
教育の在り方について考える3話。
教育の内容やスタイルは不変ではありません。
例えば、いま戦時中の教育をやったらとんでもないわけです。
(国会議員の中には教育勅語復活を唱える人もいます)
その時代に応じたニーズや、社会や科学の進歩、
国際的な日本の立ち位置の変化などを的確に反映しなければ、
役に立たない教育となってしまいます。
今回は広い意味で考えますので、
夜間中学や外国人の教育問題には触れません。
人が夢中になるようなコンテンツや、ブランドを創造するには、
人間に対する理解、人の心に対する深い洞察が必要です。
科学の実験や計算で答えは出てきません。
人間の心を深く研究する学問分野は文科系。特に人文科学。
自然学は自然を研究する学問であるのに対し、
人文学は、人間・人為の所産を研究の対象とします。
大学教育において「文系は役に立たないから廃止しろ」
という考え方や意見は、とんでもないのです。
不登校の原因に確かにいじめもある。
だけど不登校の大多数の子どもたちから
「学校がおもしろくない」という答えも返ってくる。
そうなると、解決方法は全く違ってくる。
どうすれば勉強や学校が面白くなるのかを考えることが急務。
フリーターの問題もそう。
「会社がおもしろくない」とか
「上司が尊敬できない」という答えがどれだけ多いことか。
「お金じゃないんです。熱く情熱を持って働きたいんです」
という子も多い。
そんな彼らがなぜ数年で会社を辞めてしまうのか。
先進国は、コンテンツやブランド構築を競う時代なのです。
それを担える人材育成を、日本の教育はしているでしょうか?
求められる人材の能力は変わってきています。
「読み書き計算の一定能力を備えた労働者が多数いれば良い」
というのは発展途上国型の時代遅れの発想。
インターネットが発達し、小学生でも簡単に調べられる時代です。
書いてあることを知っているだけでは何の付加価値も生めません。
独創的でクリエイティブなものを生み出せる人材は、
画一的な一斉教育で育成できるでしょうか?
これまでは「普通」「同じ」「前例踏襲」が尊重されましたが、
これからは「珍しい」「違う」「前例がない」がものすごく重要。
20年以上前から不登校の児童・生徒が増えています。
むかしは、子ども自身や家庭に問題があると考えられてました。
しかし、不登校の数は減らず、その現象はずっと続いています。
むしろ今の学校のやり方の方が間違っているのではないかと、
最近私は考えています。
私も時代により、国により、望ましい教育のありかたは、
どんどん変わっていくもの、変えていくべきものだと思います。
日本は戦争を起こした反省をして不戦の誓いをしたのに、
教育勅語を復活させようとする大臣や国会議員がいるのはとんでもないことです。
世界史的に見れば、君主制から民主制へ移行するには、
多くの民衆の自覚と行動と努力を経て、自由と平等を勝ち取りました。
しかし現代の日本では、生まれた時からそれらは与えられており、
いつのまにか在ることが当然となり、あらためて意識もされないようになってしまいました。
投票率の低下が顕著な例です。
日本国憲法にもあるように、自由や平等や民主主義を守るのは、ほかでもない私たち自身です。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
戦後教育の大きな欠点は、この条文を自覚させることが欠落してきたことだと、改めて思います。
もしかして、政府が意図的にそう仕向けてきたのか?
憲法によれば、どんな思想や意見を持つのも言うのも自由です。
ただし、政治に無関心の国民が大多数となってしまえば、
自由・平等は紙(憲法)に書いてあるだけの空念仏となってしまい、実際には死んでしまいます。