私は逮捕されてから釈放されるまでの間、担当した主人公のI 刑事を尋問、いや質問した。
さて、指示を下した(遺言)とされる署長は病気で入院中であった(その後K署以外の部に復職)が、「窃盗(こそ泥)担当から署長に昇り詰めた人で、そうした忖度が働くか否か」(同元幹部談)と疑問の声もあった。しかし、実直だからこそと、そういう想定もされてくる。いずれにしても、担当のI刑事、同課長は真相を知っての無理な強制捜査であった事は確か。
「逮捕は誰の決断か」
事情聴取もない、あの大地震の最中での7、8名も動員した強制捜査の責任者を尋ねた。
『課長(K警察署刑事課長・2016年)』
Iは続けた…。
『実は署長の遺言でな~』
意外な名前と背景を出した。
翌朝、留置所での体操の時間、その話を同署管理課職員に語ると、彼は『まだ生きて居られるのに、遺言とは失礼な』と怒って返したが、上から指示のあった強制捜査であった事は明らか。
即ち、警察が嫌う民事に近い金銭事案で、まして刑事事件という事案であったとしても畏怖、金銭の交付からして犯意の想定しにくい事案について、果たして所轄署が、所轄署の命運を賭けて強制捜査に入るか、そういう漫画のストーリーのような疑問である。
結論から言うと、私から言う事件は、告訴を受理しての捜査ではなく、被害者とする話のみを端緒として事件化を図ろうとした、意図的な別件逮捕。
担当したI 刑事は、熊本市内ではメジャーと評される中華料理店の子息と、高校時代からの友人関係にあると漏らした。実は同店オーナーとは知己を得ていた事もあって、解放された後、そこで待ち伏せしてでも悪意を感じる行為があったならと、そんな子どものような気持ちも抱いたが、長い留置生活の中で、それも薄らいでいった。
Iは最初の段階で漏らしたが、「市内の北に戻りたい(事実その後、希望の署へ栄転)」、「退職後はD(本筋とは異なる社名)に就職できるかな」という話を思い出すと、釈放の際の詫びとも思えるセリフも加えて、彼も被害者という思いさえして来た。
さて、指示を下した(遺言)とされる署長は病気で入院中であった(その後K署以外の部に復職)が、「窃盗(こそ泥)担当から署長に昇り詰めた人で、そうした忖度が働くか否か」(同元幹部談)と疑問の声もあった。しかし、実直だからこそと、そういう想定もされてくる。いずれにしても、担当のI刑事、同課長は真相を知っての無理な強制捜査であった事は確か。
無罪放免された後、弁護士は告訴するか、監察部に申告するかとアドバイスしたが当時、私は「保留」と応えた。
それはK署から釈放された際、出迎えてくれた県警本部の刑事らへの礼でもあった。
しかし私は、ここまでの話を県警関係の10数名に既に伝えている。判断は、彼ら自身にある。
さて仮に想定通りなら被害の内容からして、それは反社会的で、その逆怨みとされた右翼団体と私との繋がりだ。
実は該当の入札前、複数の業者から「MとKは『貴方が右翼を動かしている』と言っているが、そんな金は貴方にはないと言ったけど…」
私と右翼との関係を疑っていると、電話が確かにあった。
その想像する根拠が、最近になって浮上した。
私にはf 氏という異色の親しい知人が居る。そのf 氏が親しく、親しく無いの関係で繋がった事のあるのが右翼団体S である。
同時にf 氏は、主人公側のK とは親密な関係(現在はK側から疎遠)で当時 、私の取材活動をf氏はKに報告していて、またf 氏と団体Sとの関係もK は詳しく承知していたと、それを知らされた。
結果、f 氏の企画で私、そして団体Sを使って、彼らの計画(謀議)潰しに入った、そういう想定が成されたという読みである。
想像の世界の仮説的な相関図だが、時系列的に検証すると、納得せざるを得ない話。
しかし私は、その結果で誰も好んで経験しない不当逮捕によって、21日間にも及ぶ初めての遠足を経験したどころか、社会的に大きな信用、名誉を失った。それが、未だ復旧への予定課題の多い憤怒の災害。
その代償とは何んだったのかだが、活かされたK市の1億円だとすると、そんな事を理解する市民が果たして居るかと、自ら首を傾げてしまう。
最近、熊本市へ下って来て、ここで生活を始めた頃に顔を合わせていた女性と、何十年ぶりかで再会した。
その彼女が開口一番、『何年か前、逮捕されたと記事を見たけど、大変だったね』と笑って顔を覗いた。私は、幸いにまだ生きていた…。