THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

不定時法腕時計(和時計)~日本人時計師・菊野昌宏

2014年01月31日 | 日記

先日、放送された『好きだモノ…02「腕時計」-NHKで紹介されていた独立時計師の『菊野昌宏』さん30歳。その彼が、全て設計から手作業で全パーツを自分で削り出し組み上げる行程に感動❗️😳


特に、和時計の腕時計化は圧巻(東芝の創業者、「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重の万年時計に触発されて、菊野さんは腕時計づくりの道を歩んだそうです)~さらにコレを薄型化するのが彼の今の課題らしい。下の文章は、彼のホームページの『和時計』の文章をコピペです。ホームページ "Masahiro Kikuno" のリンクを貼っておくので興味のある方は見て~自分は特に和時計がクール❗️って思いましたが、彼のつくる他の時計~どれもカッコイイ😝


2011年、日本人時計師・菊野昌宏が開発・製作に成功した「不定時法腕時計(和時計)」は、12の干支が書かれた駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する「自動割駒式和時計(じどうわりごましきわどけい)」です。


不定時法とは、夜明けと日暮れ(昼)、および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、それを一刻(いっとき)とする時刻の表示機構ですが、日の出と日の入りの時刻が季節によって変化するため、一刻の長さは日々、変化していきます。


江戸時代に日本で製作された和時計は、これに対応するため、季節ごとに干支の間隔が異なる文字盤に交換したり、移動式の駒を手動調整する機構などを開発しましたが、菊野昌宏が製作した「不定時法腕時計(和時計)」はかつての和時計を参考に、この機構を腕時計サイズにまで凝縮した世界初の腕時計です。


この機構における駒は、夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まります。冬至では逆に、昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がります。


また、この時計にはブルースチール仕上げされた不定時法針の他に、通常の時分針も装備され、定時法による正確な時刻も同時に読み取れるように配慮されています。





つながり…😀

2014年01月27日 | 日記

寒い日が続いていますが、皆様、お身体の調子など崩されてはいないでしょうか❓😊


ここのところ、寒さも手伝ってか?練習への参加者が少なくなっているように思われる我がチームでございま~す(寒さは関係ないって、そりゃ問題だな…w😛)。


先日の土曜日、日曜日の練習~土曜日の練習参加者は、蓑島夫婦、野原、矢嶋、林、松下の6人。日曜日、昨日の練習参加者は、木村 、野原、松下 、K北クラブの、佐藤くんと佐野くんの5人でした。


土曜日の練習も、日曜日の練習も人数に関わらずにしっかりいつも通りのメニューをこなして有意義な練習でしたが、寒さで冷えた身体、年齢的な肉体の経年劣化もあるのでこの時期はケガをしないように十分なアップが必要なので、メインの練習を始めるのが少し遅くなってしまうのが難ですね~。


などと言いながら、自分は練習前にジムで2時間くらいワークアウトしてくるので体育館についてからすぐにでも始められるんだけどね…。なんてね~、一昨日はジムでたらたらしてたら体育館につく時間が7時になってしまいましたので宜しくないです❗️(練習開始は、6時半からなので)。反省~ちゃんと時間にはガンバッて行きま~す❗️いつも、ボール持って早く体育館へ来て用意してくれてるミノシマには感謝してます、ありがとうな❗️😝


で、昨日の日曜日は練習レギュラーメンバーのミノシマが体調不良で不参加だったのは残念❗️うちのチームで、しっかり土日欠かさず出席して練習してくれているのは、自分以外には、ミノシマとノハラ先輩。他のメンバーは毎度、どちらかの練習しか参加しないメンバーが多いのですが、やっぱり毎回しっかり一緒に練習に参加していてくれてる、ミノシマとノハラ先輩が欠けると自分的にはモチベーションの部分でダメージが大きいですね。😅


しかし、そうは言ってもそのミノシマの穴を埋めるのもオレとノハラ先輩だと思うので泣き言ばかりは言ってられません❗️昨日も練習後に、朝方まで飲んでやや二日酔いでしたが~ガンバッてきましたよ(何時に帰って来たのか、まったく憶えとらん…😖)。


そんな心意気に、呼応するかのようにK北クラブのヤングパワー2人~佐藤くんと佐野くんが練習に来てくれた👍 うちの面子は、さっき書いたメンバーの3人~それを見かねて、バレーボールの神様がきっと彼らを練習に呼んでくれたんですね。サンキューな~んてネw😛


