畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

篆刻に使用する石・青田石

2015-08-31 08:59:43 | 篆刻


ご興味の有無はわかりませんが一応ブログにアップさせていただきます。

篆刻作品(公募出品や落款印など)に使用する石で最も一般的なものは「青田石(せいでんせき)」です。
写真でご覧の石がそうですが、硬さは簡単に申せばコンクリート用釘で傷ができる程度です。
爪でひっかいて傷ができるのは適当ではありません。

厳密に申せば青田石にも色々な種類があります。
その名前の由来は中国浙江省の青田県で採れるからです。写真の採石場は2003年にまいりましたときに撮影したものです。
形は勿論、石を砕石しますので普通の石を割ったときと同様で、砕石後切断してご覧の形に整えます。
青田石はコンクリートの上で手で200~300回程度回転させればほぼ平面になります。(原形がある程度四角状になったもので)

実際にご覧になるには東急ハンズが良いと思います。書道用品店でも見れますが書道をなさっていない方は入店しずらいです。
最近は良い石も掘り尽くされ価格の高騰も激しいですね。
印面が3cm四方で最も安価品は400-600円程度、高価のものはその何倍も何十倍もします。

青田県は写真地図の浙江省のほぼ真ん中あたり。近くには彫刻城(町のこと)があり、石材店や芸術作品(大形の石の彫刻作品)
など30-40軒ほど並んでいます。
石の上部に彫刻を施したものを紐(ちゅう)といい、中国では紐(ちゅう)だけの作品展もあります。
龍や虎など動物や花などが彫られていて、愛玩にもなります。

中國では古来、篆刻愛好者は篆刻用石を手で撫でて愛でる習慣もあります。

実際に彫る場合は石の保護のため蠟が塗られていますので除去してから使用します。
天然の石ですから彫り易い石や鉄筆で全く彫れない石にも遭遇します。その場合は廃棄して他の石へ乗り換えです。

篆刻をいたしておりますと石に鉄筆で彫るときの「ザクザク」という音が何とも言えない響きで心地よいものです。

北海道・北斗市の円空

2015-08-30 09:20:50 | 円空



2-3回、北海道の円空についてアップいたしましたが今日は北斗市の円空仏。
北斗市は2006年に上磯郡上磯町と亀田郡大野町が合併、人口は5万人弱です。

円空仏は上磯八幡宮にもあります。
神像で高さ49.1㎝、重さ3.12kgで端正な作りです。

実は北斗市は男爵いもの発祥の地です。
川田龍吉(1856年生まれ・95歳で死去)の父・小一郎は日本銀行3代目総裁で男爵。
龍吉は慶応大学卒業後、英国に留学、そこでアイリッシュコブラーという品種に注目、日本に持ち帰り、品種改良して
男爵いもの植え付けに成功しました。
「男爵いも」の名称は父・小一郎が亡くなってから男爵の地位を龍吉が継承し、その名がつけられたわけです。

龍吉は手作業だった当時、大型農業機械を輸入し革新的な農業を導入しました。
男爵記念館が北斗市にありますが現在は休館中です。
当地へお邪魔したことはありませんが生きている間に果たして訪問できるのやら。

円空も造顕後、300年以上後に男爵いもがこの地で作られるようになるとは夢にも思っていないことでしょう。
小生も小さい菜園で楽しんでいますが「男爵いも」や「北あかり」でお世話になっています。

今日、8月29日は焼肉の日

2015-08-29 08:08:04 | 日記


8月29日が語呂合わせで「焼肉の日」になったのは1994年(平成6年)のこと。
約20年前だったのですね。
制定したのは「全国焼肉協会」で、その根拠は残暑厳しいこの時期に栄養価の高い焼肉を食べ、元気回復ということです。

夏バテ防止には「脂質」「タンパク質」「糖分」の摂取で、焼肉には脂質とタンパク質が豊富なことです。

しかし、牛肉はカロリーが高くて脂質も多く、食べすぎると脂肪分の取り過ぎになります。
その点、網を使えば脂質が適度に落ちるため合理的な方法です。
日本食肉消費総合センターによれば網焼きにした「カルビ」の脂質は24%も減少、コレステロールは20%ほど減少すると
あります。
またパイナップルの果肉と一緒に食べるか、ふりかければ消化酵素の「プロメリン」が作用して肉も柔らかく、消化・吸収に
良いそうです。

「全国焼肉協会」で検索すれば全国979軒、中部で123軒の焼肉店が表示され選択するのに便利です。

しかし年齢を重ねると焼肉を見ただけで満腹感を感じ、やっぱり魚や野菜がいいよね、となりがちです。
今夜は半年ぶりにスーパーへ行ってカルビを買ってこようかな、でもコンロも網も炭も無いし、さてさて・・・

師匠に逆らって・・・見事、文化勲章

2015-08-28 07:37:30 | 日記


愛媛県今治市大三島・出身の村上三島(さんとう)(1912-2005)は文化勲章まで受賞した書家として有名です。
そのエピソード。
若いとき病気となり、することもなく書を始めましたが師匠・長尾雨山から王羲之(書聖といわれ書の神様みたいなひと)を
徹底的に練習するよう申し渡されます。

しかし、三島は王鐸(おうたく)が好きで好きで、ついに師匠から別れてしまいます。
王羲之は4世紀のひとで王鐸は16世紀から17世紀に生きたひとです。
師匠からは王鐸の時代の作品にはろくな作家はいない、という理由から習うのを許されなかったのですが最近では王鐸の作品の
評価は高まっています。

村上三島のことば。
「私はこう考え、こう感じ、こういう感激で、こう書きました」と書くべきと主張されています。
また、良寛の書をこよなく愛し、傾倒しています。

三島は20代のころ師匠に逆らい、文化勲章まで受賞されました。
ざっと40-50年は王鐸を追いかけています。
師匠に逆らってまで貫く。凄い精神力です。

しかし、師匠に逆らえば文化勲章が受賞できるわけでは勿論ありません!

写真の書は良寛堂の記念碑に書かれた村上三島のものです。
大三島には三島記念館もあり、一度訪ねてみたい島です。

大三島を建築家の伊藤豊雄氏が日本一住みたい島に、というプロジェクトをなさっています。

神社はどちら向き?

2015-08-27 06:40:40 | 日記


神社を参拝するとき、神社はどちらを向いて建てられているのか、意識したことありますか。

神社の拝殿は一般的には北を背に、南を向くことが多いそうです。
それは、不動の北極星を宇宙の中心に置く中国古来の宇宙観から。

しかし、奈良時代までは太陽を中心にした宇宙観でした。
奈良県の大神(おおみわ)神社や春日大社は西向きですので東に向かって参拝します。
東側に鎮座した拝殿とその背後から昇る朝日を併せて参拝するわけです。

反対に岡山の吉備津彦神社は西向きに参拝します。
これは正面鳥居から差し込む夏至の朝日が神殿の鏡に当たるので、背中を差す朝日に正対できるわけです。
太陽信仰は古事記以前からあり早朝に田畑を照らし出す太陽を「お天道さま」として崇めます。

そういえば数年前に富士山に登頂して日の出の瞬間を待ち、朝日が昇りつつあるその時に一斉に「万歳!」したことを思い出します。
太陽の力ってホント凄いです。

写真は左上から大神神社、春日神社、吉備津彦神社(下の写真)