THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

日本人の誇り★奇跡の日系野球チーム~奇跡体験!アンビリーバボーより~⚾️

2014年02月27日 | 日記

こんばんわ!今日は、この時間めずらしく自宅にいます。雨と腰痛で、平日のワークアウトはひさしぶりにお休み~外気が妙にあたたかいですネ。

 

ジムに行かなかったので、いつもより早めの夕飯で腹を満たし~爪楊枝で歯をシーシーやりながら何か面白い番組はないか?とチャンネルをパチパチと回していると、『奇跡体験!アンビリーバボー』の後半でした…。

 

今日の番組内容は、カナダに移民した日本人の話し。アンフェアな相手に対して、一方的にやられても絶対に仕返しせずにフェアプレーを貫き戦いつづけた日本人野球チームが奇跡を起こした!!⚾️💨

 

『相手が、どうこうするから!』とかってことのリアクションの前に、その先にあるものをつかむためにやらなきゃいけないこと~やり抜かなきゃならないこと~それが、どんなに辛く困難なことでも、その試練を真正面から受け止め乗り越えた男 ”ハリー宮崎 ”、彼の『志』にスポーツマンとしても人間としても激しく胸を打たれ、人の心の光を教えられた…😢

 

 カナダ、西海岸の大都市・バンクーバー。 その一角に、かつて1万人もの日系人が生活する日本人街が存在した。 日本がまだ明治時代だったころ。 貧しい農村に住む人々が仕事を求め、世界中に渡った。カナダにも8000人を超える日本人が移住。日本人街は「リトル東京」と呼ばれ、多くの商店が立ち並び賑わいをみせていた。

 

今は公園になっている場所で、日本人野球チーム、バンクーバー朝日軍は誕生した。 今からちょうど100年前に生まれ、その後 27年間にカナダのリーグを席巻。 全盛期には5軍まである巨大野球クラブだった朝日軍。

 

現在、バンクーバーで暮らすケイ上西功一さん、92歳。 彼は晩年に朝日軍に活躍した一人である。 当時 2世は皆、バンクーバー朝日軍に入るのが夢だったという。

 

 バンクーバー朝日軍、誕生の裏には壮絶な歴史があった。 カナダへの移住が開始された当時、やって来た日本人の多くは林業や漁業など肉体労働に精を出した。 安い賃金でも勤勉に働く日本人は、重宝されたのだが、皮肉にも日本人達が働けば働くほど、仕事を奪われた白人達の憎しみは募っていった。

 

1907年、ついに5000人もの反日デモ隊が暴徒となり、日本人街を襲撃!! 日系人達は、家族を守るために団結。 暴徒を力で撃退せざるを得なかった。この時、暴動を目の当たりにした少年、ハリー宮崎。 彼は後に、バンクーバー朝日軍を率いることになる。

 

 元は白人が起こした暴動、だがそれに抵抗した結果、逆に日系人は危険な民族だというイメージが広まってしまった。 カナダ政府はこの事件以降、移民を厳しく制限。 日系人はカナダ国籍を取得しても選挙権は得られないなど、法的な差別を受け続けることになる。

 

そんなころだった・・・当時カナダでは野球は最も人気のあるスポーツ。 国内にいくつものアマチュアリーグが存在していた。 日本人の野球チームもあったのだが、レベルは低く、下部のリーグにさえ参加することは許されなかった。

 

そこで、日系人有力者の支援で、若い頃から育成し強いチームを作るという目的のもと、15歳前後の少年達が集められた。 バンクーバー朝日軍の誕生だった!!学校が始まる前、放課後、ひたすら少年達はボールを追い続けていた。 そして朝日軍は、日系人社会最強のチームへと成長。

 

チーム設立から4年後、ついに白人達の下部リーグへの出場が許されることになった。 そこで白人達から「ジャップに野球が出来るのかよ」と言われ、カッとなった日本人選手をチームメイトが「ケンカをしに来たのじゃない」と止めた。