そのお陰で、昨日の練習は元気な若者ふたりのヤングパワーに引きずられ~いつもより気合いを入れざる得ない状況で、毎回、省エネプレー❓のノハラ、キムラも必死にボール追い掛けてやってました~❗️😅(オレも、お酒のダメージと相まって結構しんどかったのよ~やや、目が虚ろにw👅)


今回みたいに、いつも一緒に練習してないメンバーがゲストとして練習に参加してくれると、それだけで『ピシッ❗️』と自然に場が引き締まるのでとっても嬉しい。今後もこういう他チームのメンバーとの交流、『つながり』は刺激も多いし大事にして行きたいなぁと思います。


バレーボールが引き合わせてくれた、『ご縁』。出逢いがあれば別れの数もそれだけあるのだけれど、自分たちの半分くらいの年齢の人たちと逃げ場のないコートの上で、『一心不乱』にボールを追いかけることができるって、やっぱり誰もができるっていうものじゃないよね~ここまで本気で続けて来たからできる、最高の経験だよね。


『人生一度きり』…。メンバーは少なくなったけど、先輩や後輩達と、今も現役でバレーボールをやってこられて良かったと思う昨日の体験でした。


 


 


1998年~長野オリンピック、『陰の功労者達~栄光の仲間』

2014年01月24日 | 日記

こんにちは✋ 今日は、お日柄も良く❓いや、少しどんよりとした天気ですね~暖かいですけどw😄


昨日、ルームランナーで汗をかきながらモニターを観ていたら今から16年前の長野五輪(自分は、26歳でしたw❗️)~スキージャンプでの金メダルの裏側にテストジャンパー達、裏方達の必死のサポート❗️感動の秘話があったことを知りその記事をブログに転載させて頂きました❗️❗️


暇なときに、人が、自分が、信じられなくなったときにでも見て頂ければ元気が出ると思います。👍


『五輪秘話日の丸掲げるため!テストジャンパーの奇跡』


 今から7年前に行われた長野オリンピック。 日本のスキージャンプチームは、ラージヒル団体で初の金メダルを獲得。 中でも印象的だったのは、原田選手のこの言葉。「俺じゃないよ みんななんだ みんな」


 「みんな」という言葉は、一緒に飛んだ船木、岡部、斉藤の3選手のことだと誰もが思った。 だが、実はこの「みんな」という言葉にはもう一つの意味が込められていた。 これは、命の危険も顧みず、日本に金メダルをもたらした知られざる25人の物語。
 
1998年2月17日、悪天候の中、スキージャンプ団体戦は行われた。 ジャンプの団体戦は、各国4人の選手が4人ずつ飛び、その合計点で争われる。 ジャンプ台から120mの距離には、K点と呼ばれる飛距離の基準点がある。 メダル獲得には、このK点を超えるところまで大きく飛び、どれだけポイントを稼ぐかが重要となる。


 当時最強のメンバーを揃えた日本代表は、団体初の金メダルを狙い、国民の期待を一心に集めていた。 岡部、斉藤、共にK点超えの大ジャンプを決め、日本は早くもトップに立った。次のジャンパーは原田。 国民の期待も高まっていた。 この時、原田の姿を特別な想いで見守る男がいた。 スキージャンプ、元日本代表・西方仁也。


 長野オリンピックの前に行われたリレハンメルオリンピック、この大会に西方は原田と共に代表選手として出場していた。 この時、日本は西方や葛西の活躍で史上初となるジャンプ団体の金メダルを目前としていた。 そして・・・最後はエース原田。 普段通りに飛べば全く問題のない距離だったのだが、失敗。 原田の失敗で日本は2位に・・・手の届く距離まできていた金メダルを逃してしまったのだ。
 
 西方は、目標を4年後、長野でのオリンピックに切り替え練習を再開。 しかし、突如襲った腰の故障により、本来のジャンプが出来なくなり、オリンピックの選考に値する大事な大会で、なかなか結果を出せないでいた。 一方、原田は世界選手権などの国際大会で華々しい活躍を続けた。


 そして迎えた長野オリンピック開催の年。 日本の選手層は厚く、西方は代表メンバーから漏れたのである。さらに、テストジャンパーとして長野オリンピックに参加して欲しいと依頼された。


