先月静岡県の完歩が終わり、今度は愛知県を歩いていきます。前回はかなり前になりますが岡崎の備前屋前で終わっていますので、今日はその続きからとなります。

この道標前をスタートしました。
岡崎二十七曲がりの途中からです。市街地を左折・右折を繰り返しながら進みます。岡崎は以前仕事でよく来ていたり妻の実家のある町ですので、結構土地勘はあります。
歩き始めてすぐに現れるのが赤レンガの建物の旧岡崎商工会議所です。大正6年岡崎銀行本店として建てられ戦後は商工会議所として使われていましたが、現在は岡崎信用金庫資料館となっています。

岡崎の市街地を回り少し郊外に出たところで岡崎城が見えてきます。徳川家康がここで誕生した事で有名です。以前登城した事がありましたが市内を一望できました。しかし最近は高い建物が多く立ったので一望できるかどうか心配です。
国道1号線から岡崎城が見えます。
更に進んでいくと八丁味噌の老舗「カクキュウ」や「まるや八丁味噌」の間を歩いていきます。恥ずかしながら工場見学は一度もしたことがありません。

カクキュウと味噌蔵が並ぶ通り。

まるや八丁味噌は何年か前のNHKの朝ドラ「純情キラリ」のロケにも使われました。
この後は矢作川を渡って行きます。岡崎の市街地とはお別れです。

1号線の一本北側の通りを歩いていきます。ここは住宅などが多く特に歩いていて楽しい場所ではありません。そして又1号線と合流します。排気ガスの中を歩いていきますので更に楽しい場所ではありませんね。
しばらく歩くと安城市に入って行きます。次の宿場町は池鯉鮒(知立)なので安城には宿場がありません。

安城市に入るとすぐに1号線から左に分かれ、すぐに松並木になります。

しばらく進むと「永安寺」という寺があります。横に枝を広げたクロマツは見事に蜷局を巻いていました。

そこの先に「明治川神社」という大き目な神社があります。明治用水の功労者を祀ってあるそうです。

更にその先に「来迎寺一里塚」があります。ここは珍しく両側残っています。

その先で気がついたらいつの間にか知立市にかわっていました。標識くらい立てといてくれればいいのに、歩く時の励みになっているのですから。しかし今日も真夏日です。更に愛知県は静岡県より気温が高めですので、ちょっと疲れが見えてきます。しかしこのような時にタイムリーに日陰で休憩するところってなかなかないんですよね。
衣浦豊田道路の高架下を抜けると松並木が現れます。それもかなり大規模な松並木です。知立松並木と呼ばれているようです。松並木は1号線との交差するところまで続いていました。

松並木の中に馬市の址の碑もあります。広重の東海道五十三次の池鯉鮒宿は馬市が描かれています。

知立の市街地の中を通り抜けると知立古城跡があります。元来知立神社の神主であった永見氏の居館でした。

その先国道1号と155号の交差した所に知立神社があります。初めて行きましたが結構大きな神社です。社伝によれば「850年(嘉祥3)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社はの別当寺となった。現存する多宝塔は、1509年(永正6)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は篏板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約10mあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。」とあります。


すぐ近くには「総持寺」もあります。大正15年に再建されたもので、知立神社の別当寺でした。

この後、国道1号に合流しますが暑さがかなり体力を奪っていきます。更には国道沿いという事で排気ガスを浴びる一方で面白い事はありません。お昼に近づいて来たのでどこかないかなと思いますが、こういう時はなかなかタイムリーには無いものです。
国道1号に合流すると刈谷市に移って行きます。

こちらも東海道の宿場町はありません。次は鳴海宿ですのでちょっと距離はあります。
やがて1号線と分かれ細い道を歩き、もう一度合流しますがすぐに分離します。ここも住宅街の中を歩いていきますので退屈な道です。
ちょっと1号線に戻り、昼食をして歩き始めますが、いよいよバテて歩きにも力が入りません。今日の目論見では最低鳴海までは行けるかと思っていましたが、修正しなければいけない状況です。何とか名鉄の駅のある所までは歩きたいと思います。
1号線の一本隣の道で、境川を渡る境橋で三河の国と尾張の国の国境になっています。ここも標識はありませんが豊明市に移ります。

伊勢湾岸道の下を通りまた1号線に合流しますが、すぐに左に分かれていきます。豊明まで来るとかなり名古屋の匂いがしてきます。もうちょっとなんですがね~
左に分かれて少し行くと「阿野一里塚」があります。ここの一里塚は国指定史跡でここも両サイドが残っています

この時点でかなり疲労の限界になってしまったので、名鉄前後駅前でギブアップしてしまいました。次回はここからですが宮の渡しまではもう少し。色々沿道を見ながら行きたいと思います。

