畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

日本人の「理(ことわり)と情」

2016-01-30 09:31:45 | 日記




「かなしきかな、かなしきかな、いかんせん、いかんせん」(法然)

センテンス スプリング誌に依るA大臣の暴きに、日本人の精神構造の一端を垣間見るような気分です。
決して褒められない事件。
そして、その一点に集中して攻撃する風潮、そして国の政治を預かる政治家たち。
視点はひとつしかないのでしょうか。

千載一遇・敵失・清廉潔白・情・成熟・武士の情け・という言葉が浮かびます。

本質論を避け、木の幹を見ず、枝葉だけを議論する風潮はどの政権の時代も変わりません。

このブログで政治論をする気持ちは全くありませんが、戦後70年、国民をリードする政治家や世論に絶大な影響力を
持っているマスコミは成熟し、成長しているのでしょうか。

褒められない事件、片や、やり残した業績評価はどうだったのか、国益に利した点、利していない点についての評論を
目にすることがありません。
「情」だけで見るのでなく「理」の面からどうだったのか、日本人は「情」に偏っているとされています。

倫理性に照らした正しい批判は大切ですが、同時にその人の業績を正当に分析評価して今後の教訓にすることも必要と
思いますが如何でしょうか。



「毀誉得喪は、真に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。この雲霧を一掃すれば、則ち天青く日白し」
 佐藤一斎のことば。

不名誉、名誉、成功、失敗は真にこれ人生の雲や霧のようなものである。これが人の心を暗くし迷わしめるものである。
この心の雲霧である毀誉得喪をさらりと一掃すれば、天が青く日が白く輝くように人生は誠に明るいものである。


また、西郷南洲の詩で
「世上の毀誉、軽きこと塵に似たり
 眼前の百事、偽か真か
 近く孤島幽囚の楽を思えば
 今人(こんじん)にあらずして古人に在り」

A氏に限らず、人はだれでも予期しない失敗を犯したり予測できない事態に遭遇することもあるでしょう。
そこから教訓を得て心の昏迷から脱出し、次のステップに踏み出したいものです。
 

転ぶな・風邪ひくな・義理を欠け

2016-01-29 08:21:34 | 日記



岸 信介のことばです。
「転ぶな・風邪ひくな・義理を欠け」

昨夜、駅の階段で転倒された方がおられ、かなりの出血で救急隊の方が手当をされていました。
これは他人事ではない、と身につまされました。
大事に至らなけば良いと思わずにはおれません。

特に活動的な高齢者への教訓になっています。
転倒は大病に劣らぬ脅威で、ノーベル賞受賞された朝永振一郎博士も授賞式を間近に控えて自宅の浴室で転倒され
受賞式に行くことができなかったそうです。

高齢を意識されるようになった人(小生も!)は室内でも動きだしは四つん這いが良いそうです。
杖を使用される方も1本でなく、2本にして4本足にすれば転びにくくなるとされています。
そういえば山歩きでも2本の杖を使用されている方が増えています。

元々、人間はあかちゃんのとき、四つん這いでした。
2足歩行というのは体に随分負担が大きいのですね。

昨年も知人の方で数人転倒されています。
駅の階段も踊り場のないところも結構あり、もし転倒しますと重大事故になりかねません。
小生も意識して手すりを利用しています。

若いときはこんな「転倒」という言葉も浮かばなかったのですが。

日展・名古屋展が今日から開催

2016-01-27 10:13:30 | 美術絵画



いろんな経緯があり、「改組 新 第2階日展」として今日から名古屋で開催です。
日展は名古屋での開催は地域のひとにとって特別な作品展として評価されています。
これは入場者数からも分かります。

第45回日展で京都が約3.4万人、大坂が約3.7万人、名古屋では約6万人と人口比でいえば名古屋での人気は抜群です。

一方、応募者数から見てみますと入選の倍率は日本画で約2.5倍、洋画で約4倍、彫刻が約1.5倍、工芸美術が約1.7倍、
書は何と約11倍と、書は倍率だけからみれば厳しいものがあります。
書の応募は各地で書道教室の講師をされている先生方もされていますので、一般人の入選率はご推測ください。

