畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

昭和から平成への書を牽引した男

2016-02-29 13:55:40 | 篆刻




青山杉雨(あおやまさんう)(1912年6月6日生まれ、1993年没)
愛知県江南市生まれで、近年の書道界に大きな影響力を与えた書家。
残念なことに杉雨の常設展示館がありません。片やほぼ同世代の村上三島記念館は大三島にあるというのに。

「ひとつの作品にはひとつの顔がなければならない」
「一面一貌」を理想とし、さまざまな作品を残しています。
篆刻もこなし、落款印も数顆制作しています。

ここに書作論を論じる力量もない小生ですが、郷土の書家であり敢えて杉雨の語録から紹介したいと思います。

曰く
書を習われる場合、単に字を上手に良く書いて「あら、いいわねえ」と褒められたいだけでなく、それらが
どのような文化的意味を持って生き続けてきたのか、どんな役割を果たすのか考えながら習っていくと
書は別の楽しさが生れてくる。

「書」ということばと「字」ということばがほとんど混同されている。
これは実は誤りを犯すことでもある。書は字を書いていながら、ただ間違わずに書いただけでは、その役割を
果たせない。文字の意味を正確に伝えるだけなら鉛筆でもボールペンでも良い。
和歌を書いたり漢詩を書いたりするのは、その詩句の意味を自分以外の人に伝えようとすることが最終目的では
ないだろう。
書きにくい筆や墨で書こうとするのは詩や文ーすなわち文字を素材としてそこに何かを訴えようとする表現を
見せたいからではないのか。

書とは書く人の志を表し伝えるもので字という素材を借りものとして私達は私達の志を述べようとしてこそ
書の芸術になる。
その志は表現という行為を起こさせる原動力である。

自分の気持ちに最も叶った表現、これを探し求めるにはどうしたら良いのか、それには過去におけるあらゆる名人たちが
残してくれた歴史的な作品を点検してみる必要がある。
例えば王羲之の時代四世紀ごろや隋唐時代(AC600年~900年)、宋時代(AC900年~1280年ごろ)、明清時代(AC1380~
1740年ごろ)、清末(AC1740~1911年ごろ)の時代背景や作風などを検討することが必要である。
それらを検討し、それらを基礎として自分の作品の表現を探る。

今の時代、多字数の漢詩を書いた作品などあまり意味がないのではないのか。
今の人間が何のかかわりのないような文句を書いても、それはどうかな、という思いがある。
現代の知性というものを意識せねばならない。

作品をつくるときは古代文字のもつデザイン性と篆刻で印の布字(筆者注*余白や文字の大小、字形、直線や曲線の
活用法など全体の構成における設計図の如く)を用いた構成を考え、墨量配分に基づく潤渇表現、気満の精神が大切だ。

2012年には東京国立博物館で日中国交正常化40年、東京国立博物館開館140年、杉雨生誕100年の展示会が開催されました。
現在、名古屋松坂屋で3月6日まで現代書道20人展が開催中で過去に出品の杉雨の作品も特別に公開されています。
今年の20人展出品作家の内、3人の方は杉雨を師とされています。
篆刻家もおふたり出品されており、印材も展示されています。
写真は杉雨の代表作・萬方鮮。

面白いエピソード。
杉雨は6月6日生まれで、66歳の誕生日には台湾の台北六福飯店(店名に六があります)で6人の友人と祝っています。

書作をされている方の目的は様々ですが、少しでも上を目指したい方にとって杉雨の創作意欲、書学に対する意欲、情熱は
語り継がれる存在と思います。

楽しみは・・・

2016-02-27 18:59:26 | 日記


人それぞれ楽しみ方は色々あると思います。

例えば1日が無事過ぎ夕食を待ちかねての晩酌が楽しみ、美味しいケーキの食べ歩き、デパートでの買い物、
また、温泉旅行や美味を求めて食べ歩き、好きな本を読んだり、お気に入りの喫茶店へ行ったり、気の合った仲間と
一杯飲んだり、目にも鮮やかな芝生の上でゴルフをしたり、また家族の団欒や孫と遊んだり、など千差万別です。
当に100人居られれば100通りの楽しみ方があります。

