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トライアスロン初心者講座 歴史編 その1 アイアンマン起源の真実

2020-02-24 02:48:56 | トライアスロンがわかる

アイアンマン創世記  

    鉄人誕生

トライアスロンという競技の中でも、この「アイアンマン」という名称には深い意味が込められている。

「最も過酷なスポーツの頂点に立つ者」

時は1978年、この称号を得るために15人の男がハワイの地に集まった。

そしてこれが全てのレジェンドの始まりとなった。

(とことんトライアスロンがわかる本より)

 

「アイアンマンのアイデアは酒席で生まれた」という誕生談は、今やトライアスロンの発祥を語るうえで

欠かせない伝説的なエピソードになっている。

 

主人公は当時41歳、アメリカ海軍中佐のジョン・コリンズ。

エピソードはホノルル海軍基地に勤務していた1977年2月のある日。

場所はプリモ・ガーデン。

当時コリンズはフィットネス志向が高じランニングやスイムの耐久レースに出場するようになっていた。

 

あるランニングイベントの表彰パーティの席上で

「世界で最も競技能力のある優れたアスリートは誰か?」

というテーマで各人の持論が展開されていた。

その時、コリンズが推したのは不滅のサイクリストのエディ・メルクスだったらしい。

ハワイでは毎年、3.84km(2,4マイル)のワイキキ・ラフ・ウォータースイム、

180.2km(112マイル)のオアフ島1周バイクレース、

42.195km(26.2マイル)のホノルル・マラソンが開かれていた。

その内で一番大変な競技はどれであるか? と議論は発展した。

身近なスポーツの話であり、アルコールも入り、議論はだんだん熱を帯びていつ果てるともなく続いた。

コリンズは議論に終止符を打つため、バンドが休息に入った隙間を縫って舞台に上がり、

会場にいた参加者に向かってこう話し始めた。

「ワイキキ・ラフ・ウォーター・スイム、オアフ島バイクレース、ホノルル・マラソン3つをリンクする。

この3つを一人ですべて行う。 一つの種目が終わったら次の種目に移るんだ。

すべて完走した人にはアイアンマンの称号を与え、世界最高のアスリートとして認めよう。

決行は1年後の2月、ワイキキの浜辺で諸君の参加を待つ!」

ということでその場の話はついた形となった。

 

言いだしたコリンズは酒の席だから、冗談に思っていたのだが、

話を聞いていた他の人に催促されて、引くに引けず1978年2月に第一回トライアスロン大会を

オアフ島で開くことになった。

2月18日、コリンズの呼びかけで集まったのは自身を含めて男が15人。

家族や友人がチャレンジャーに伴走しサポートした。

いつ、どこで、何を食べ、どのように休憩するのかは各自の自由。

コリンズはレストランでチリを食べたらしい。

すべてが初めての体験だった。

レースはマラソンに入り、元海軍のジョン・ダンバーとタクシードライバーのゴードン・ハラーとの争いになる。

しかし、ビールを飲んでふらついたダンバ-が駐車中の車にぶつかったところで勝負に決着がつく。

ゴードン・ハラーがが11時間46分58秒で優勝、史上初のアイアンマンの称号を得、

栄誉ある初代アイアンマン・チャンピオンとして名が残ることになる。

コリンズは17時間で完走。

     

(自身手作りのアイアンマン・トロフィーを持ちフィニッシャーTシャツを着たコリンズ)

 

後に「まる二日間、心拍数が110以下に下がることがなかったよ」と話している。

参加費は3ドル、諸経費はコリンズのポケットマネーから出たので、コリンズにとっては肉体的にも経済的にも痛い

耐久レースとなった。

当時「狂気のチャレンジ」と言われたが、翌年も開催された。

1979年、第2回目のアイアンマンは悪天候で日程が変更になったためキャンセルが続出。

最終的に参加したのは前年同様に15人。 

トム・ワレンが11時間15分56秒で2代目のチャンピオンとなる

     

そして国内チャンピオンのサイクリスト、リン・メイヤーが初の女性フィニッシャーとなる。

12時間55分38秒。

(残念ながらリン・メイヤーの写真は僕の持つ資料、本にはなかった)

 

トライアスロンの誕生の芽はここに

1974年9月25日、サンディエゴで開催された「ミッション・ベイ・トライアスロン」が

オーガナイズされた世界初のトライアスロンだということが今では定説になっている。

レースはサンディエゴ・トラッククラブ(STC)が主催。

ラン5.3マイル、バイク5マイル、スイム600ヤードで、順番は現在とは違ったパターンで行われた。

冬でも比較的温暖な気候に恵まれているサンディエゴはもともとランニンング、スイミング、サイクリングが

盛んな土地柄。 STCのメンバーの疲労回復や故障中の代替えトレーニングとして、また楽しみとして泳いだり

自転車にのることはサンディエゴの環境が生んだごく自然な習慣だったのだろう。

(STC発行の、当時の様子を伝える会報)

注目すべきは当時サンディエゴ海軍基地に勤務していたジョン・コリンズがファミリーで参加していたこと。

サンディエゴでのこの原体験がアイアンマンの発想に結びついたことは間違いないだろう。

 

た、この年、ゴルフの取材でホノルルを訪れていたスポーツイラストレイテッド誌(SI)の記者が

世界で初めてのアイアンマンをリポート。これが世に紹介されるや、大きな反響を呼び、

アイアンマンの運命を決定ずけることになる。

さらにSIの記事はテレビ局をも動かした。

前年の7倍の108人が参加した1980年のレースにはアメリカ3大ネットのひとつであるabc放送が

カメラクルーを派遣。 人気スポーツ番組「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」でとりあげられることになったのである。

この第3回大会には、ついにあの男、アイアンマン史上永遠にその名を残すだろう最強の男性トライアスリートの一人、

Mr.IRONMANことデイブ・スコットが登場するのである。

ワイキキ・ラフ・ウォーター・スイムでも優勝経験がある当時27歳のマスターズのスイミングコーチ、デイブ・スコットが

スイムでリード。

過去3回オリンピックの自転車競技の代表選手であったジョン・ハワードにバイクで20分の差に迫られたが、その後のランで

再び差を広げ、9時間24分23秒と前年のトム・ワレンの記録を一気に2時間近くも短縮、デイブ・スコットの驚異的な

パフォーマンスは多くの人の認知を得ることとなった。

番組はドラマティックに仕上げられ、全米数百万人が目にすることになり、年間最高視聴率のおまけまで付いたらしい。

これを機にアイアンマン人気はさらに高まっていった。

(参考:とことんトライアスロンがわかる本、Athletic BOOK ⑤ 冬の号 ランナーズ発行  & etc.

 

to be continued....続きはまたいつか、また暇をみつけて、、多分

 

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貴重な時間を費やし最後まで読んで頂きありがとうございます。

今日も良い一日でありますように!

See you next time!

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