 テストジャンパーとは、競技の前に飛ぶ裏方のジャンパーのこと。 その飛び方を見て、ジャンプ台に危険がないかを確かめたり、スピードが出過ぎないようにスタート位置を調整したりする。 さらに競技中、雪が降った時などには、飛距離を確保するため、テストジャンパーが何度も飛び、ジャンプ台の雪を踏み固める。 そのため、多い時は20人以上も集められるのだ。
 
オリンピックは、選手として選ばれるはずだった舞台。 ライバル達が晴れ姿を見せる中で裏方としてジャンプをすることに西方が抵抗を感じないはずはなかった。 だが、西方は自分の中でオリンピックに終止符を打つために、テストジャンパーを引き受けた。


 そして、長野オリンピックまで後1週間となった日、テストジャンパー25人が集められた。 そのほとんどが、オリンピック代表を目指した一流のジャンパーである。 だが、代表に選ばれた選手を見るたび、自分もあの場所にいたかったという想いにかられた。そんなある日、原田にアンダーウェアを忘れたから貸して欲しいと頼まれた。 その時、ライバルとして競ってきた原田達が遠い存在に思えたという。
 
 そしていよいよ、オリンピックが開幕。 西方は複雑な想いで原田のジャンプを見守っていた。1本目・・・・失敗。リレハンメルの悪夢が再び起こった。 原田の79.5mというミスジャンプで日本はトップから4位に順位を下げてしまった。


 西方が原田の様子を見に行くと・・・原田はオリンピックの開幕直前、西方が貸していたウェアを着ていた。 しかも、原田のグローブは4年前のオリンピックで金メダルを逃し、今回団体の試合に出場できなかった葛西選手のものだった。 原田は、西方や葛西と共に飛んでいたのだ!!
 
その時ジャンプ台では、日本チームの金メダル獲得を阻む、もう1つの事態が起こっていた。 全チームの1本目が終わった時点で日本は4位のまま。 競技は2本目のジャンプに入ったのだが、吹雪により選手達が滑る2本の溝に雪が積もり、スピードが出にくくなり、飛距離が伸びない状態になっていたのだ。 このままではジャンプ競技自体が成立しなくなってしまう。 そして、競技はついに中断に追い込まれた。
 
再開か、中止か、それを決めるのは4人の競技委員だった。 もし中止となれば、1本目の順位が最終的な結果となり日本は4位、悲願の金メダルへの道は断たれることになる。 全ては競技委員の話し合いにかかっていた。 メンバーは暫定4位の開催国 日本、1位のオーストリア、2位のドイツ、3位ノルウェー、奇しくも1回目のジャンプを終えた時点での上位4カ国だった。


 暫定1位のオーストリアは、中止になれば金メダルが確定するだけに当然、中止と主張した。 暫定2位、3位のドイツ、ノルウェーもメダルが確定するとあって、話は中止に傾いていた。 このままでは、日本の4位が確定する。 その時、日本委員が中止を反対、競技の続行を訴えた。
 
 そこで、テストジャンパーにジャンプしてもらい、競技を続行できるかどうか確かめることになった。 しかし、それはあまりにも過酷な挑戦だった。 高さ138mのジャンプ台から滑空し、時速90km以上スピードで飛び出すスキージャンプ。ましてや、吹雪で視界が悪い上、2本の溝には吹雪で雪が積もり、最悪の状態。 もしジャンプに失敗すれば命さえ危ういのだ。


 しかも、もし転倒すれば競技続行は危険とみなされる可能性が高い。 それはすなわち、悲願の金メダルが絶たれることを意味していた。 あまりに重いプレッシャーが25人に伸し掛かっていた。


 その時、西方が他のテストジャンパー達を鼓舞した! すでに西方の中でわだかまりは消えていた!!最初にジャンプを行うことになったのは、高校生ジャンパーの梅崎慶太だった。 だが、天候はさらに悪化、果たして・・・。 完璧な着地を決めた。 すると今度はジャンパー達が間を置かずにスタート台に。 これは、西方の作戦だった。


 雪が降り積もる前に溝を固めていけば、飛距離は伸びてくるはず。 飛距離を伸ばし、競技に支障がないことをアピールするのだ。 断続的に降る雪の中、溝を固めるのは困難を極めた。 さらに、転倒が許されないというプレッシャーの中、テストジャンパー達は次々と跳躍した。 そこには拍手も歓声もなかった。 日本の金メダルのために、彼らが必死に戦っていることを知る者はいなかったのだ。