幕末、福井に生れた橘曙覧(たちばなあけみ)(1812-1868)は歌人であり国学者ですが日常生活を身近なことばで
「独楽吟」を詠んでいます。

平成6年、天皇陛下・皇后さまがアメリカに行かれましたときクリントン大統領が橘曙覧の歌を披露されて一気に
有名になりました。

その独楽吟の一部をご披露して

たのしみは 妻子むつまじく うちつどい 頭(かしら)並べて 物をくふ時

たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのう)まで 無かりし花の 咲ける見る時

たのしみは 人も訪(と)ひこず 事もなく 心をいれて 書を見る時

たのしみは つねに好める 焼き豆腐 うまく烹たてて 食はせけるとき

たのしみは わらは墨する かたはらに 筆の運びを 思ひをる時

たのしみは めずらしき書 人にかり 始め一(ひと)ひら ひろげたる時

たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出でありく時

たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思ひつづけて 煙草すふとき

たのしみは 常にみなれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴きしとき

たのしみは あき米櫃(こめびつ)に 米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき

たのしみは 門売りありく 魚買ひて 烹る鍋の香を 鼻に嗅(か)ぐとき

たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟 あぶりて食ひて 火にあたる時

52首ありますが、その1部をご紹介しましたが「独楽吟」は「ひとり楽しめる歌」の意なのでしょう。
貧しい生活の中で自らの楽しみを見つけて生きていることの喜びを詠ったのでしょう。

気持ちの持ち方によって心の充実感は随分違ってくるようです。
さしずめ現代の人が「独楽吟」を詠んだらどんな歌になることでしょう。

平成12年に橘曙覧記念館が福井市内に開館しました。
福井県に限らず一般的に北国の方は寒い冬を乗り切るため忍耐力が強く、精神的にも強靭だと思います。

「トンポーロウ」を思い出して・・・

2016-02-25 09:08:37 | 日記


先日、トンポーロウの本格的な料理を食べたいなあ、と突然なぜか浮かび「蘇東坡」を思い出しました。
トンポーロウは蘇東坡が考案したといわれています。

蘇東坡は11世紀の人で、兄弟揃って科挙の進士に合格した秀才。
蘇東坡は蘇軾(そしょく)とも言い蘇轍と兄弟ですが、父は二人の子供の名前によくよく考えて付けています。

「軾」は車の前の横木。車中で敬礼するとき両手を懸け、身をかがめる。
「轍」は「わだち」で、これを辿っていくと通り易いので車はみなその上を走る。(当時は舗装もなく)

「軾」は車の機能では何も役に立たない。しかし、礼儀の上で必要な部品でこれを取り除いたら完全な車ではない。
「蘇軾」には礼儀を重んじる人になって欲しいとい理由でこの名前を付けています。

「蘇轍」の名前の由来は、世の中の車はみな「わだち」の上を通って行く。
ところが車の功績を説く場合、「わだち」はその数の中には入らない。
しかし、車が倒れ馬が死ぬようなことがあっても、その災いは「わだち」には及ばない。
つまり「わだち」は功績を褒められない代わりに災いを受けることもない。
息子には災いに会わずに済むようにその名前を付けています。

最近の子供の命名には「音」の響きが優先し「訓」の漢字本来の意味が軽視される傾向になっていますが・・・

ところで「トンポーロ」のおはなし。
蘇軾46歳のころ、左遷先で貧乏暮らしのため、豚肉の美味しい食べ方を工夫しました。
「東坡肉」です。
蘇軾(蘇東坡)はこんな詩を作っています。漢詩で食べ物の詩は珍しいと思うのですが。
(石川忠久氏の釈文)

