畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

「承認欲求」って・・・

2016-11-28 20:38:01 | 篆刻


にんげん誰でも認められてこそ自分の存在感のような気持ちになります。
身近なことでは「夫婦関係」にもあります。
奥方が「こんなにあなたに尽くしているのに、お礼の言葉もない!」なんて。
プレゼントのやり取りでも「お礼のひとこともない!」なんて。
友人関係でも、そうしたきっかけで亀裂が入る場合もあります。

他人からの評価という点では絵画などの芸術分野、演芸、映画、ボランテイア、政治家、作家、ほとんど全ての
分野に当てはまります。
農家の方も例外ではないでしょう。
「美味しいお米だ」と評価されれば苦労も吹き飛びます。
料理人は「褒め言葉」が何よりのやりがいでしょう。

芸術作品では自分の作った作品が何らかの賞賛を浴び、褒め言葉を貰うと達成感や満足感が得られることでしょう。
「承認欲求」ということばは最近知ったのですが、これは人間にとって自然であり、スキルの向上や能力の獲得に
有効なようです。

この言葉は心理学的に深い言葉であり、大きく分けると「他人からの承認」「自分自身での承認」と
2通りあるようです。

「他人からの承認」は自分が社会的に認められることの証明や自尊心を持てるきっかけになります。
しかし「お世辞」の部分を自己満足にしてしまうと進歩は止まるのではないでしょうか。
「自分自身での承認」は他人からの評価ばかりでなく、自己肯定、自己信頼感、自立性などに繋がります。

小生も以前から何となく意識していたのですが他人からの評価だけでなく、自分自身が納得でき、成長して
いるという「実感のある瞬間」は心より満たされる気持ちになります。「自己承認」です。
更に他人からの評価が自分の評価と一致したときは喜びもありますが多くはありません。

大リーグのイチローも「自己承認型」になるのではないでしょうか。
他人の評価よりも自己評価にウエイトが置かれている気がいたします。

例えば篆刻でも本音の正当な評価を期待していますが、日本人は他人を傷つけない言葉を選び、本音は稀です。
この理由は作風の好みや批評の難しさもあります。
また「承認欲求」が強すぎると作品に品格など失われ、厚化粧的になり好ましくありません。

先日、逝去された演出家・蜷川氏は褒めることはほとんどなかったと聞きますが。

段々と高齢者のフィールドに入り込み、体力を現状維持しながらの気力と勉学を励む困難さもあり、どれほど
自己承認できるかは今後の楽しみでもあるように思っています。

「承認欲求」をもっと詳しく知れば自分のモチベーションも上がることと思います。

しかし自然は承認欲求がありませんから凄いことですね。