(文部科学大臣にインタビュー)
不登校新聞Fonteは、不登校・ひきこもりの専門紙。
不登校の経験を持つ若者らが取材しています。
そして最大の特徴は、不登校や引きこもりの
「当事者」の声を載せていることです。
12月1日号には、なんと田中眞紀子文部科学大臣に
単独インタビューした記事が掲載されました。
田中大臣は、大学の設置認可でひと悶着ありましたが、
不登校問題に対しては、含蓄のある発言をされています。
(アメリカに留学)
田中さんは公立の小学校を卒業後、
私立の女子中学校へ入学しました。
名家のお嬢様が多い学校で、自分には合わないと感じ、
アメリカの高校へ留学しました。
アメリカの高校では、本当にリラックスできたし、
自由にものが言えたそうです。
勉強以外にもいろいろなことにチャレンジしました。
眞紀子さんの言葉です。
問題はうまくできたかどうではななくて、
なんでもチャレンジできること。
みんなが自分のいい点を発見しようとする場にいられたこと、
それだけで楽しかったのです。
一人ひとりがちがうというのが当たり前。
だからこそ、一人ひとりが自立して
自由にチャレンジすることができたし、
自分のいいところを見つけられるので、
他人のいいところも見つけられると思います。
教育とは、一人前の大人になるためにするものだと思います。
一人ひとりが自立して、自由にチャレンジし続けられれば
すばらしい人生になるでしょう。
一人ひとりが違うことが前提ならば、
他人の存在や、他人の人生も尊重できます。
(不登校については、どうお考えですか?)
不登校は「環境にたまたま合わなかった」ということであり、
いい悪いではない、と。
一刻も早く、その子に合った場が
見つかることが大切だと思います。
日本のように一つの物差しで人を測ることは
ありえないわけです。
人と人はちがうからすばらしい
これだけ不登校の児童・生徒が多い日本で、
現職の文部科学大臣が、
「不登校はいい悪いではない」という認識をお持ちであることは
すばらしいと思います。
全国の教育関係者の方にも伝えたいです。
(大臣と記者との対話)
<記者>
「一人ひとりが違っていい」と思えたのは?
とてもシンプルな考えです。
人は生まれて死ぬしかないのだが、
他人と相対したときは、
お互いが一度しかない人生を尊重する。
相手がイヤだったら他人に過剰な関心を持たない。
<記者>
同感です。ただ、私の場合そのきっかけは不登校でした。
あなたは、こんなに明るいのに
不登校だったときもあるのですか?
不登校のときには何をしていましたか?
<記者>
不登校に対する世間の視線もつらく、
自分で自分を責めてましたが、
その後、心から休めて自分は自分でいいんだ、と。
もうそのそきは世間体なんて関係ないです。
なるほど。
いろいろな経験をされた方と会うことも大切です。
とにかく、いろいろな人生があり、
多種多様な国家の形態や文化がある。
そのことを人生の早い段階で認識できれば、
他人と自分とのちがいにこだわることなく、方の力を抜いて、
ただ一度の人生を生きることができるのではないでしょうか。
(田中大臣のシンプルな言葉)
「人は生まれて死ぬしかない」
「お互いが一度しかない人生を尊重する」
「ただ一度の人生を生きる」
一度しかない自分の人生なのに、
もし「他人にどう思われるか」が行動基準だったら後悔しませんか?
しゃちほこばらなくてもいいんです。
自分が納得できるように自分の人生を生きる。
そして、同じように人の人生も尊重する。
不登校新聞「Fonte」。
とても参考になりました。
不登校や教育関係の方、購読をおススメします。