 

彼こそがハリー宮崎だった。 あの暴動を目撃した少年が立派な若者となり、チームの中心選手となっていた。 彼は、厳しい人種差別の中でも、野球を通して日本人の誇りを保っていこうと考えていた。

 

 試合が始まると、そこには目を疑う光景があった。 小さな朝日軍が白人ぞろいのチームを翻弄。 そして、試合は朝日軍の圧勝に終わった。それは、快進撃の始まりにすぎなかった。 その後も朝日軍は白人チーム相手に連戦連勝!! そして翌年のリーグ戦、参戦2年目にして初優勝を果たしたのだ!!

 

 下部リーグで優勝を果たした翌年、朝日軍はさらにレベルの高いターミナルリーグへ招待された。 ついに白人社会が朝日軍を認めたかに思えた。 だが・・・白人チームは朝日軍に乱暴なプレーを仕掛けてくるようになったのだ。

 

試合のたびに、日系人とカナダ人、それぞれの憎しみが球場でぶつかり合った。 さらに、審判も白人チームびいきの判定を下した。 パワーに任せた乱暴なプレーと白人よりのジャッジに苦しめられ、その年 朝日軍は連戦連敗。 リーグ下位に沈んだ。だがこの頃になると、朝日軍がリーグ参加の資格を剥奪されることはなかった。

 

初代エースピッチャー、テディ古本。 その長男、古本善庸さんによると・・・・白人チームが日系人チームを打ち負かす構図が多くの観客に受けていたためだったという。 白人に翻弄される日系人を見に来る客で球場は埋まっていたのだ。

 

しかし、白人達の差別に絶えかね、バンクーバー朝日軍は崩壊の危機に直面していた。 この頃、メンバーの誰からも信頼される存在になっていたハリーがメンバーにある提案をした。 その提案を聞いて、メンバーは奮起した。

 

その後、周囲に押され、ハリー宮崎が新監督に就任。 するとハリーは、徹底した守備練習を敢行。 さらに、バントや走塁などの練習を執拗に繰り返した。 白人のパワーに、機動力と組織力で対抗するスモールベースボールを目指したのだ。

 

だが、ハリーの改革はそれだけではなかった。 もう1つの改革、それは・・・フェアプレー精神の徹底だった。だが、結果は惨敗続き。日本人が抵抗しないのを良いことに敵はやりたい放題だった。

 

日系人の観客からは、あそこまでやられてなぜやり返さないのかと詰め寄られた。 だが13年前の暴動の時、憎しみを憎しみで返した結果、憎しみが憎しみが呼んだだけと説明した。 ハリーは、どんな不利な状況でも正々堂々と闘い勝つ、それが日系人の本当の姿だと示したかったのだ。

 

 それから、バンクーバー朝日軍の真の戦いが始まった。 どれだけ乱暴なプレーを受けても、偏ったジャッジも・・・どんな時でも朝日軍ナインはフェアプレー精神を貫き続けた。 その一方で、翌年もその次の年も朝日軍は最下位。

 

そんな中、ある事件が起こった。 その試合、勝利を目前に控えた朝日軍。 だが、3点リードで迎えた9回ウラ、朝日軍はランナー満塁のピンチ。

 

その時、走者一掃のロングヒット! 打ったバッターもホームへ向かう。 明らかにアウトだったにも関わらず、審判はセーフの判定を下した。 すると・・・朝日軍ナインとハリーが目にしたのは、審判に抗議するために乱入した白人観客たちの姿だった!!