 そして、何と24人が無事にジャンプを成功。 転倒した者は一人もいなかった。 皆が恐怖心とプレッシャーに打ち勝ち、自分の役割を果たしたのだ。最後は西方だった。 ここにきて雪はさらに勢いを増す。 しかも、この時 彼はある重大な事実を知らされていなかった。それは、西方が代表選手並みの大ジャンプをしたなら、競技再開を認めるというものだった。


 そんな条件など知らないまま、最後のテストジャンパー西方がジャンプ台に登った。 これ以上ないという悪条件、果たして西方は大ジャンプをみせられるのか?それは・・・代表選手をも超える大ジャンプだった!! 飛距離はK点超えの123m!!!


 そして、競技は再開された!! 日本の逆転金メダルを信じて、25人のテストジャンパー達が夢を繋いだ瞬間だった。 西方は原田に「俺たちは自分の仕事をやったぞ、次はお前の番だろ」と声かけたという。
 
暫定4位の日本が金メダルを獲得するには、120m地点にあるK点を超え、得点を稼ぐ必要がある。 そして、日本チームの2本目のジャンプが始まった!! 1番目の岡部、2番目の斉藤、共にK点を超えた大ジャンプ!!


 そして、3番目の原田。 137mの大ジャンプ!日本はトップに躍り出た!!! そして最後のジャンパー 船木。 上位3か国の競技はすでに終了、日本が金メダルを獲得するには115m以上飛ぶ必要があった。


結果は・・・125mの大ジャンプ! 日本は悲願の金メダルを獲得した!
 
西方さんは、自身が穫ったリレハンメルの銀メダルより、長野の金メダルのほうが感動したという。
原田選手の「俺じゃないよ みんななんだ みんな」。


この言葉は、他の3人のみならず、金メダルへの夢を繋いだ25人のテストジャンパーへ向けた言葉でもあったのだ!!
 
2014年2月7日、いよいよ開幕するソチオリンピック。 今回男子のジャンプの団体には、5名の代表選手が決定。 中でも先日ワールドカップで優勝を果たした葛西選手は、実に7大会連続のオリンピック出場となる。


 長野以来、16年ぶりにメダル獲得が期待されるスキージャンプ。 そんな選手達を見守るのが、代表選手のコーチを務める原田雅彦さんだ。
「指導者として裏方として私も選手達の役に立ちたい」と原田さんは言う。 果たして今回は、どんなドラマが待っているのか? あの感動を再び!!



 


sense of responsibility.

2014年01月19日 | 日記

ご無沙汰してました~って、ツイートはしているのでそうでもないですね~😛 しかし、今日の日中は、天気は良かったけど台風のような暴風でおもてはめちゃくちゃ寒かったですね~😱


自分は、風邪っぴきで体調不良の一週間~。始めは胃腸の具合がわるかったんですが、その後、喉が痛くなり~咳と鼻水…完全な風邪ですね、不注意が招いた結果でした。それほど日頃、不摂生をいしているわけでもないのですが、年末年始の数日、朝日が昇るまで飲んでたりした日が何回かあったくらい。


以前は、そんなこと毎週してもへっちゃらだったけどやっぱりこの年くらいになると、すこしづつムリが祟るようになってきましたね。自分のことながら、情けない身体になってきてるんだなぁと実感する42歳~新年明けて二週目の一週間でした。


しかし、ここのところ異様な疲労に襲われることが多々あり、どこぞの具合でも悪いのではないかと自分ごとながら危惧しております。『なんでだろ~なんでだろう~なんでだ~なんでだろう❓』ってな具合に、ただの取り越し苦労であれば良いと思ってもいます。


そんな中、昨日の練習もみなさん気合いがあまり入ってない❓つまらなそうな感じで(そういう風にオレからは、見えただけなのですけど)様子で、『何のために、練習してんだろう❓』などと思ったりしてしまいました。まったく練習にこないメンバーとくらべればまだマシなのかなぁ❓とも思うんだけど、そんなレベルで良いのかな❓と、異様な疲労感に一人襲われながら勝手に思ったりなんかしたりして…。


昨日は仲間の悪気に引きずり込まれないように、自分の異様な疲労に飲み込まれないように大きな声で吠えながら練習してきました。周りの嫌な雰囲気に飲み込まれないためにもネ。だけど、いろんな意味でバレーボールをするときは大きな声を出して『鼓舞』するってことはとっても大事マンブラザースバンド。


