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畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

菊花展を拝見

2015-10-29 19:31:03 | 日記



昨日、今日と2日続けて菊花展を観てまいりました。
昨日は一宮138タワーパーク、そして今日は金華山の麓・岐阜公園です。
一宮138タワーへは往復1時間強のサイクリングです。
快晴で爽やかな風を切ってサイクリングするのは自然の中に溶け込むようで良い気分です。
会場までの途中の写真も掲載いたしました。
遠くの山は金華山で頂上に岐阜城がありますが写真サイズ小さくて確認は難しいかもしれません。

一宮138タワーパークの菊花展は今月31日からで、がっかり!と思ったら搬入中で鉢数は少なかったですが
バッチリ写真も撮影できました。

絶好の機会と思って、お聞きできそうな雰囲気の方に質問。
土作りのブレンド方法についてご教示を伺うと、この道40年のお方、「ひとそれぞれだよ」とあっさり退けられました。
もうおひとりの女性は「薫たん・赤玉・腐葉土・バーミュキライト・田んぼの土」のブレンドと教えていただけました。
その女性は何と約300鉢を栽培! 驚きました。

岐阜公園は菊人形もあり、セミプロから初心者の方まで出品されていました。
1本の幹から素晴らしい大菊には敬服の至りです。
写真のように板垣退助が会場全体の菊を眺めています。
吉田茂の石碑もすぐ近くに立っておりました。

「日々丹精」という言葉がありますが菊の花を観ると実感いたします。
しかし無精な小生には「日々丹精」はちょっと無理なようです。

中國・山東省 泰山に日本人の刻石が

2015-10-28 08:18:53 | 篆刻
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紀元前219年、始皇帝は秦の都・咸陽を出発し、東に向かって巡幸にでました。
ご存知、兵馬俑が生き返ったような秦の精鋭部隊の隊列たち、その行き先は聖なる山・泰山でした。

山東省・泰山。黄河下流に広がる大平原に忽然と聳える、中国随一の霊峰です。
中國には五嶽と呼ばれ古くから信仰の対象となってきた5つの山があります。
湖南省の衡山、山西省の恒山、河南省の嵩山、陝西省の華山、それに東嶽と呼ばれた泰山です。

その中でも泰山は「五嶽の長」と讃えられてきました。
麓の泰安市内にある岱廟は北京の故宮、曲阜の孔子廟と並んで中国3大古建築とされています。

泰山は古くから「天上の世界に最も近いところ」であり、中国の人々にはこの聖なる山に登り不老長寿を神に願うことが
一生の夢でした。
秦の始皇帝はこの泰山で封禅(ほうぜん)の儀を行っています。


今回、幸いにも機会があり頂上まで登りお参りできたことは僥倖でした。
麓より約20分バスでロープウエイ乗り場へ行き、1,545mの途中までロープウエーで昇り、更に約700段の階段を徒歩で登って
やっと頂上の「玉皇頂」です。
長年の夢が叶い、何とも言えない幸せな気分でした。

「封禅」は古代中国の帝王、それも偉大な業績を上げたと認められた帝王だけに許される儀式です。
始皇帝は文字の如く中国の最初の皇帝です。

始皇帝は文字・度量衡(主に枡)・車輪の幅(轍を走るため)を統一、といったことを行っていますが目的は中国全土で
統一した行政を行うためです。
一方、焚書坑儒で儒学者を殺し、学者の本を燃やし(法律以外の)、といった悪行でも有名です。
文字の統一では篆書体がそれで、現在の篆刻のルーツになっている書体です。

その泰山には刻石が数多くありますが日本人でただひとり「柳田泰雲」氏の作品も石に刻されています。
柳田氏は1,990年88歳で逝去。現代20人展の創始者としても有名です。
「書は楷書で始まり、楷書で終わる」と独自の方法論を確立しています。
王羲之、欧陽訽、顔真卿などを吸収消化して幅広い作品を残しています。

写真下の2枚は頂上の堂内とそのすぐ外の風景です。
鍵が随分ぶら下がり、願いごとのようです。1ケ、1,000~1,500円程度でした。
泰山は中国人にもあこがれの山であり、中国全土から年間700万人ともいわれる人々が6~7時間かけて麓から登ったり、
ロープウエイを使って登ったりと人気の霊山です。

菊作りもいろいろ

2015-10-26 09:13:33 | 日記


昨日は強風で長袖シャツの上にベストか薄めのセーターが必要な秋の1日でした。

今年は菊作りに実験をしてその結果は写真の如くです。
菊花展に出品される作品が5ツ星とすれば小生栽培の菊は1~2星程度でレベルはかなり低いです。
しかし菊作りの方法もいろいろあっても宜しいのではないでしょうか。
例えば働き盛りの方が時間に追われ、とても菊作りなど無理という方もあるのではないでしょうか。