 

あの時、ハリー宮崎が提案したのは・・・「正々堂々と戦い続けることでお互いの憎しみを消していこう」というものだった。 いつしか、フェアプレーを貫く日本人の精神が多くのカナダ人を魅了するようになっていたのだ。

 

そして、ハリー宮崎の監督就任から5年。 バンクーバー朝日軍は、ターミナルリーグ初優勝を果たした。 応援に駆けつけた5000人を超える日系人とカナダ人の観客は、一つになって喜びを分かち合った。 それは朝日軍が、憎しみ合っていた日系人とカナダ人の架け橋になった瞬間だった。

 

それから3年後、ハリー宮崎は朝日軍の監督を引退。 だがその後も、バンクーバー朝日軍は快進撃を続けた。 フェアプレー精神と共に。17歳になった上西さんも、その後、3年間にわたり選手として活躍。 1941年には、各リーグのチャンピオンが戦う最高峰の大会で5連覇を達成。 日系人とともに、多くの白人ファンを熱狂させた。

 

だが、栄光は長くは続かなかった。 その3か月後、太平洋戦争が勃発。 カナダの日系人2万人は、敵国の人間として全財産を没収され、カナダ各地の強制収容所に送り込まれた。バンクーバー朝日軍は、事実上の解散を強いられたのだ。 そして、戦後も再結成されることはなく、栄光は歴史の中に埋もれてしまったかに思えた。

 

だが、それから60年あまりが経った2003年、カナダ人の熱烈な歓迎を受けるケイ上西功一さんや朝日軍の元選手達。 実はこの日、朝日軍のカナダ野球殿堂入りが発表されたのだ!! それは、日本でも報道された。

 

殿堂入りするのは、ほとんどメジャーリーガーなど超一流選手。 日系人アマチュアチームのそれは、正に快挙だった!! スポーツを通じて2つの民族の憎しみを乗り越えた、奇跡の野球チーム。 バンクーバー朝日軍の精神は永遠に語り継がれていく。

 

朝日軍の物語は、1冊の本として出版されたことで、徐々に日本でも広まりつつある。 その著者であり、初代エースピッチャー、テディ古本さんの長男・古本善庸さんはこう語る。

 

「彼らが胸に抱いたのは、異国の地にあるからこそ、自分たちに流れている日本人の血を感じてその日系という民族が馬鹿にされてはいけないと、誇り高く日系人として生きていきたかった。」

 

 

 


『すいませ~ん…👵』

2014年02月18日 | 日記

今日は火曜日、週のワークアウトの始めの日。いつもより早くジムに到着、いつものようにルームランナーでウォーキングを104分やってからレッグプレスにチェストプレス、アブドミナルに~などなどウエイトもけっこうしっかりやってきた。

10時過ぎにジムを出て、さあ帰ろう~ってチャリンコに乗ったら、『ガタガタ』後輪がパンクしてました。仕方ないので、コンビニで夕飯を買って徒歩で帰路についた。

いつもの帰り道、自転車を押しながら交差点のところにある神社の横を歩いていると~塀の向こうから、『すいませ~ん❗️』と女の人の声。

『ん❗️』って思って、自転車をとめて塀の向こうをのぞくと車椅子にのった片足のおばさんが居た。どうしたのかと声を掛けると、なんだか要点を得ない良く分からない話しをしだした。

しばらく話してみると、家の人と喧嘩をして家を飛び出してきたらしい…だけど余りの寒さにどうしようもなくなっているのだが、そんな事情で家を飛び出してきたので家には帰るに帰れないとのこと…。

とは言うものの、オレにはどうしようも出来ないので、『家はどこ❓』と聞くと電車で3つ隣の駅。どうやって来たのかは聞かなかったが、タクシー止めるからそれに乗って帰った方が良いと促したのだが、おばちゃん、『帰っても、家に入れてくれないだろう』って。

それじゃ警察を呼ぼうか❓って言ったら、それも困るって言うので~ならば、近くのファミリーレストランでしばらく暖をとるしかないんじゃないか❓って提案したけど、おばさんはモゴモゴして、『ありがとう、しばらく考えます…』。