戦国物のゲームには付き物のアビリティ~『鼓舞』ってよくあるんだけど、これとってもシンプルなんですが有効なんです。シンプルなのに出来ない人が多いんだよね~そんなに難しくないのに。大きな声を出して動き回ると声を出さないでプレーするよりも確実に、『倍』は疲れるから~それがしんどくて出さないのか❓恥ずかしくて出さないのか❓う~ん❓効果絶大な手段なんだがなぁ。


それにしても、最近とくに、『何だかな~』と思うことがある。仕事したり家族がいたりバレーボール以外で大事なことがたくさんあるのは分かるんだけど、それはみんな一緒でしょ❓それなのに、人任せにし過ぎてるメンバーが多いような気がする。


たかだか、土曜日と日曜日で週4時間の練習に、『全く来られない』ってどういうことなんだろう❓一週間で168時間、一ヶ月で720時間、コンスタントに毎週びっちり練習出来てバレーボールをする時間は、一月で16時間。一ヶ月のトータル時間の1/45しかないんだけどネ。


確かに、週末の休日はプライベートを満喫する大事な時間ではあると思うけど、『今年も一年、バレーボールを東輝会をやる❗️』って決めたからには~毎回欠かさず頑張って参加している仲間がいるのに薄情だな~と、ここのところ特に思うのです。


毎回、来いとは言わないけど、これだけ短い練習時間しかないバレーボールタイム。それさえも、ほとんど参加できない仲間の現状ってどんなだろう❓好きなときに参加して、来れないときもな~んも連絡入れないで…。そんな話しを今日の練習へ向かう車の中で、ミノシマとしみじみ~どうしたら良いものか❓って話しながら行きました。


もう、バレーボールがやりたくないなら別に仕方ないけど~情熱が冷めるときが来るのは分かるけど、やるって決めたからには、それぞれ一人一人の、『責任感』ってどんななんだろう…❓


だけど、そんな中でバレーボールを今日もしてきたけど、ヒロユキさんの娘のミクが来て一緒にバレーボールやってると嬉しくて。チーム、自分の為にだけにバレーボールをやってるって思ってしまうことが多いけど、こうやって新しい世代が一生懸命バレーボールを初めてくれてると思うと、それだけじゃないんだなって…。


ま、そんないろんな試練やちょっとした嬉しいことの連続が自分を大きくさせてくれているんだと思えば、またまた~『自分勝手』な責任感が、ムクムクッと湧き上がった今日の練習でした。👊😜



 


 


 


ハッピーマンデー❓成人式の日、3連休~最終日🎉🎌

2014年01月13日 | 日記

2014年度の成人の日の今日、平成生まれが続々と大人になってるわけで~昭和生まれの自分、時代のながれをそれなりに感じています。


自分の成人式の日は、何をやっていたのかと❓記憶をたどると~成人式に行くのは面倒だったので、自宅に居たところ、父親に成人式に行かないのなら親戚の家に挨拶に行って来いと言われたので渋々~近所の親戚宅へ、1人挨拶回り(一応、正装して❓👔)。


10時頃に自転車に股がり出掛けて、近い場所~。母方の兄妹宅4軒、父方の兄妹2軒、計6軒~自宅に帰宅したのは18時くらいだった。少し、ぐったりして自宅で転がっていると中2、中3時代のクラスメイト5人が、『松下く~ん』って、何だか懐かしいですなそんな声の掛け方。w


ベランダから顔を出すと、思い思いのスーツに袖を通した懐かしい顔が数名…。その頃でも、3人くらいはしょっちゅう遊んでいたので~他2人は中学校以来でネ、髭が濃くなったS鳥、身長が急激に伸びたS戸、ニヤニヤして玄関さきに居ました。


その友人達は、綾瀬にある東京武道館の成人式に出かけ久しぶりのメンバーとも再会したみたいで、むかえにきた時間まで適当なことして遊んでたらしく、ついでに家に来てくれたらしい。(記憶が定かじゃないけど、そんな感じだったネ)


で、『何処か、行く❓』見たいな感じで土建屋の社長の息子のM樹のタウンエースで高速道路に乗って、鎌倉の『鶴岡八幡宮』。この時期は、みんな車の免許とってからそんなに日が経ってないので、自宅の自動車借りて遠出したがるんだよね~自分もその口だったけど。w


