レンタルDVDで見ました。
クリント・イーストウッドは太平洋戦争末期の日米激戦の硫黄島の戦いを「硫黄島プロジェクト」アメリカ側からの「父親たちの星条旗」、日本側からの「硫黄島からの手紙」の2本の映画を2006年に製作しました。すでに「硫黄島からの手紙は」見ていたので「父親たちの星条旗」もみなければと・・・。
硫黄島の戦いは1945年3月1日に日本軍が全滅しました。アメリカ軍は激戦の中心となったすり鉢山の頂上に6人の兵士に星条旗を立てさせます。しかし、そのうちの3名は戦死してしまいます。生き残った3名がアメリカ本土に英雄として呼び戻され、戦費調達のための国債のキャンペーン・ツアーをさせられますが、彼ら自身は死んでいった友のほうが英雄で自分たちは英雄ではないと苦しみます・・・。
日中戦争~アジア太平洋戦争では敗戦した日本軍の残虐行為が伝えられることが多いですが、クリント・イーストウッド監督は死闘のなかで自らの身を守るためにアメリカ軍兵士の残虐さも描き、戦争とは無駄な行為という反戦のメッセージをこめていました。太平洋戦争が始まって3年余りを経過した1945年4月にはアメリカも戦費が不足して早く戦争終結を望んでいたことが鮮明に描かれていました。このことで1つわかったことがありました。1945年7月26日に連合国側のアメリカ・イギリス・中国はポツダム宣言を発し、日本の無条件降伏・日本軍の解体・日本の民主化等を日本に迫りました。ところが大本営は国体護持にこだわって返事が出来ませんでした。ついに、8月10日に日本は条件付(国体護持)でポツダム宣言受諾を連合国側に打電しました。連合国側は条件付に驚き、イギリスとソ連は条件付を納得しませんでした。しかし、戦争終結を望んだアメリカは英ソを説得しアイマイナどうにでも訳せるような英文でポツダム宣言受諾を受け取った事を日本に知らせました。アメリカがなぜそのように戦争終結をあせったのかということは、合衆国連邦政府の資金不足だったのかと、アメリカも長期の戦争を望んでいなかったのだと・・・。日本にもっと勇気があれば1942年6月のミッドウエー海戦敗北時に講和条約をすればと・・・(軍を派兵する中枢部はどこで退却するかを見極めないと国民を無駄死にさせてしまいます。。。。派兵しないのがベストですが・・・))
アメリカにとって(独立戦争以来の)自由のための戦が通じるのも太平洋戦争までだとも感じました。
それにしても太平洋戦争の日本側からの視点、アメリカ側からの視点の2本の映画を作ったクリント・イーストウッドはアッパレ
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やはり、日本側視点の「硫黄島からの手紙」のほうが冷静に描けていたように思いました。
最近はレンタルDVDになってしまい映画館に足を運べません
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