オレ、おばさんに、『帰れないなら、すぐ近くにあるからファミレスに行きなよ❗️』ってその場を離れて来たけど少し心配なので交番に行ってお巡りさんに保護してもらおうとも思ったけど、人通りの多いところにある神社だから大丈夫かな…。って思いながら、パンクしたチャリンコ押して帰路についた。

だけど、やっぱりこの寒さだし心配なので大丈夫かな~❓って考えながら、交番行かなくても夜にチャリンコ漕いでると、よく警邏中の警察官に職質されるからこんな時こそ警邏中の警察官に会わないかな~❓って考えながらしばらく歩いてたら、『ビンゴ❗️』すげ~タイムリーにチャリンコに乗った警察官が向こうから。

すかさず、すれ違い様に、『お巡りさん❗️』って呼び止めてさっきのおばさんの事を話した。お巡りさんは、『分かりました、〇〇前の神社ですね』って言って確認してくれたので行って様子を見てくれると思うんだが~どうなっただろう❓大丈夫かな、おばちゃん…👵




がんばれ!おっさん!!

2014年02月16日 | 日記

今日の練習はノハラ・キムラ・マツシタ、平均年齢43歳の3人でした。毎度のことだから、最近はあまり気にならなくなってきた。


練習のことで、ふと考えたら来月は土曜日が学校行事~卒入式の準備のためか?1日も体育館が使えないとのこと…来週の土曜日から使えないので、もしも、日曜日の体育館も使えないとなると今日を最後に1ヶ月以上バレーボールの練習ができなくなる。


来週の日曜日は、荒川区の試合。来月は、たぶん足立区の試合があるのかな?今月、来月と2回しかバレーボールが出来ないとなるとバレーボールジャンキーのオイラとしては、結構しんどい禁断状態になるわけだ。


まだ、3月の日曜日の予定がでてないので分からないのだけどキムラが言うには使えても1~2回だろうとのこと。しかし、学校行事の用意のしっぱなしって休み中に部活動はないのか?両方とも小学校だから、部活動はないのか…?とにかく、オレ的にはそれだけ長い期間バレーボールができないのはとっても残念だ。


そんなことも、無意識の中にあったのか?今日の練習は知らず知らずのうちに2時間半~いつもより少し長い時間、3人でみっちりやってきた。


先ずは対人で30分のアップ~身体をほぐしてから、レセプション~きのう少し痛めた腰の影響もあって、せっかくの新しいボール、感触はよかったのだけれど今日はあまりセッターに入らなかった。


次は、スリーマンと行きたいところではあったのだけど~3人しかいないので、ワンローテ3分半でツーマンを2周。しっかり声をだして、良くボールをつなげてた~おっさん3人での練習でしたが集中しててとても楽しかったです。


そのあとは、ディグからのバックアタック~お互いのスパイクやディグの形を確認し合いながらやったのだけど、自分はうまく修正できず消化不良な練習だった。


お次ぎは、ディグからの2段トス➞スパイク、レフト~ライトの2カ所で。これは、コースに置いたポストには当たったもののレフト側からのストレート打ち、巻き込み過ぎてアウトにしてしまうボールが多くライト側はシビアなストレートが打てなくなっているので、打ち込み本数を増やしてしっかりボールコントロールをしたい。


最後は、自分でワンパス入れてのスパイク練習。バックアタックや2段トスでのスパイクよりは幾分まともに打ち込めたのだが、突っ込みすぎて打点が下がって押し出すようなスパイク~思ったようにボールに力が伝わらない状況、早く修正したい。


これだけの課題、焦る気持ちは全くないのだけれど来週からしばらく体育館が使えないので練習でコツコツ修正出来ないのは残念。心配なのは来週の試合、人数もギリギリみたいなので病人やケガ人が出て棄権などにならなきゃ良いけどなぁ~。