足立区から、鎌倉まで高速つかえばそれほど時間はかからず~急がずとも、1時間半くらいで現地に到着。有名な、『鶴岡八幡宮』でさえ夜遅かったのもあってだろうけど、全くって言っていいほど人がいなかった。


そんな閑散とした境内のあちこちで、成人の日の記念撮影~📷(当時は、『写るんです』が便利で流行っててね)。 1時間くらい滞在したかな❓みんな違う高校に進学したので、その時の現在のあれこれ~話しながら懐かしい時間を過ごしたのが成人の日の想い出…。🌌


あれから、今年で23年の月日が経過するわけで、あの頃のみんなは今頃何をしてるのだろう❓などと、齢だけを重ね、大人になり切れてない自分との違いを見てみたいものです。この時期になると、あの時のみんなの顔と鶴岡八幡宮~思い出しちゃいますね。


※ 写真、オレ以外の旧友達は最近会ってないのでプライベートに考慮し軽くモザイクを~って。しかし、23年前から親指を立てるポーズは変ってないオレ…😝



1月7日(Tuesday)ママさんバレーの練習へ。

2014年01月08日 | 日記

今日は、パソコン作業を長時間していたせいで~変な疲労感…。こんばんは✋😑 。今日は、今年最初のワークアウトをするはずだったのですが、友人の中学時代の同級生のママさんバレーの練習へ手伝いに行くのを忘れてました。なので、今年最初のワークアウトはまた明日に順延ということになっちまいました。


と言う訳で、今日はママさんバレーへ行ってきた訳ですが、場所は自宅から自転車で2分のチョ~近所の小学校で、通っていた小学校ではないのですがそこのサッカークラブに所属していたので、かれこれここを訪れるのはそれ以来~30年少しぶり❓でしたね、懐かしかった。


ちょうど7時に学校に着くと、一緒に練習するミノシマ一家が校門に…。校舎の裏をまわり体育館へ~途中、小さな池がありミノシマ家の娘のアカネが右足を池に、『ボチャン❗️💦』笑かしてもらった~w。そんなこともありながら、体育館へ突撃すると既に皆さんハードな練習を開始してました。今日のママさんバレーのチームは、足立区で1番強いらしくお相手するのが少し楽しみでした。


練習は既に始まっていたので、とっとと着替えて体育館へ入ると懐かしい顔、修徳高校の先輩~アシカワさんが❗️(自分は修徳ではないのですが、知人を介して仲良くして頂いた先輩)10年ぶりの挨拶をかわし、そのアシカワさんとミノシマ夫婦とアップ。


アップを終了すると、ママさんバレーのコーチ兼監督のようなお方の指示でママさんバレーの練習のお相手。まずは、一緒にスパイクの練習~さすがにネットは、家庭婦人用なので低い❗️少しジャンプすれば、どのコースにも自在に打てる感覚はもう何十年ぶりだろう。


スパイク練習を終えると、今度はチャンスボールからの攻撃をボクらがブロック&レシーブ、繋げたらチャンスボールで相手コートに返す練習。さすがに足立区で1番強いチームだけにオフェンス力もかなりある、しっかりコースに打つ技術とブロックアウトをとれるところは両サイドのエースの方々~お見事でした。センターのお二方も、ブロックを器用にかわし両サイドラインに打ち分けてました。


そんな練習の中、一つボールを落とすごとにコーチの厳しい指導の激❗️それに応えて、必死にプレーするママさんバレーの方々~何だか懐かしい風景でした。そんな方々~とってもモチベーションの高いチームとお見受け、一緒に練習していて気持ちよかったです。


その後は、チャンスボールからの乱打~なるべく、ママさんバレーの人達のブロックの高さで打とうとしたのですが何分身長がちがうのもあり上から打ってしまって上手に練習相手になれなかった部分は反省。😕


最後は、一セットマッチのゲーム。こちらに、ママさんバレーの3人のレシーバーとお手伝いのボクら4人の合同チームで対戦。サーブは強烈でしたが、四号ボールで軽かったのでそれほど自分は苦戦しませんでしたが、サービスエースをけっこういいところで獲られちゃいましたね~オレじゃないよ。👀


