青山杉雨(あおやまさんう)(1912年6月6日生まれ、1993年没)
愛知県江南市生まれで、近年の書道界に大きな影響力を与えた書家。
残念なことに杉雨の常設展示館がありません。片やほぼ同世代の村上三島記念館は大三島にあるというのに。
「ひとつの作品にはひとつの顔がなければならない」
「一面一貌」を理想とし、さまざまな作品を残しています。
篆刻もこなし、落款印も数顆制作しています。
ここに書作論を論じる力量もない小生ですが、郷土の書家であり敢えて杉雨の語録から紹介したいと思います。
曰く
書を習われる場合、単に字を上手に良く書いて「あら、いいわねえ」と褒められたいだけでなく、それらが
どのような文化的意味を持って生き続けてきたのか、どんな役割を果たすのか考えながら習っていくと
書は別の楽しさが生れてくる。
「書」ということばと「字」ということばがほとんど混同されている。
これは実は誤りを犯すことでもある。書は字を書いていながら、ただ間違わずに書いただけでは、その役割を
果たせない。文字の意味を正確に伝えるだけなら鉛筆でもボールペンでも良い。
和歌を書いたり漢詩を書いたりするのは、その詩句の意味を自分以外の人に伝えようとすることが最終目的では
ないだろう。
書きにくい筆や墨で書こうとするのは詩や文ーすなわち文字を素材としてそこに何かを訴えようとする表現を
見せたいからではないのか。
書とは書く人の志を表し伝えるもので字という素材を借りものとして私達は私達の志を述べようとしてこそ
書の芸術になる。
その志は表現という行為を起こさせる原動力である。
自分の気持ちに最も叶った表現、これを探し求めるにはどうしたら良いのか、それには過去におけるあらゆる名人たちが
残してくれた歴史的な作品を点検してみる必要がある。
例えば王羲之の時代四世紀ごろや隋唐時代(AC600年~900年)、宋時代(AC900年~1280年ごろ)、明清時代(AC1380~
1740年ごろ)、清末(AC1740~1911年ごろ)の時代背景や作風などを検討することが必要である。
それらを検討し、それらを基礎として自分の作品の表現を探る。
今の時代、多字数の漢詩を書いた作品などあまり意味がないのではないのか。
今の人間が何のかかわりのないような文句を書いても、それはどうかな、という思いがある。
現代の知性というものを意識せねばならない。
作品をつくるときは古代文字のもつデザイン性と篆刻で印の布字(筆者注*余白や文字の大小、字形、直線や曲線の
活用法など全体の構成における設計図の如く)を用いた構成を考え、墨量配分に基づく潤渇表現、気満の精神が大切だ。
2012年には東京国立博物館で日中国交正常化40年、東京国立博物館開館140年、杉雨生誕100年の展示会が開催されました。
現在、名古屋松坂屋で3月6日まで現代書道20人展が開催中で過去に出品の杉雨の作品も特別に公開されています。
今年の20人展出品作家の内、3人の方は杉雨を師とされています。
篆刻家もおふたり出品されており、印材も展示されています。
写真は杉雨の代表作・萬方鮮。
面白いエピソード。
杉雨は6月6日生まれで、66歳の誕生日には台湾の台北六福飯店(店名に六があります)で6人の友人と祝っています。
書作をされている方の目的は様々ですが、少しでも上を目指したい方にとって杉雨の創作意欲、書学に対する意欲、情熱は
語り継がれる存在と思います。