畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

「篆刻」と「ファッション」

2015-07-31 08:02:15 | 篆刻



「篆刻」と「ファッション」はどういう関係があるのでしょうか。
どちらも「表現方法」という共通点は多少あるのでは、と思います。

ここにご紹介するファッヨン言葉は小生は全くの無知です。
書店で女性誌のコーナーに行く勇気もありませんし、ファション誌を手に取ることもあり得ません。

ファッション言葉は検索中に偶然見つけた記事で知りました。
下記にご紹介する言葉は女性ファッション誌がコーデイネートを紹介するときの表現だそうです。
街歩きで横目で通り過ぎるときに、流行観察のヒントにはなるのかもしれません。

「抜け感」きちんとしていながらリラックス感があってナチュラルな雰囲気のある着こなし。
     この表現は篆刻で小生の目指す作風です。あまりカッチリせず、余韻を感じるような。
「こなれ感」無理せず着こなしている。シンプルなものが多い。
「レイヤード」重ね着の装い。Tシャツの下から長袖を覗かせる、という感じ。
「ヘルシー」健康的な装い。テニスルックやマリンスポーツルックのこと。
「コケテッシュ」女性の粋な美しさ。ちょっとなまめかしい装い。
「マニッシュ」男性のような装いをして女性的さを強調する。

日本語も辞書では追いつけないような言葉が発生しているようです。

日本3大料亭

2015-07-30 07:46:11 | 日記


先ごろ、芥川賞・直木賞の発表があり、特に芥川賞は芸能界の方が受賞され、その図書も100万部以上の売れ行きで
話題になっています。

芥川賞も直木賞も選考会場は「新喜楽」です。
格式も高く、日本3大料亭の内のひとつだそうです。

他の2つの料亭は「金田中」「「京都吉兆」になっています。
勿論、小生には生涯関係のない料亭でしょう。

どんな料理が出て、どんな雰囲気で、どんなおもてなしで、と小生の日常生活とギャップが大き過ぎて想像もできず
異次元の世界なのでしょう。
このような文章を書くこと自体、いかにこれらの料亭に縁がないか、とも申せましょう。

「新喜楽」にはホームページもありませんが「金田中」「京都吉兆」はあります。
「京都吉兆」は主要都市に出店していますので味わうこともできます。

写真の選考風景は「新喜楽」、中段左上の建物写真もそうです。中段右上は「金田中」最下段は「京都吉兆」です。
芥川賞・直木賞の選考委員の方々の顔ぶれもすっかり変わってまいりました。

「旬の魚」

2015-07-29 10:08:00 | 日記


年齢と共に免疫力、耐久力が低下気味かもしれませんがこの酷暑は耐え難いものです。
食欲も低下している方も多いことと存じますが、今の旬の魚をご存知でしょうか。

「あゆ」「うなぎ」「鱧ーはも」「あおりいか」「アナゴ」「アワビ」はどなたもご存じのことでしょう。

「鯵ーあじ」「イサキ」「コチ」「太刀魚」「ヒラマサ」「鱚ーキス」「サザエ」も夏の魚です。

鯵は価格も安く庶民的ですが、鯵にも「マアジ」「ムロアジ」「メアジ」「シマアジ」などの種類があり、特に8月は
シマアジの季節です。
鯵の漁獲量は長崎と島根で全国の2/3を占めます。ほかにも全国各地で水揚げされています。
鯵の南蛮漬けは有名ですね。

暑い夏はメニューにも迷います。魚離れが激しいですが、今日か明日は魚料理でも・・・

作詞家・なかにし礼の人生

2015-07-28 08:11:08 | 日記


「ソ連軍数十機が満州牡丹江を爆撃したのは、昭和20年8月11日の午前10時であった。
その日、空には雲ひとつなかった。
私は一人、庭であそんでいた。私は7歳の子供であった。・・・」

なかにし礼の自伝を読みますと、50歳くらいまでの筆舌に尽くし難い苦労、立教大学を3度受験し、3度合格しながら
やっと3度目に最低限の勉強をして卒業。
それはなぜでしょう。経済的理由で学費を支払うことができず、3度目は卒業できるだけの最低限の授業を受け、残った
時間はひたすらアルバイトで学費稼ぎ。

若いときは兄に助けられ、50歳ごろには兄の借金数億円を肩代わりして返済、その壮絶な人生。

50歳ごろの詞。翔べ、わが想いよ、黄金の翼にのって。

「我が人生に悔いなし」

鏡にうつるわが顔に
グラスをあげて乾盃を
たった1つの星をたよりに
はるばる遠くへ来たもんだ
長かろうと短かかろうと
我が人生に悔いはない
(加藤登紀子・作曲、石原裕次郎・歌)

ここにも戦火がひとりの人間を如何に苦しめてきたのか。
そして戦争を体験された全ての人々の数だけ再び体験したくないドラマがあることでしょう。

戦後70年、思い出すことは・・・

2015-07-27 10:29:10 | 日記


終戦を記憶鮮明または多少記憶ある方は、8月15日が来る度に感慨深いものと存じます。
小生は記憶も多少ある程度で、あまり鮮明ではありませんが昨夜、「すいとん」のことを思い出しました。

食料不足が深刻で両親が当時どれほど苦労したのか、食料だけでなく、衣服、教育、住居など思い起こしますと涙がこぼれそうな
気持ちです。

暗いブログは避けたい気分ですが「すいとん」を例に取り上げたいと思います。
終戦直後は小麦粉を練って、汁(だしを使わない醤油色した汁)の中にストンとダンゴ状に落としたもの。
「ああ、今日もすいとん!」とよく思いました。
因みにクックパッドで見たレシピに豪華なこと。まさに月とスッポンですね。

しかし、考えてみれば日本国中の大半の方々は大変なご苦労を重ねてこられた訳ですから。
健康で生き長らえただけでも僥倖というべきでしょう。

写真は当時の「すいとん」ごときものです。