今日は前後駅で終了しました。

この道標前をスタートしました。
岡崎二十七曲がりの途中からです。市街地を左折・右折を繰り返しながら進みます。岡崎は以前仕事でよく来ていたり妻の実家のある町ですので、結構土地勘はあります。
歩き始めてすぐに現れるのが赤レンガの建物の旧岡崎商工会議所です。大正6年岡崎銀行本店として建てられ戦後は商工会議所として使われていましたが、現在は岡崎信用金庫資料館となっています。

岡崎の市街地を回り少し郊外に出たところで岡崎城が見えてきます。徳川家康がここで誕生した事で有名です。以前登城した事がありましたが市内を一望できました。しかし最近は高い建物が多く立ったので一望できるかどうか心配です。

国道1号線から岡崎城が見えます。
更に進んでいくと八丁味噌の老舗「カクキュウ」や「まるや八丁味噌」の間を歩いていきます。恥ずかしながら工場見学は一度もしたことがありません。


カクキュウと味噌蔵が並ぶ通り。

まるや八丁味噌は何年か前のNHKの朝ドラ「純情キラリ」のロケにも使われました。
この後は矢作川を渡って行きます。岡崎の市街地とはお別れです。

1号線の一本北側の通りを歩いていきます。ここは住宅などが多く特に歩いていて楽しい場所ではありません。そして又1号線と合流します。排気ガスの中を歩いていきますので更に楽しい場所ではありませんね。
しばらく歩くと安城市に入って行きます。次の宿場町は池鯉鮒(知立)なので安城には宿場がありません。

安城市に入るとすぐに1号線から左に分かれ、すぐに松並木になります。

しばらく進むと「永安寺」という寺があります。横に枝を広げたクロマツは見事に蜷局を巻いていました。

そこの先に「明治川神社」という大き目な神社があります。明治用水の功労者を祀ってあるそうです。

更にその先に「来迎寺一里塚」があります。ここは珍しく両側残っています。

その先で気がついたらいつの間にか知立市にかわっていました。標識くらい立てといてくれればいいのに、歩く時の励みになっているのですから。しかし今日も真夏日です。更に愛知県は静岡県より気温が高めですので、ちょっと疲れが見えてきます。しかしこのような時にタイムリーに日陰で休憩するところってなかなかないんですよね。
衣浦豊田道路の高架下を抜けると松並木が現れます。それもかなり大規模な松並木です。知立松並木と呼ばれているようです。松並木は1号線との交差するところまで続いていました。

松並木の中に馬市の址の碑もあります。広重の東海道五十三次の池鯉鮒宿は馬市が描かれています。


知立の市街地の中を通り抜けると知立古城跡があります。元来知立神社の神主であった永見氏の居館でした。

その先国道1号と155号の交差した所に知立神社があります。初めて行きましたが結構大きな神社です。社伝によれば「850年(嘉祥3)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社はの別当寺となった。現存する多宝塔は、1509年(永正6)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は篏板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約10mあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。」とあります。



すぐ近くには「総持寺」もあります。大正15年に再建されたもので、知立神社の別当寺でした。

この後、国道1号に合流しますが暑さがかなり体力を奪っていきます。更には国道沿いという事で排気ガスを浴びる一方で面白い事はありません。お昼に近づいて来たのでどこかないかなと思いますが、こういう時はなかなかタイムリーには無いものです。
国道1号に合流すると刈谷市に移って行きます。

こちらも東海道の宿場町はありません。次は鳴海宿ですのでちょっと距離はあります。
やがて1号線と分かれ細い道を歩き、もう一度合流しますがすぐに分離します。ここも住宅街の中を歩いていきますので退屈な道です。
ちょっと1号線に戻り、昼食をして歩き始めますが、いよいよバテて歩きにも力が入りません。今日の目論見では最低鳴海までは行けるかと思っていましたが、修正しなければいけない状況です。何とか名鉄の駅のある所までは歩きたいと思います。
1号線の一本隣の道で、境川を渡る境橋で三河の国と尾張の国の国境になっています。ここも標識はありませんが豊明市に移ります。

伊勢湾岸道の下を通りまた1号線に合流しますが、すぐに左に分かれていきます。豊明まで来るとかなり名古屋の匂いがしてきます。もうちょっとなんですがね~
左に分かれて少し行くと「阿野一里塚」があります。ここの一里塚は国指定史跡でここも両サイドが残っています


この時点でかなり疲労の限界になってしまったので、名鉄前後駅前でギブアップしてしまいました。次回はここからですが宮の渡しまではもう少し。色々沿道を見ながら行きたいと思います。

今日は前後駅で終了しました。