K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

北京故旧博物院200選

2012年2月23日雨、のち晴



午後2時ごろでしょうか、雨がやみパーっと明るくなり晴れて、気温も上昇しました。
帰り道はダウンコートでは暑くて、マフラーを取り・・・



先週の金曜日に行った北京故旧博物院展について書かねばと。忘れちゃいそうです。


故宮(紫禁城)は中国の明・清王朝の王宮です。(故旧の城門が天安門)清王朝が滅んだ直後に、清王朝最後の皇帝溥儀を宮殿から追い出して、王朝の持ちモノを1925年から一般公開したことが故宮博物院の始まりです。

15世紀前半に明の三代目の永楽帝が領土の東北の辺境すれすれの位置(万里の長城の南)に宮殿を造営して南京から遷都し、北京としましたました。さて、明の初代の皇帝洪武帝は元の末期に紅巾の反乱で力を発揮し、江南地方からモンゴル人の元王朝を追っ払って、南京を都に明を建国(1368年)しました。貧しい農民出身で皇帝にまで上り詰めたひとです。その後、洪武帝は華北地方のモンゴル勢力も北方に追い払い、内政に力を入れました。そして、三代目の永楽帝は辺境北京に都を移し北方へ親征するという外征重視の政治に転じました。・・・1644年に明は滅び、満州民族の清の支配下になります。明の永楽帝から清滅亡(ラストエンペラー宣統帝)まで北京の紫禁城が明・清王朝の宮殿でした。

今回の展示物の中心は清朝の全盛期{康熙帝・雍正帝・乾隆帝}の乾隆帝のようです。





乾隆帝  



この展覧会で周時代の見事な青銅器や宋時代の書画に出会えたのは嬉しかったです。異民族の清王朝は漢文化へのあこがれ(コンプレックス)?とその権力で歴代の漢人の文化品を多数蒐集したようですね。集めてくれたおかげで、失うことなく今日に残ったのだな、と、つくづくと思いました。



南宋の朱熹(子)の自筆の詩もしっかり見ました。うまい字ではなく、くせを感じる文字のようです。



清明上河図巻http://www.kokyu200.jp/midokoro_03/は実物の展示はすでに終わっていましたが、重要な場面を動画で楽しませていました。
この絵は清明の時期(春たけなわ・4月上旬)の宋(北宋)の都・東京開封府の内外で繁栄する庶民の生活を描いています。時の皇帝徽宗(のち北方に連れ去られた)は満足げに鑑賞していたようとのこと。

徽宗の書画の展示もありました。


私が一番気に入った作品は梔子堆朱盆(くちなしついしゅぼん)
張成(ちょうせい) 元時代・13~14世紀 朱の色がよかったです。



故宮博物院200選http://www.kokyu200.jp/

故宮博物院点のブログhttp://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/16/?start=0



いいものは台北の国立故旧博物院でしょうね。

コメント一覧

恵さんへの返信
http://yaplog.jp/kraumjp/
昨晩はウドと油揚げを失敗して、
ブログネタがなかったので、
急遽故旧にしました。
時間がなくて十分に書けませんでした(泣)
何枚か掲載していない写真もありますので、
このページで更新していきます。

中国文化の奥は深いですね。
私も印象に残っています。梔子堆朱盆(くちなしついしゅぼん)が。

本当に良いものがありましたね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「芸術」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事