ネーム入りのニューボールを持って、練習後に3人で撮影~キムラ、汗かいて右側の眼鏡のグラスが曇ってる…w




先週末にひきつづき、今週末も…☃

2014年02月15日 | 日記

ソチオリンピックを観ながら、時折雨戸にたたきつけるような雪の音でベランダの雨戸をあけては外を眺める。すると、先週と変らないくらいの積雪と吹雪。


降り始めは、先週の雪とちがい少しベタベタした雪だったけど今時分の雪はサラサラしてきた。吹き荒れるあまりの降雪にウキウキワクワク楽しくなって、防寒着を着込みポケットにコンデジと財布を忍ばせ近所のコンビニまで。


玄関を出ると、一面真っ白!自転車、車、電線、電信柱、信号機、あらゆるところに雪が大量に降り積もってかなり危険な状態。


深夜という時間帯も手伝って、道行く人や車はほとんどいない。あたり一面に降り積もった綺麗な白銀の地面を、自らの足でドカドカ踏みしめる快感は何とも言えないここち良さ。


車の来ない交差点、道路の真ん中でコンデジ片手に吹雪く景色をパチパチ取るのも一興~普段、見慣れた景色がまったくちがう雪国みたい。


吹きすさぶ雪、降り積もった雪を楽しみながらコンビニ到着。品物は、別段不足している感じはなかった。とりあえず、明日の朝昼分の食料を調達してふたたびまっ白な雪の中へ。


こんなに見事な降雪が、週末2週も続けてあるなんてびっくり仰天。先週の雪がすごかっただけに、今日の雪はそれにくらべたら大したことないだろう?と高をくくっていたのだけれど甘かった~今日の雪の方が、被害が大きいんじゃない?ってなくらいの大雪だ。


これから雪は、雨に変る予報だけどその雨も豪雨らしい。一体、明日の朝はどうなってるんだろう?雨で綺麗に溶けて流れているのか?はたまた、カチンコチンに凍ってしまうのか?明日のことは明日になれば分かるので、フィギュアスケート観ながら~とっとと寝よう…(ノ_-)ゴシゴシ



 


 


2014年2月8日(Saturday )『吹雪』⛄️

2014年02月08日 | 日記

今日は、明日の東京都知事選挙で体育館が使用不可なので練習はなし❗️

ま、ここまでの豪雪だと、使用許可が出てても今日の練習は中止だったかな❓

ってことで、以前から今日は練習がないことは分かっていたのでバレーボール以外の友人と今日は久しぶりに飲みに行くはずだったのだけど~それも中止になっちまいました~残念。

首都東京~自然のちょっとしたことで、都市機能は麻痺するってどこの首都も同じなのかな❓大都市東京と言えど大したこたぁ~ないね❗️マジに脆さに、娑婆…。

そんなんで、吹雪の中~ジムに行くのも億劫だし今日は自宅で雪かきなどをしながら過ごしてました。😚

雪かきの回数は4回ほど、玄関先やベランダ、姉貴の部屋の屋根などをしましたが、雪を掻きながら余りの量の多さに~ふと、これほどの大雪は自分の記憶の中ではないような気がした。

何度雪かきをしても、すぐさま降り積もる雪…しかも、ごっそりと積もる。パワー自慢のオレは、体力的には全く問題がないのだけれど~雪かきしている道具が…『塵取り』。

腰のヘルニアで2カ所、煩っているので長い時間しゃがんで同じ格好で作業するもんだから~痛い、痛い(;-_-)ヾイテテ・・・

雪かき用のスコップや腰痛がなければ、もっと楽しく相当量の雪かきができるんじゃないかと思った❗️

で、そんな道具で本日最後の、『ミッドナイト・雪かき』してきました~1時間くらいやってました。

最初はベランダから~今日は4回目だっちゅーのに、ガッツリ~積もってた❗️けっこう広いし、柵が130cmくらいあるのでしゃがんで立っての繰り返しだから腰はしんどかった。

 

