NTT九州はこの秋、熊本市西区池田町に複合施設(工事費約11億円)を建設するが、同工事の発注に絡んで福岡県(11区)の武田良太代議士の名前が浮上。
同代議士は全国大手ゼネコンなら熊本営業所長でも承知の人物で、建設業では特注の代議士。ちなみに郵政族とも称された野中広務元代議士が、自民党公認には後押しと語られる。
この武田代議士がなぜに熊本の事業に介入して来るかと疑問になるが、同代議士を引っ張り出したのは故松岡代議士の元事務所関係者。
現役職時代は活発な政治力学を発揮した元秘書だが、10億円規模のNTT事業において、しかも建築の発注先は同社関連の共立(建設)に内定という段階にあって、「求める意図とは何なのか?」ということになるが、想定されるのは「NTT九州による今後に続く事業」である。
そこで「そういう意図での大塚企画(コンサルト)の送り込みか」 と、続きは質問サイドから返ってきたが、「故松岡事務所の関係者、大塚企画からの挨拶から始まるのか~」と同建設業者は肩を落として憂鬱な表情で続けた。
民と民との営業プロセスだと理解はしても、彼らには気の重い受注競争になることは確か…。
昨年、熊本市中央区に本社を置く(営業本部・嘉島町)建築材料のK商店に国税が特別監査に入って、同社は課徴金を支払った。建設業者の大方が「真面目過ぎる」という印象の通り、同社には予期しなかった特別監査であったが、背景には後述するZ社と建設会社との取引による一次特別監査があった。
国税は昨年、連動汚職事件の最中、上天草市で同市の漁協に入った後、メガネ販売のトップ企業にも不動産売買に絡んで特別監査に着手し、そして続いて地元企業グループの統括社であるZ社に踏み込んだ。アベノミクスをフォローする意味で税収を図るという趣旨にあるが、一方には検察とともに「悪は放置しない」という姿勢で調査権を行使しているのも確か。
ところで建設会社との取引でK商店への二次監査を招いたZ社グループは、親会社のイメージ広告がプロバガンダ効果を発揮して、いまや全国区のメジャー企業。だが、過去には同グループの警備会社が自ら窃盗事件を発生させ、同社社員による労基法違反容疑の通報は頻繁で、労基監督署では同容疑の「常習企業」という印象にある。また同グループの総合病院では、敷地で囲んだ調剤薬局という「厚生労働省通達違反」があって、県内の調剤薬局、総合病院辺りには沈黙の批判が多く存在する。
同グループの警備会社には当時の本部長が猛反対する中、県警OBを迎えて企業の健全化を図ったという実績もあって、さらなる監督官庁とのパイプづくりが予想されるが、同社の創立期を知る経済人は「国税の特別監査だけは阻止出来んよ」と呟いた…。
八代市は16日、新環境センター建設と同運営について、予定通りというか「日立造船が落札」と発表。
当初、同計画事業費は68億円でスタートし、それが88億円、128億円と増額して、終わってみたら運営費まで180億9500万円。この驚愕な2倍以上の増額(資金確保)に努めたのは八代市の執行部となるが、実質的には中央関係省への陳情、要請に側面から尽力した人物とは、それは同市議会の建設委員長でもなければ、そうした政治力学で若葉マークの金子代議士でもなく、関係省に二世と続けてパイプを持つ某代議士事務所…と見られている。
また同事業の計画策定、基本設計をF社が受注したにも拘わらず、同市は事業実施に「設計管理とアドバイザー」というポジションを新たに設けて入札を実施。この新たな参加事業者の設定も不可解ならこの時、先のF社を同対象から除外したのも不条理な経緯だが、落札したのは先の某代議士事務所とは密接な関係のエイト日本技術開発。
当初から「日立造船グループ」への発注意向にあったと、その売り手市場からこの某代議士事務所を想定はしないが、ここでの環境施設事業においてもキーパーソンとなったのは明らか。
昨年9月、同市議会の建設委員長が上京した際にこの某代議士事務所の秘書(S氏)と面会したという噂。そして、神戸製鋼グループが「敗北宣言」を東京から発信したのは、その後日であったということを考えると、上記とこれがリンクしていることを否定できる材料があるかどうか。
振り替えると今回の発注先については昨年7月、「新日鉄住金が金子代議士を使って画策」と出たが、若葉マークの金子代議士が180億円もの大規模事業に腕を振るうなど失礼ながら無理な話。
続いて飛ばされた情報は、「中村市長が審査委員会で『神戸製鋼の支持』を意思表示」というものであったが、政治工作としてもこれは愚の骨頂で想定外の話。この二つの噂は、いずれも「日立造船グループ」から発信された。
東京での密談と、「神戸製鋼グループの敗北宣言」を理由にして「日立造船グループへの発注内定」を発信すると、この日立造船グループは「名誉棄損」どころか「損害賠償請求」を求めて反発。天に唾する行為で、利権屋の焦りから来る自爆行為。
非価格要素で負けて、価格要素で逆転という「日立造船グループ」の背景は語るまでもなく「審査委員会とはセレモニー」であり、価格要素による落札とは裏を返せば特定の政治力学による結果。
そこで「社会環境への配慮より価格の優先なのか」と、地域政治の原点から「再入札」を求めて否決の姿勢を見せれば、「行政のロス」という壁を持ち出して反発が予想されるが、5年前後も計画年数を費やして、これから30年以上の事業となると1年の延期は決して無駄ではなく、市民が負担する事業ということも考えると、特定の「貢献による自宅建設」といった噂の一掃のためにも「否決」が妥当であって、それが公正、公平を求める市議会議員の役割と思われるのだが…。