分野別から見ますと日本画・洋画・彫刻・工芸美術はテーマを自由に選ぶことができます。
書道の場合、書作は出品者ですがその書く字句や漢詩などを自分で作ることは容易ではありません。
漢詩が隆盛になったのは中国の盛唐の時代、7-9世紀のころで李白や杜甫などが有名で蘇東坡などはやや時代が下ります。
これらの漢詩などを書く書作家が多いのが現状です。
王羲之の書状や良寛の書状・自作の漢詩・短歌が有名は理由は展覧会作品とは異なっているからでしょう。

日展の書道の部屋を素通りしないで、ご自分なりの鑑賞方法で気持ち良い刺激を受けることがあればいいですね。

石川九楊氏は「書と言葉」で
座右銘や人生訓、教訓の語句が、揮毫の筆調(トーン)と美しく共棲している。だがそれは、自立できない言葉と自立
できない形象とが凭れあった場で成立する哀しい美だ。
書が言葉を記したところに成立するのは自明の理だが、現代の書の表現が、言葉に寄り添うだけでなく、成立の根拠で
ある言葉とせめぎあい、言葉を無化するところにしか成り立たない。
言語無化を曲解した書道界の手法は、言葉を書かないこと。
「非文字性の書」という部外者には見当もつかないジャングルが、良くも悪しくも現代書の位置を鮮明に映し出す。

書道家で文化勲章受章の村上三島氏は書道界の現状で制作者と鑑賞者との溝を感じて居られます。

「言霊」とも申します。言葉は人に訴えるメッセージ性があります。
歌謡曲でもニューミュージックでも音楽とことばのハーモニーです。そしてそこに歌い手のエネルギーが加わります。
歌謡曲などは一般的には作詞、作曲、歌い手と分かれます。
シングソングライターは作詞・作曲・歌い手は同じであり、信じた道を突き進み漫画世代に受け入れやすい「はなしことば」
を使って聞く人が持っている不安やストレスを吹き飛ばそうとするエネルギーがあります。
長淵剛が富士山の麓で10万人もの聞き手を集める理由もそこにあるのでは、と思っています。

歌謡曲の世界と書道界の世界との比較は飛躍しすぎと思いますが、歌い手の技量、書き手の技量のウエイトが大きく、
「聴くひと、見るひと」にどこまでメッセージ性、エネルギーが伝わるのかが勝負と思われます。

あの「五郎丸ポーズ仏像」が岐阜県関市に・・・

2016-01-25 17:43:57 | 日記





いまや超有名になった五郎丸歩選手・(ヤマハ ジュビロ所属)のあのポーズの仏像が岐阜県関市に鎮座されて
いるとのことで最近マスコミにも取り上げられています。

関善光寺は関市西日吉町にあり、その仏像は宝冠大日如来で、地図の大日堂にあります。
高さは約3メートル、かなり大きいです。
その印相は厳密にいえば五郎丸選手のポーズとは少し違いますが、こうしたポーズの仏像はあまりないようです。

五郎丸選手が有名になる前はこの大日如来もあまり注目されませんでしたが、最近は話題になって参拝者も急増
しているそうです。
小生も2度ほど参拝いたしておりますが、その印相には全く気づきませんでした。
漠然とお参りしていたのでしょう。

五郎丸選手は近々コマーシャルデビューされるとか、今や時のひとですね。

あの「五郎丸仏像」が岐阜県関市に・・・

2016-01-25 17:39:33 | 日記


いまや超有名になった五郎丸歩選手・(ヤマハ ジュビロ所属)のあのポーズの仏像が岐阜県関市に鎮座されて
いるとのことで最近マスコミにも取り上げられています。

関善光寺は関市西日吉町にあり、その仏像は宝冠大日如来で、地図の大日堂にあります。
その印相は厳密にいえば五郎丸選手のポーズとは少し違いますが、こうしたポーズの仏像はあまりないようです。

五郎丸選手が有名になる前はこの大日如来もあまり注目されませんでしたが、最近は話題になって参拝者も急増
しているそうです。
小生も2度ほど参拝いたしておりますが全く気づきませんでした。
漠然とお参りしていたのでしょう。

五郎丸選手も近々コマーシャルデビューされるとか、今や時のひとですね。