4月3日・10日にNHKドラマ『大仏開眼』をみながら「橘諸兄や藤原仲麻呂のイメージと合わないな」とか「大仏を偉大なものという前提から脱しないとドラマは書けないないな」とか文句を言いながらも年表片手に2回とも見てしまいました。今回の奈良へ2泊3日のコースはこのドラマを意識したのではありませんが重なる部分も多々ありました。数年前からネット上やTVの画面での平城宮の朱雀門を「あれ、ホントにあるの?」と、夢でも見ている印象だった世界を確認してきました。
2010年4月24日にオープンする『平城遷都1300年祭』の会場の準備真っ只中を見学しました。
以下の文は耳学問で書きましたので出典等書けません。
日本で初めて都造りをしたのは持統天皇の藤原京です。では、それ以前の天皇のお住まい=宮はどうだったのでしょうか。おそらく掘ったて柱(縄文時代に始まる日本の建築方法で穴を掘って柱を立てる)の小屋程度のものだったと思います。しかも天皇が代るごとに転々と住まいを移動していたようです。例えば大化の改新がおこった645年(皇極天皇)の時は飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、その645年大化の改新中に皇極天皇は退位し、孝徳天皇が即位することになると都も移り難波宮となりました。、、、、天智天皇は近江大津宮、次の天武天皇は飛鳥浄御原宮というぐあいです。天武天皇の皇后で、天皇の後を継いだ持統天皇は日本で初めての藤原京=都を造営し、694年に遷都しました。その後、待望の大宝律令(律は刑法・令は行政法規)が701年に制定されると大宝律令にふさわしい都がほしくなって、平城京が造営されることになり、710年に平城遷都となりました。これより794年平安遷都までの期間を奈良時代といいます。藤原京も唐の都長安を手本にした都でしたが、藤原宮が都の中央に位置していたことが問題となったようです。中国では古来より『君主南面』といわれ、君主のお住まい=宮殿は都の最北に置かれました。そこで平城京ではその最北に平城宮を置きました。
※都は天皇の住まい=宮の周辺に天皇に仕える諸氏の住む地域など都市計画されて造営されたものです。その最初が藤原京694~710年(奈良県の畝傍山などの大和三山に囲まれた地域が中心)です、その次が平城京710~784年(桓武天皇が長岡京に遷都しますが天災や都造営長官が殺害されるなどの悪いことがおこったので長岡京造営を断念して平安京へ794年(~1868年)に遷都します。これら3つの京=都は唐の都長安を手本としたもので碁盤の目状に区画された条坊制を持つ都市です。
藤原京以前は天皇の住まい=宮の周辺に豪族たちが住まいを移すというように計画されたものではなく発展したようです。
平安遷都のあと平城京は歴史の中心から外れてしまい廃墟となり農地となりました。その平城宮の発掘は1967年から伸展し、ここ10年余りの間に朱雀門が復元され、現在は2010年4月24日『平城遷都1300年祭』に向かって大極殿復元工事完成が急がれ、祭典のイベント準備の真っ只中です。
復元地域は下図の平城京の最北中央(上中央)の平城宮部分です。
下図は平城宮の復元した部分を赤で示しました。但し、朝堂院は復元されていません。
緑の部分は礎石などです。
赤で示した大極殿・朱雀門・東院庭園が復元されています。
赤で示した大極殿と朝堂院(儀式や宴会会場)を第1次大極殿・第1次朝堂院と称しています。
緑の大極殿と朝堂院(儀式や宴会会場)を第2次大極殿・第2次朝堂院と称しています。
第1次は740年まで使用したもの。第2次は745年から使用したものだそうです。
740年から745年までの間に聖武天皇は平城京から恭仁京→難波京→紫香楽京へと都を転々と移し、再び745年に平城京遷都しました。
大極殿
朝廷の正殿 即位の礼などを行いました。
『平城遷都1300年祭』の準備のボランティアさんがお花の手入れをしていました。
第2次大極殿跡
朱雀門
中国の古代思想に四神思想があります。南を守るのは朱雀で、平城宮の南の門の名前。
ここから南へ朱雀大路が羅城門まで伸びます。
東院庭園
エッうそーこれが奈良時代
寝殿造りみたい
解説では寝殿造りのルーツは奈良地代にアリとのことです。
枯山水のルーツも奈良時代とか
曲水
曲水の宴(きょくすい<ごくすい>のうたげ<えん>)は、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる杯が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、出来なければ罰として盃の酒を飲むという行事である。流觴(りゅうしょう)などとも称される。略して曲水、曲宴ともいう。(『広辞苑』第二版)
南東隅のから八角の柱が地中から発掘されたので、復元したとのことですが、、、屋根の鳳凰は平等院を模したそうです。
八角柱
発掘でわかった当時の樹木を植えていました。
梅
ヤマモモ
柳 花が咲いていました。
ミツバツツジ
平城宮を訪問した4月7日は朝方雨はやみましたが、曇天の寒い日でした。だだっ広い平城宮を歩くには厳しい寒さでした。朱雀門から大極殿を眺めながら、、、唐の都長安の冬の早朝、高官たちが登庁する姿を思い浮かべ、、、李白も鼻水をすすったのではと、、
ふと、『平安遷都1300年祭』が終わったら、この会場はどのようになるのかと、、、復興の意味を思うのでした。
続く
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