新聞が衰退の一途を辿っている。その新聞離れは、県内トップの地元紙にあっても二年で三万部数以上の激減を見せると、「報道もテレビに奪われた」、「IT時代の到来による影響」だけで片付けられないことは確か。
ところが肝心の彼らに危機感のないところは職業柄か、「どこ吹く風か」は見方によっては魅力でもあるが、攻め一方の飛車角は危機管理となると極めて疎く苦手。
ところで、彼らが圏域外として上から目線の情報紙には、首長を辞職に追い込んだ実績はあっても、新聞にはない。
秋田県知事を辞任に追い込んだのは一人の地方議員が発行する情報誌で、元総理を退陣させたのも月刊誌の特集。当時、西山記者事件を経験した各社の政治部記者は「常識」と逃げたが、そこから新聞の衰退が始まった。
いままた、朝日新聞の誤報事件が新聞にはアゲインストとなっているが、そもそも新聞は常に市民の側にあって、市民の思想、判断力、価値観に大きな影響力を与えるもので、それを忘れてはミスも出る。
「菊池市大琳寺を中心とする7万平方メートルにイズミ(広島市)が大型複合施設を計画し、同社はすでに地権者説明会を開き、約40名との売買契約もほぼ終了して、全ての合意が得られれば年明けにも着工に入るとみられる」
11月6日、地元紙は写真と簡単な予定地図を添えて、夢タウンの菊池市への出店計画
を報道。
しかし、これが記者のフライング…。 ペンは一国の総理も倒すと教えられてきたが、発信される情報が政治や経済に大きなインパクトを与えるというのは、大方の市民にあっても常識。 イズミの出店報道でも早速、該当地の隣接地を活用場所に薦めて、金融機関筋が地元経済界を走った。 ところが、この「菊池市に夢タウン」という報道は勇み足であった。 「打診もない」
菊池市都市整備課が、誰一人として関係者の顔は覗きに来ていないと語れば、その前の段階にある該当地の地主は、 「説明会、売買契約と、こちらが聞きたい」 (該当地入口の主要地主) 首をすくめて両手を広げ、逆に真相を求めてくる始末。 そして、当事者であるイズミ側が「現地説明会、契約とか、その記事に驚いた」(同社開発部九州担当Y氏談)と応えると、この報道は明らかに勇み足。 二年程前からイズミが菊池市で、熊本市内の不動産業者を通じて該当地他において、その出店候補地を探していたのは事実。 ところが該当地は複雑な所有権の背景、そして地主自身の計画や思惑等も重なって、同出店の構想はスタートラインで足踏み状態というのが、実は真相。 字にした記者は「計画話としての記事」と説明したが、その弁解通りの記事なら妥当な報道。しかし極一部にしても経済を誘発させた「説明会、40名の売買契約、来年着工予定」という記事の中身を考えると、明らかに負となるミス。 同紙はこの夏、イベントにおける観客動員数でも割増(1・5倍)の記事を流した。主催者側が意図的に該当自治体へ渡した数字において、「紙をくれと来たので、そのまま渡した」(該当自治体担当課談)と、そのデータを受け取り、そのまま掲載。 これも単なるイベントの観客数ではなく、記事の数値が訴訟の一つの争点となるだけに 記者としてはフライング。
何がニュースで、そこに疑問、不可解な点はないか、そうしたことを考えるジャーナリズムが記者には必要だが、なかった。 問題視された他人の取材手法、誤報で萎縮するのもそうだが、初歩的な勇み足も記者という誇りを置き忘れた結果。 「新聞記者はヤギ」 これは中央官庁の役人が吐いたセリフ。 STAP細胞騒動で、該当リーダーの博士論文にアメリカ研究機関からの「コピペ」があったと報じられたが、彼女を追求した記者ら自身も公共機関他からもらったペーパーをコピペして報道。 病院の待合室や喫茶店で新聞各紙を見比べている人なら承知だが、各紙の内容はラジテレの番組面だけでなく、ほとんどが同じだ。 福岡県では地方版で写真、そして頭から尻の文字まで全く一緒という珍事まで見せた…。 何で新聞は一様にして同じ記事なのか、という点だが、それは記者クラブの存在にあって発表ジャーナリズム、また公的機関が配布する紙で全社が記事にするとなると、それは「金太郎飴」になる。 公的機関や政治家は、「放った内容」について忠実に報道する新聞をイメージづくりの小道具としか見ていないわけで、これが先の「紙をくれとねだるヤギ」という評の裏。
資料をコピペするだけの「発表ジャーナリズム」で、その相手の権力を監視するなど無理なことは当然。 四年程前、全国某紙の熊本支局が公共工事の入札疑惑について、その証拠を突きつけた追求記事を放ったが、その結果、該当地から同紙の「販売店」を探しての電話が続いた。 新聞記者らの「抜いた」、「抜かれた」というのは、彼らの特ダネを巡る競争で、そこには「特落ち」、「後追い」という敗北記者も生まれる。こうした競争が部数の増加、維持に努めてきたことも確かで現在、これらが「死語」となりつつある。 「やがてヘッドも調査取材は未経験という時代がやって来ると思われるが、そういう意味でも地方の御用新聞は懸念される」 全国紙の特別取材班で活躍中の記者が、内部批判の中で語った新聞社の明日。 それではテレビが報道で新聞の代わりを務められるかとなるが、キー局の中継化がますます加速する中で、独自の地方ネタは切り捨てられるという見方もある。正しく「地ダネニュースの受難」である。 記者とは時の内閣も倒せるという職業の時代が、この日本にもあった…。