頑張るぞ!


 


 


 


 


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