だけど、地道にコツコツと終わらせて~次は、柵を越えて屋根の上へ。

タイガーマスクのリング・インのときのように、柵をロープに見立ててジャンプ~『ズボッ❗️』軽く30cm以上は積もってた…😅

その、バッチリ積もった雪を力任せに一気にドバッドバッ❗️と落とせれば気持ち良いのだが、それはできない。

何故かと言うと、塵取りがプラスチック制~たくさんの雪を一気にどかすとその重量に堪えられずぶっ壊れる、もう1つの理由は勢いよく落とすと隣の家の敷地に雪が落ちてしまう、これができない理由~力の持ち腐れ…悲しい😔。

なので、地味にすこしづつ塵取りに雪を掻き取り~静かに自宅敷地にチビリチビリと落とします。雪の重量は2トン近くあったんじゃないかな❓これで、かなり時間を費やしました。まあまあ、疲れた👍

最後は、玄関先にこれまたたっぷり積もった雪をちょちょいとやっつけて~近所を散策して終了😤

それにしても、自宅の敷地にどかさないと行けないので~もともと降り積もった雪に、ベランダと屋根から落とした雪、玄関先の雪…凄い量になった❗️

それに、まだ降り続いてるし最終的にはどんな量の雪になるんだろう❓って、楽しみになのと脅威なのとが相まって楽しい気持ちで~本日の雪かきを終えました。😁

 





"easy come, easy go"~全日本男子バレーボール初の外国人監督、たったの一年で…

2014年02月07日 | 日記

こんばんは、久しぶりに深夜の更新です。


昨日はジムの帰り道、とっても寒くて夜空に浮かんだ三日月があまりにも綺麗だったから一眼レフで、『撮りたいなぁ~』と思うほどの素敵なお月様でしたが~明日も寒さが厳しいらしいし晴れるから明日にしよう❗️


な~んて、甘い考えを勝手に決め込んでたら…本日~曇ってしまいましたから~残念✋❗️…後悔先に立たずやね。波田陽区はいずこへ~❓。


さて、昨日はナショナルチームの日本男子の監督、『ゲーリー・サトウ』が発足1年足らずで解任されてしまうというニュースが流れました。(ゲーリー監督は、ロス五輪のアメリカ代表のエリック・サトウのお兄さんなんだよね。あのオリンピックは、ソ連がボイコットしたので本当の頂上対決は見られなかったのは残念だったけど、アメリカチームの強さは本物だった❗️スゲー感動して俺がバレーボールを始める切っ掛けになった想い出のチーム)。


日本男子始まって以来の外国人監督として期待されてから1年、全くと言って良いほど成果は見られなかったが内情を知るとゲーリー監督は気の毒な感じに思える。(グラチャンなんか、他のチーム相手になるレベルじゃないんだから全敗はやむなし❗️相手が強すぎた❗️)


1つは、ゲーリー監督が新任してからすぐに国際大会があったため、監督自らの選手選出ではなく前任者の植田監督のチームをほとんどそのまま引き継いだメンバーのチーム編成だったらしい(数名、違いますが)。


そんな中、国際大会がひと段落して散々の結果だったわけだが、リオ五輪に向け、『さあ、これから❗️』って段になって突然降って湧いたような解任報道。代表選手にも知らされてなかったようで、twitterでフォローしている越川選手のツイートも驚きを隠せないような感じだった。


気の毒に思うもう1つの要因は、アジアでは、イランの台頭(イランはイタリアを2度の世界選手権優勝に導いたジュリオ・ベラスコ監督を招聘してチーム強化に成功。昨年のグラチャンでは世界ランキング3位と4位のアメリカ、イタリアを撃破。この監督も、以前に日本の監督選考のセレクションに応募したのだけれど日本バレーボール協会は落としちゃったのだよ…。)~ライバル韓国戦での敗退でアジア大会の本戦に出場できなかったのはゲーリー監督のさじ加減1つで突破できるほど簡単ではないと感じた。


