コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

東海道の総括。

2013-11-05 23:07:54 | 東海道
11月2日に達成しました東海道を振り返って見ました。
歩行開始2010年12月11日 この時は東海道を完歩しようなどと思わずに予定の無い日だったので薩埵峠から富士山が見たくて興津→蒲原を歩きました。
歩行回数 21回

もっとも苦労したコース:三島→箱根峠 何回もリアイアを考えました。リタイアしていたら完歩なんてなかったです。
            箱根峠に立った時は感動ものでした。

これぞ絶景:薩埵峠から見る富士山。(2010年12月11日)

風情を感じた場所:箱根杉並木(2011年5月15日)、赤坂宿大橋屋(2011年10月8日)、有松町並み保存地区(2012年10月7日)、瀬田の唐橋(2013年10月12日)

暑さに参った:浜松→新居(2011年7月10日)、袋井→浜松(2012年7月16日)、岡崎→豊明市前後(2012年8月16日)

寒さに参った:冬の歩き始めはいつもそうですが歩き始めると寒さは気になりませんでした。(指先だけは冷たかった)

もっとも早起き:日本橋→横浜 沼津を4時55分の電車で出かけたので4時に起きました。昼頃に早起きのダメージがきました。

東海道を歩く上で案内板等親切な町:富士市(曲がり角毎に案内が表示されていました)、土山宿(街道の保全に力が入っていました)、日坂宿(掛川市)等々

思い起こすと様々なシーンが浮かんできます。日頃歩いて旅する事がないので歩いていると色々な発見がありました。
地域毎の生活の匂いも感じる事ができました。近くの町でも歩いていたから分かる旧蹟等も発見できました。
地元の人達から気軽に声を掛けられて元気をもらったり旧蹟の説明をしてもらったりしました。みなさんありがとうございました。

さて、この後どこを歩こうか。安直に中山道なんて考えがちですが、こちらは現地まで行くアクセスが遠くなりますし山岳コースもあります。東海道のように1回ごとに帰ってくる事はできませんので宿泊も必要になりますので体力と時間と資金が掛かりますのでいますぐの決行は難しいかと思います。

今、考えているのは一つの町を一日かけて歩いて廻ろうかとも思っています。最近旅行というと車で廻るのが常道ですが歩いて町を眺める事ができたらいいなと思います。
山登りなんかも挑戦してみたいとも思います。高い山は難しいですが身近な小山から行ってみたいしいつかは富士山登頂や屋久島の縄文杉なんかを見に行きたいです。

夢は果てないのですが足腰を鍛えるというのは大切な事だと思います。今は日課となっていませんが歩くことを日常に取り入れられたらいいかと思います。
またウォーキングの報告ができたらいいかと思います。

東海道遂に完歩しました。思ったよりあっさりとしていました。

2013-11-02 22:20:13 | 東海道
東海道最後の区間を今日歩きました。最後ですので沿道の見どころを拾いながら歩いていきます。
今日は珍しく同行者がいます。妻と姉夫婦が同行してくれました。コヤチンの東海道ウォークにご賛同いただきましてありがとうございました。

先日と同様に柘植駅に車を駐車して草津線で出かけました。大津駅に到着して先日の旧東海道に向かって歩きます。季節は秋の盛りですのでウォーキングには最も適した季節だと思いますが、出発時はちょっと肌寒いですがこれ位が歩いていく上では丁度良いと思います。

AM9時に歩き始めました。前回は大津祭が行われていたので人が多かったですが、今日は土曜日の早朝という事で静かな通りとなっております。


前回も通りましたが「此付近露国皇太子遭難之地」と刻まれている碑があります。ロシアのニコライ皇太子が、警備の警官にサーベルで斬りつけられた「大津事件」発生現場で当時は即戦争に発展するかといった憶測も流れました。


この先札の辻のある交差点まで進み、ここを左折します。道路を京阪電車が走っていてこの部分だけは路面電車の様相です。


京阪が右にカーブした先に長安寺というお寺がありますが、ここで有名なのは日本最古の宝塔(牛塔)があります。京阪の踏切を渡り石段を登って行くとすぐに分かりました。確かにあまり見る事のない形をしています。


