畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

いつかは・・・と、思っていましたが

2015-11-28 11:51:54 | 円空


凡人、俗人の小生が円空仏・制作。
早いもので制作をさせていただくようになって丁度2年、最初は道具の使い方も分からず、腕前も無く、円空さんの
精神性も分からず、分からず、分からずからのスタートでした。
取り敢えずスタートし、水野芳春講師に教えを請いながら月日のみ経過してきました。

考えてきましたのは、ただ形を真似すれば良いものでもなく、作品から生命力のようなものを、と目指してきました。
円空仏を拝見していますと、どの作品も生き生きとして訴える力が凄いです。
荒々しい作品もあれば端正な作品もあります。1体、1体に駄作がありません。
円空さんはあるきっかけがあって、修行に修行を重ねて、ある想いを持ちながら30年以上もひたすら無心で制作されて
きたことでしょう。
その姿勢は終始一貫変わらなかったと思われます。

そうした円空さんに近づくのは容易ではありません。
形は似せても精神性は似せることはできません。

思いましたことは「制作中に集中する精神、心の充実」が最も大切でそれが自分の財産になることでした。
単に模倣するだけではない、拙作でも今の自分を込めて、と考えています。

円空さんは32歳から約30数年、ひたすら何かを祈りながら制作に没頭されました。
考えてみますと過去2年間含めて、残された時間を計算して円空さんには万分の一にも届くはずもありません。
それならば今、自分で出来ることは何なのか、自問自答していますが凡人の考えることは知れています。

円空仏の写真集を見ながら、いつかは「両面宿儺像」を作りたいことでした。
宿儺とは仁徳天皇(歴史的には明確でないそうですが西暦313-369年)の時代、飛騨の岩窟より出現し身の丈18丈、
救世観音の化身で毒竜退治や寺院の開基をしたと日本書紀に記されているそうです。
円空さんはどういうきっかけで両面宿儺に出会ったのでしょう。

2-3ケ月前より少しづつ制作を開始し、この度ほぼ完成しました。
出来栄えは兎に角も、作り終えた喜びがじんわりしてきます。

本物は86.7㎝、小生制作は材の関係で57cmです。

円空仏の顔

2015-11-26 18:38:49 | 円空


小生は仏像研究の学者でもなく、仏像史における顔の変遷について全く知識もありません。
しかし、三井記念美術館館長の清水真澄氏の著書によりますと、仏像が造顕された飛鳥時代から時代の変化とともに
仏像の顔も微妙に変化しているそうです。

写真は順番に円空仏2体・飛鳥時代の法隆寺金堂・釈迦如来、白鳳時代の中宮寺・半跏思惟、
天平時代(7世紀末ごろ)の薬師寺の薬師如来像、平安時代の新薬師寺の薬師如来像、平等院の阿弥陀如来の仏像を
並べてみました。
勿論、これらの仏像がその時代を代表したものではありません。

初期のころに比べ、天平時代は国家権力の影響で中国・唐の影響がみられるそうです。
新薬師寺の薬師如来は「ぎょろ眼」ですね。
平等院の阿弥陀如来像は「仏本様」として以後の仏・菩薩の顔に継承されて地方にも伝播して「定朝(じょうちょう)
様式」と称されています。

写真に掲げました顔について解説は省きますが、円空仏はどれかに似ているのでしょうか。
小生が無知だけで円空仏の顔の変遷について著書がどこかにあるかのかも知れません。

ところで「顔」と「頭」の境目はお分かりでしょうか。
実ははっきりしていなくて「顔を洗う」ということばの如く、洗面で洗う部分が顔だそうです。
なるほど。

ところで「日本顔学会」という研究団体をご存知でしょうか。
20年前に発足、美容・化粧・眼鏡・工学・心理学・芸術分野の方々で構成され、様々なイベントを開催されています。
ご興味ある方はホームページを開いてみてください。

500体の羅漢さんの制作を目指して・・堀 敏一さん

2015-11-23 12:36:12 | 円空



「北の大地に らかんさん遊ぶ」という本を出版された堀 敏一さん。
「羅漢」とは釈迦の高弟で10人居られるとか。
正式には「阿羅漢」というそうです。

堀 敏一さんは高校時代、円空や木喰に魅せられ木彫りを始められました。

北海道の先住民族はアイヌ語でチクペニと呼ぶ槐(えんじゅ)や楢(なら)の木を尊重し、家を建てるときの柱や
ご神体に用いていました。
堀 敏一さんは縁あって北海道に渡り、アイヌ人の伴侶も得て、槐(えんじゅ)や楢の木を利用して昭和58年から
羅漢さんの制作に励んでおられます。
北海道に渡られたのは円空や木喰も北海道で造仏されており、北海道の山にもまだ登っていない、とい理由だそうです。

ひとそれぞれ、「縁」で結ばれていますが堀 敏一さんも円空や木喰との出会いが精神的に大きな火花が降り注ぎ
その生涯の行方を決定づけることになったのでしょう。

作風は円空仏よりも木喰に近いのかも知れません。

名古屋城の菊花展

2015-11-20 07:56:08 | 日記


名古屋城は現在、本丸御殿を再建中で平成30年に全て完成予定になっています。
表書院などは既に公開中で、国内はもとより外国人の方も大勢見学されています。

その名古屋城の一角で開催中の菊花展の鑑賞に行ってまいりました。
我が菊作りの師匠・吉川さんの作品が見事入賞!され、見事な出来栄えに驚きました。
菊の花は正直で、手間暇掛ければそれに応えてくれるのです。

全出品点数を数えましたら何と509鉢、山菊・懸崖は106鉢!

当に丹精込められた菊ばかりです。
この時期になりますと残念なことに一部の菊は残菊にも近く、最盛期だったらさぞ豪華絢爛だったことでしょう。

吉川さんの作品は大菊・3種・3本作りです。
菊の花の鑑賞に詳しい説明は不要と思いますので略しますが出品の部門が多数あることにも吃驚いたしました。

咲き終われば、また来年秋に向けて1年の長きに亘り作業が続きます。

故・内蔵冬健氏の円空仏と五十住啓二氏の円空写真展

2015-11-18 11:24:46 | 円空


五十住啓二氏ご自身のブログでもご紹介されていますが11月22日(日)まで愛知県稲沢市祖父江町の
喫茶ギャラリー(喫茶とギャラリーは分離されています。声掛けしてご覧になれます)「類」電話0587-97-1203 にて
故・内蔵冬健氏の円空仏と五十住啓二氏の円空仏写真展が併せて開催されています。

比較的小さな円空仏ばかりですが、年月の経過で飴色の素晴らしい円空仏が数十点展示されています。

説明書ではお寺の工事で廃材にされるような木材を入手され、般若心経の文字数を奉納されています。
(般若心経は260字余り)
制作されるに際しては一弓山永張禅寺にご縁があったようです。

作品を拝見させていただくと無心で制作されていることが伝わってきます。
在家の方の作品の中で、こうした心に響く感銘を受けることは稀です。
拝見させていただき、とても心地よい刺激をいただきました。

五十住啓二氏の円空仏写真と円空仏作品との調和もよく、ギャラリーの雰囲気にマッチしていました。
写真はお許しを得て撮影いたしました。