K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

奈良へ 最終章

2009年11月27日(金)晴 暖かい日でした。
2009年11月28日(土)晴 午前は絶好の行楽日和、昼ごろから曇

奈良へ 最終章(2009年11月14日)

学生時代にサークルの活動でお世話になった山田法胤師がこの11月に奈良西ノ京・薬師寺の新管主に就任されました。そこで、サークルの4つの学年が「お祝いの会」を催すことになりました。そのようなわけで、日帰り「奈良へ」ということになったのです。「お祝いの会」参加者は24名もいましたし、参加できなかった人たちの22名は法胤師が住職を兼務している喜光寺への納経に参加しました。

会の開始1時間前には東京・埼玉・神奈川・静岡・広島・大阪などから到着しました。同期の連中は年に1度は会っていますが、下級生はしばらくながめていないと、、、○○君だってな調子でしたが、直ぐに学生時代のお顔になっていました
乾杯は法胤師が「食作法のお経」を唱えて・・・学生時代に唱えたようですが、すっかり忘れていました
法胤師は「皆さんが薬師寺で合宿をした時よりも設備が整いましたよ。また、合宿をしますか」
H君「ほんとにいいのですか、押しかけますよ」
A君「・・・・」
コッコーは二度と合宿はごめん、ごめん・・・
大学一年のサークル勧誘で「薬師寺の合宿」に惹かれて入会したのですが、、、
人生の一コマとしてのお寺での合宿は良い経験だと思っていますが、、、
朝のお勤め、掃除、そして、、、お坊様がた(当時長老といわれていた橋本凝胤師、当時の管長の高田好胤師、松久保秀胤師・安田英胤師そして法胤師など)のお話を正座で、、、足の痺れで、お坊様方のお話はあまり、覚えていません。しかし、「百里の道も九十九里を半ばとす」この言葉は(高田好胤師が何回も何回もお話になっていました)私のその後の人生で、いつも反復していました。お坊様方の講和の後、やっと、朝食を、、日中は奈良や京都をテクテク歩いてお寺を拝観、夜は反省会、、。
上級生になってからは合宿の前後に薬師寺に居候して、男子は修学旅行生への説明を女子は掃除やらお勝手方をしていました。これはとても楽しい思い出です。お寺ではお話を聞く、ということが多かったのでお話の仕方をずいぶん勉強しました。その後、コッコーの就職先は話をする仕事だったので、とても役に立ちました。

「お祝いの会」はいつ終わるかと思うほどの盛会でした。東京行き最終の「のぞみ」に乗る予定だったので、途中で失礼せざるを得ませんでした。みなさん、ごめんなさい

法胤管主からお土産をいただきました。有難うございます。

色紙

管主と署名なさったのはこの色紙が初めてだとのこと。


オペラ遣唐使ー阿倍仲麻呂のご本




午後9時過ぎの京都駅

京都タワー

京都発21時34分東京着23時45分のぞみ号
3日目前(11月11日)に市橋容疑者が乗った列車だったのです。



帰りの新幹線では薬師寺新管主法胤師からのお土産の「オペラ遣唐使」に吸い込まれて読みきりました。

遥かなる時を超えて
オペラ 遣唐使
―阿倍仲麻呂―
芸術監督   松下 功
原作・台本  上野 誠
監修     山田法胤

古代の日本は中国の政治制度や文化を手本に国家を形成し発展しました。そのために、630年、第1回目の遣唐使を派遣、その後、ほぼ20年ごとに遣唐使を派遣しました。厳しい航海なので1隻くらいは無事たどり着けるのではないかということで、1回の遣唐使に4隻の遣唐使船を出しました。各船には100余名の人が乗り込み、総勢は500人ほどでした。この本に登場する阿倍仲麻呂は717年の遣唐使船で留学生として唐(玄宗皇帝治下)にわたり学問に励み、唐の官吏登用試験(科挙)に合格して出世しました。752年に藤原清河率いる遣唐使の帰り船で仲麻呂は帰国することを玄宗皇帝から許されました。しかし、仲麻呂が乗った第1船は難破してしまいました。この知らせを受けた唐では阿倍仲麻呂の葬儀をしたとのことです。幸いにも清河も仲麻呂もベトナムに漂着し、755年に両人一行は唐の都長安に帰りつきました。玄宗皇帝は藤原清河と阿倍仲麻呂の日本への帰国を危険だからと認めようとはしなかったので、仲麻呂は再び官吏として働き、唐の土となりました。752年の遣唐使帰り船の第二船には鑑真が乗っていました。第二船も大変な航海のようでしたが鹿児島に上陸できました。
オペラ遣唐使は阿倍仲麻呂の頃を舞台としています。

遣唐使の船の多くは難破するという厳しい現実に、
第一幕はわが子を遣唐使として送り出した母は心配で薬師寺門前で悲しみを訴えています。その声を聞きつけた薬師寺の僧侶らは遣唐使の母のために祈り始めます。
第ニ幕は遣唐使として無事唐でお役目をはたした若者が帰り船で難破してしまい、再び唐の地に戻ってきました。しかし、若者らは今後のことが不安でたまりません。そこで、唐の高官となっている阿倍仲麻呂に助けを求めます。しかし、若者たちが遣唐使だという証がありません。仲麻呂は色々若者を試してみますが、遣唐使だという確信がもてません。ところが、若者らが故郷の父母を思って祈る姿に遣唐使としての証を確信しました。・・
 
東京国立博物館で昨年、開催された「薬師寺展」がきっかけで、薬師寺と作曲家の松下功教授との関係が生まれ、日本ロレックスの社長さんの後援で、日本の伝統芸術と西洋のオーケストラを合わせて平城遷都1300年にふさわしい作品を創作しましょうということで、オペラ「遣唐使」が誕生しました。

2009年6月10日に薬師寺玄奘三蔵院で「オペラ遣唐使」第1幕と第2幕が上演されました。続きの第3・4幕は2010年6月10日に上演を予定しているとのことです。
観たいですね。

あまの原 ふりさけみれば 春日なる
  
  みかさの山に いでし月かも 


        阿倍仲麻呂(唐の地で詠む)
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