黄州の豚肉は上質で              黄州好猪肉(中国では豚肉を猪肉といいます)
値段は土のように安いというのに        価銭等糞土
金持ちは喰いたがらないし           富者不背喫
貧乏人は調理法を知らない           (以下漢詩は略)
ゆっくり火をつけ
水は少な目
十分グツグツ煮れば自然に美味くなる
毎日起きたら一碗作る
自分で腹いっぱいになれば それでいい
他人の知ったことではない

蘇軾(蘇東坡)は書でも有名ですが、ここではトンポーロウの話ですので。
もうすぐ春、美味しいトンポーロウでビールを飲みたい気分です。

円空仏・大黒天

2016-02-23 13:24:05 | 円空


幸運をもたらすといわれ、お目出度い神様といえば七福神。
恵比寿神・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・壽老人・布袋尊

その中で円空が制作しているのは恵比寿神・大黒天・毘沙門天・弁財天です。

京都・高台寺圓徳院の三面大黒天は豊臣秀吉が愛した仏像といわれています。
「三面大黒天」で向かって右に毘沙門天、左に弁財天です。
三つの神さまが合体して「混合神」と呼ばれる仏像です。

大黒天はもともとはインドのヒンドゥ―教の最高神・シブァの化身で季節風の神さま。
土をすべて吹き飛ばし、もういちど作り変えるというところから、破壊と再生を司る神、さらに気性の荒い
戦闘神として崇められてきました。

その大黒天がインド、中国を経由して日本に渡ってきたというわけです。

同じ大黒天でも円空仏とは少し印象が異なります。

写真の円空仏は高さ133cmで丸太の一本作りで重量感が溢れます。
おとな三人でやっと動させることができるほど重い仏像で、拝見していても迫力があります。
小生は大黒天を未だ制作したことがありませんが、いつか謹刻してみたいものです。
高台寺の大黒天は高さ20cm足らずですが愛くるしいですね。

哀しくて淋しい歌

2016-02-21 12:44:57 | 日記


むかし、むかし童謡を唄ったり、子供が生まれてからは枕元で子守唄を唄ったり、レコードをかけたり
していた頃をちょっと思い出しました。

それにしても考えてみますと童謡とは思えないような哀しい歌があります。
唄っていたころは特に唄の意味も考えなかったのですが、改めて歌詞を見ますと不思議な感じです。

「シャボン玉」

しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれてきえた
しゃぼん玉消えた とばずにきえた
うまれてすぐに こわれて きえた
風風ふくな しゃぼん玉 とばそ

「雨降りお月さん」

雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にゆくときゃ だれとゆく
ひとりで からかさ さしてゆく
からかさ ないときゃ だれとゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれていく

日本人は桜の花のごとく儚いものに特別な感情を感じるのでしょう。
失われてゆくもの、失われてしまったものに対する「かなしみ」が唄われています。
全てのものの壊れ易さを我々につきつけ、そうした感情を大切なもの、と訴えているのでしょうか。

赤いくつ はいていた おんなの子 異人さんにつれられ いっちゃた

なにか強引に連れ去られたような唄ですが、これが当時の童謡なんですね。
その時代によって社会情勢も異なり、その時代の空気を反映してマッチしていたことでしょう。

現代では幼稚園・保育園・小学生はどんな童謡を唄っているのでしょうか。

ざっと思い出す唄は
「赤とんぼ」「「どんぐりころころ」「ぞうさん」「たき火」「雨降り」「めだかの学校」「七つの子」
「赤い鳥小鳥」「春が来た」「春の小川」「夕焼け小焼け」「かたつむり」「海はひろいな」
「秋の夕日に」「夏も近づく」「笹の葉さらさら」「雪やこんこ」「あれまつむしが」「春よこい」
「こいのぼり」「浜辺の歌」「朧月夜」などです。

いまでも「故郷」兎追いしかの山・・・は愛唱されていますが、これは大正3年(1915年)100年前の童謡です。

因みに「蛍の光」は明治14年の小学唱歌。
その4番は
千島のおくも おきなわも
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさお しく
つとめよ わがせ つつがなく

昔の記憶は脳みその奥深くにあるのでしょうか、比較的記憶にありますが昨夜の夕食の献立は・・といわれても。