K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

北陸その4

2006年11月1日 北陸その4

一乗谷(福井県福井市、福井市街の東南10km)

北陸旅行2日目は大野市の知人宅を訪問するので、永平寺から一乗谷、

そして大野市を予定しました。が、一乗谷も大野市も見所が多そうなので、

今回は永平寺を止めにしました。まず、朝倉100年の歴史の拠点一乗谷を

訪れました。室町幕府の実力者(管領)斯波氏の重臣だった朝倉氏は応仁

の乱(1467年~1477年)の混乱のなかで越前国守護斯波氏の守護代甲斐氏

を追出して越前国の支配権を奪い取りました(1471年)。朝倉氏は近江の戦

国大名浅井氏と同盟を結んで勢力を張っていました。しかし、浅井・朝倉

は織田信長の軍に破れ滅亡(1573年)しました。その時、一乗谷は信長の

重臣柴田勝家に攻撃され廃塵に帰しました。朝倉義景は一乗寺から越前

大野に逃れましたが、自害に追い込まれました。

一乗谷は一乗寺川に沿った帯状の平地で両側は山地が連なっています。平

和な世なら桃源郷のような土地柄のようにみえました。朝倉氏は両側の山

地が迫って平地が狭くなっている上流と下流に城戸(きど)を築いて外部

からの守りを固めていました。

上城戸

浅井氏の後、越前国の支配者は織田信長の重臣柴田勝家となりましたが、

本拠を北の庄(福井市街の中心地)としたので、一乗谷は田んぼとなり

浅井氏の館などは埋まってしまいました。1960年代から朝倉氏の館の発

掘調査が本格化して、現在は朝倉氏時代の街並みが復元されています。

(復元は1995年とのことです)

復元された街並み

左の塀の中は朝倉家家臣の住居。

右は手工業者を城戸内に集めて住まわせた。


紺屋の復元

朝倉氏館入口の唐門

唐門の内側には浅井氏の館がありましたが、現在は礎石だけです。

館背後の山の中腹に庭園があります。


庭園

水の流れもありました。やはり、京都の裏庭だな
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