さらには、ゲーリー監督が目指していた、『スマートバレー』をこの短期間で実践するには日本代表選手の個人のレベルが他の上位チームとくらべ数段劣っていたために実現できなかったのはあるにせよ、たったの1年で結果出せって?手品じゃないんだし、1年じゃねぇ…ムリでしょ。


そんな現実の中、たった1年で結果を出せなかったから解任❓自分の好きな言葉で、"easy come, easy go"と言う諺がある。『得やすいものは失いやすし、得難いものは失いがたし』である。


そんな言葉の通り、急造の目先の勝利に本物の強さは養われない。せっかくの新外国人監督の招聘(しょうへい)で、何も得ないまま解雇した日本バレーボール協会の安易な判断にはバレーボーラーの端くれとして正直がっかりした。



『DNA』子供たちへ受け継がれる~バレーボール魂…👦👧

2014年02月03日 | 日記

今日は✋😄 先週末、土曜日の練習で1人でネットを張っているとチーム最年長のナオイさんが、『娘?』『ん?』『じゃないよな~??』似てるけど…。そんな女の子を連れてきたので、準備をおえてから話しに行った。すると幽霊部員のオオイシさんの娘の、『サナ』でした!!w

このサナとは、小学校のとき以来かな?会ったのは?。その頃は、お姉ちゃんの方はバレーボールをしていたんだけど、こっちのサナはバレーなんかしないでやんちゃな色黒のガキンチョ~人の言うことも聞かないで暴れ回っていたのを憶えている。

その親のオオイシさんとナオイさんとのご縁は、偶然、新しく買った家が隣で(それで、一緒にバレーボールをやるようになったんだけれど)高校や年齢も違うのだけれど、お互い、『どっかで見たことあるな~?』って話してみたら、『やっぱりそうだった!』意気投合して仲良くなったらしい。丁度、ナオイさんの娘もオオイシさんの娘たちと同年代だったことも手伝って(ここの娘さん達、全員バレーボーラー!w)。

オオイシさんの次女のサナ、話してみたら今はもう15歳だってw。それで、今年の春から都でベスト8の実力のK高校に進学するようです。先日の土曜日も、サナがバレーボールをする姿を見るのは当然はじめてだったのだけれど、身長こそ高くはないが身体能力はかなり高く、攻守ともにバランスが良かった。

ディグやレシーブも良く動いて拾うし、スパイク練習でも一般男子ネットで上手にハーフスピードでコースに打ち分け、コースに置いたカラーコーンに上手に当ててました。やるじゃねえかよ!だけど、2段トスはさすがにボールも中学球より一回り大きな5号球なので飛ばせなかったネw

この調子で、高校に進んでもバレーボールを嫌いにならずに一生懸命に続けていけばレギュラー獲って活躍することは難しくないなぁ~と言うのが、やんちゃなガキンチョから成長した、バレーボーラー『サナ』の俺から見た感想でした。👍

他にももう一軒。チームメイトのヒロユキさんの娘、『ミク』こっちは今年の春から中学生。で、先日、私学の入学試験があったらしいのだけれど、昨日、見事、合格しました!ってメールが来てました!やったね!👊

ミクも、小学校のバレーチームに所属してたのでボクらの練習にもたまに顔を出して一緒にやってたんだけど~さすが子供!どんどん上達してて、久しぶりに見ると、『あら!ずいぶん上手になってんじゃないw😁』ってなってます。

そのミクは都内の古豪、S高校の中等部(ここは中等部を新設して4年目と言うことで、まだバレーボールに関して言えば結果は出てないらしいのですが)に進学してバレーボールを続けることになったみたいで~是非ガンバッて活躍して欲しい!

こうやって、次世代のバレーボーラーが育って行ってる現状を目の当たりにするとバレーボールバカのオイラとしましては、実に嬉しい限りでありますね~😀 自分たちから~その子供達に、波紋のようにバレーボールの輪がひろがって行くのは本当に感無量であります!\(^o^)/ヤッター!!