なかなか、家庭婦人のバレーのルールに慣れず躊躇しましたね、それも手伝って終始3~4点リードされながらのゲーム展開。それでも、ムクムクと負けず嫌いの虫がうずいてきて~終盤、5~6点離されてから少し気合い入れちゃいました~ブロックたくさんして気持ちよかった…🙆 それでも、上から打つことはしないように気を付けコース打ちしたりブロックに当てたりしながらネ、がんばりました。😋


結局、3点差くらいで負けちゃったんですけど~楽しかったです。ママさんバレーのみなさんのやる気、厳しいコーチとの関係性がとっても良かった。👍


やっぱり、ダラダラやられると一緒にやっていても気持ち悪いけど、今日見たいにチームで一致団結して同じモチベーションで練習する姿はお手伝いでも何でも心地の良いものでした。また、機会があったらよろしくと言われたので~快諾👌自分の忘れていた感覚のトレーニングにもなるので、こちらこそよろしくお願いします。ってな感じで、今日の練習を終えてきました。◎



 


 


2014年1月6日(Monday)ことしもよろしく👍😊

2014年01月06日 | 日記

新年をむかえ、心機一転ことにのぞむ人もいれば、昨年から継続して何かを為そうとしている人もいるとおもいます。とにかく、新しい年~2014年もできる限り張り切って行きましょう。👊😙


さて、年末28日のチームの忘年会から一週間ぶりのブログの更新。その間の一週間は、例年にないほど大人しくしていた年末年始でした。(毎年、飲みの席が多く身体を壊す時期なんですけどw)日課のワークアウトも、28日の忘年会の前にやったのが最後で昨日のバレーボールの練習が一週間ぶりの運動でした。


ジムの営業日も年末は29日までやっていたのですが、忘年会の翌日~その日も、横須賀から参戦した高校バレー部の同級生のH間と始発が動くまで飲み明かしていたということもあり、飲み疲れて(;´ρ`) グッタリ~してワークアウトする気にはなれませんでした。


年明けは、2日からジムは営業していたらしのですけど、2日は神田明神へ初詣。翌日の3日は、いただいた年賀状の返事を一日中~作成。4日は、日中買い物へでかけ、夕方から後輩と3人で新年会。1人は途中いつの間にか消えてましたが、最後は2人で朝までやっている中華料店でしっかり日が昇っている時間の6時30分まで飲んだくれていました…つ、疲れた。そんな感じで、ワークアウトからは、しばし離脱し、『NO❗️運動DAY』な日々を過ごしてました。👍


さすがに、そんな感じで前日~朝までのんでいたので、昨日のバレーボールの初練習はけっこうしんどかったです。昼くらいまでは、完全な二日酔い状態で喉はカラッカラ❗️脱水症状に、お腹はゴロゴロ~。😱


3時くらいにお腹が減ってきたので近所の弁当屋で弁当を買ってきて食べたら、胃腸の機能が著しく低下していたために~ふたたび体調不良。『もうすこし、寝ていれば何とかなるかな❓』って感じで、練習へでかけるまで寝ていたら何とか復活。しかし、練習始めてすこしして…やっぱりネ~疲労感、ドット❗️襲ってきて相当しんどかった…。だけど、他のみんなも頑張ってたし年明け最初の練習だったので何とか最後までやり遂げました~😓


って訳で~クタクタで帰宅し、眠い目をこすりながら観たかった大河、『軍師、勘兵衛』と『のぼうの城』のビデオ。『勘兵衛』はぐったりしながらも全部観て、『のぼうの城』は始まってすぐに熟睡してました…😴 大河の方は、まあ、ボチボチな感じ。『のぼうの城』は再度観なおし👀~相当、期待してなかった分、評価大❗️とっても良かったです。


それから、いまブログを更新しながら、『私の何がイケないの❓』って番組を観ていたが、『痛快❗️ビッグダディ』で一躍有名になった元嫁の、『美奈子』が背中一面に入れたタトゥーをさらして、番組ゲストがそれを中傷するコーナーがあったのだけど、制作者側の意図があまりにも稚拙でくだらないことと、それをやらなければならない出演者陣にも嫌気がさした。そんな番組を観ながら、どんな仕事でもお金を稼ぐのは大変だなぁと…。


本日の月曜日は、ジムの休館日。明日から、ことし最初のワークアウトを再会させたいと思いま~す。😮 みなさんも、健康第一で日々の運動をおこたらず、健康で健全な身体で2014年という新しい荒波を乗り越えて行きましょう❗️ちゅ~訳で、ことしもよろしくお願いします。🙇