それでも菊の花を愛でるのは気持ちの良いものです。
丁度今、咲き始めて約1ケ月は楽しめますので庭もちょっと華やかになります。

菊作りも「大菊」「ダルマ作り」「福助(背の低い菊)」「小菊懸崖」などありますが秋の満開するまで本格的に
やろうとすれば結構手間や場所も必要です。

満開が終わって冬の手入れ・土作り・5月ごろの挿し木・挿し芽管理・発根促進剤の使用・小ポットから中の
植木鉢への植え替え・大鉢への植え替え・消毒・水やり管理・陽の当て方・雨避け方法・などなど管理は大変です。

菊花展に出品される方はそれこそ1年間の丹精込めた成果としての満開の花をご披露されるわけです。
盛夏には特に菊の水やり・陽射し管理のため宿泊旅行ができない、という場合もあります。

菊作りのマニュアル本によれば薬剤の種類だけでも約40種類!

小生の今年の栽培方法は次の通りです。
11月下旬~12月上旬ごろ咲き終わった菊鉢の隅から翌年春に芽が出てまいります。
これを5月上旬にビニールポットに挿し木いたします。
挿し木がある程度大きなってから直接大鉢に植え替えます。
後は時々水やり、液肥を与え、数回消毒(スミチオン・マラソンのみ)いたします。
2~3回草丈が大きくならないようにB-ナイン(ホルモン剤)を散布しただけです。

庭に秋の彩りを添えたい、他人には披露はできないけれど自分だけの満足であれば菊もなんとか一生懸命咲いてくれます。
小生の方法は邪道な方法ですが,あまり時間を割けない方に是非菊作りを味わっていただきたくご紹介する次第です。

「貧乏徳利」って

2015-10-24 08:50:00 | 日記


10月下旬ともなれば陽が落ちるのも早くなり、銀杏の葉も黄金色になって気持ちもしっとりする季節です。
夕食ときには冷たいビールより熱燗がピッタリになってまいりました。

突然ですが「貧乏」という言葉もすっかり耳にしなくなりました。
今日は「貧乏徳利」のおはなしです。

相撲取りで「清国」という力士が今から40-45年ほど前に大関として活躍していました。
年齢的にもほぼ同世代です。
40年ほど前にその名をいれた徳利を料理屋に無理を申して入手。手元にご覧のように鎮座しています。
3合は充分入り、今ではとても一気に飲めませんが。

「貧乏徳利」というのは江戸後期より明治、大正にかけて酒販店から貸徳利、通い徳利として使用されていました。
4斗樽を買えない人々が1升、2升、3升、5合など小口で通い瓶として購入していたものです。

その徳利の生産地は丹波、高田(岐阜県)、有田などです。
貧乏徳利の名称の由来は備前産より粗製である備後徳利から、という説があります。

昭和初期ごろよりガラス瓶が登場してきてから貧乏徳利もすっかり姿を消していますが居酒屋で一部2~3合瓶として
使用されているようです。

畑の大根もあと1~2週間で食べることの出来る大きさになってまいりました。
味噌おでんで秋を感じながら熱燗を味わうのも楽しみのひとつです。ああ、待ち遠しい!

中國の菊花展

2015-10-22 12:59:13 | 日記



 秋も深まりつつある気配ですが、例年の如く国内各地で菊花展が10月下旬より11月末ごろまで開催されています。
 種類によりますが春から夏にかけて挿し木された花が丹精込めて栽培され、愈々お披露目の季節です。

 菊の花は暦年では最後に咲く花として珍重されています。因みに年初に咲く花は梅になります。

 この度、中国の菊花展を鑑賞する機会がありました。今回は山東省・臨沂での菊花展です。
 臨沂は書聖といわれる王羲之の生誕の地です。
 今回の庭園では菊と木、池のバランスを考えた菊花展です。菊だけが主役でなく、役者のひとりという感じです。
 広い庭園をゆっくり散歩しながら菊も愛でるという庭のデザインでした。
 
 日本では菊花展の出品作品は本当に手塩にかけて大事に大事に育てられています。
 風雨を避け、害虫にも注意し、愛情を注ぎ、例えていえば幼児の育て方に近似しています。
 日本では菊花展は菊が主役で、庭園全体のバランスを考えながらの菊花展もあるのでしょうか。
 勿論、菊の主役も好し、庭園の役者のひとりも好しです。
  
 中國は広い国ですから他の地域ではどのように開催されているのでしょうか。
 そういえば中国には菊の花を乾燥させたお茶もありますね。

小生も菊作りを超手抜き方法で25鉢ほど栽培しており2分咲から5分咲き程度でこれから約1ケ月楽しめそうです。

 国内では菊花展が終わるころには寒い寒い季節を迎えそうです。