先に進むとJRの線路の上を通ります。現在でも使われている明治時代のトンネルが見えます。レンガ造りで明治って感じです。

ここを越えたすぐの所にあるのが蝉丸神社下社です。琵琶の名手蝉丸を祀る神社は東海道沿いに3社あります。下社・上社・分社の順に現れます。まずはその一番目の下社です。


京阪電車沿いを進み国道一号線と合流する前に逢坂の碑があります。「日本書記」によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とぱったりと出合ったことに由来すると伝えられているそうです。又、その碑の隣には安養寺というお寺がありますが、本堂には重要文化財の行基作「阿弥陀如来坐像」が安置されているようです。今回は見ないで次に向かいました。
 
逢坂の碑と安養寺

この後は暫らく国一沿いを歩きます。京都が近くなっているので交通量は多くなってきました。そのうちに頭上を名神高速道路が跨いでいます。
名神の下をくぐって行った先に2つ目の蝉丸神社「蝉丸神社上社」があります。ここも中は見ないで進みます。


更に国一を歩き、旧東海道が国一から分岐するところに「逢坂の関跡」があります。逢坂の関は伊勢の鈴鹿や美濃の不破の関と並んで天下の三関の一つです。百人一首にもある蝉丸の一首で「これやこの ゆくもかえるもわかれては しるもしらぬも 逢坂の関」という歌があります。コヤチンも辛うじて覚えていました。


脇道に入り進むと鰻専門店「かねよ」からいい匂いが漂ってきます。時間的に仕込中かと思いますがお腹が空いてはいませんが食欲をそそります。そこを過ぎて3つ目の蝉丸神社の「蝉丸神社分社」があります。


再び国一に合流し暫らく名神・京阪電車・国一という並びで歩きます。名神の案内標識が見えますが京都東ICが近いようです。ICの手前で名神の下をくぐり並んでいた京阪とも別れ国一から分岐して狭い道に入ります。。どうもこの辺は滋賀県と京都府の境のようで道を挟んで県境があるという不可思議な現象が起こっています。
分岐する道標があり三条大橋に向かう案内があってゴールが近くなって来た事を感じます。


この先の閑栖寺というお寺に「車石」が残っています。車石とは牛車(荷役)用の轍を石に刻み敷設したもので大津・京都間の物資を運ぶため大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、通行の難所であったので文化2年(1805)年に一万両の工費で、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に牛車専用通路として、車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てたようです。先人の努力に頭が下がります。
 



国一を今度は歩道橋で渡り進んでいくと狭い割に交通量が多い道路となります。歩きにくいと思っていると交差点に「山科駅前」の表示。JRではこの駅の隣が「京都」です。歩き方にも熱がこもってきます。
旧東海道が「京都薬科大学」付近で三条通りと合流し東海道線の下をくぐります。そのくぐった先に天智天皇陵があります。天智天皇に敬意を表して参詣しました。長い通路を歩き行きついた所にありました。
 
天皇陵に続く道は何か落ち着きを感じました。間もなくやってくる紅葉の時は綺麗だろうと思いながら歩いていました。

この後道は極端に狭い道を通ります。車が1台やっと通れる位の道になり、更には坂道になってきました。歩いていると坂の傾斜がきつくなっていきます。同行の人達から苦情めいた声が聞こえてきます。振り返って見ると眼下に東海道線が走り先程前を歩いた京都薬科大学の校舎が見えます。標高が急に上がった事を認識しました。

この後は丘の上の住宅地を抜け三条通りに合流します。道路標識にも「三条大橋」の文字が現れます。ゴール近し!!
蹴上浄水場付近の下り坂から京都の町が見えてきます。もう少しもう少し。
 眼下に京都市街地。

蹴上の交差点に着き目に着くのはレンガ造りの建物です。これは関西電力の蹴上発電所の第二発電所建屋です。レンガ造りに哀愁を感じます。


ここで三条大橋に向かう前にオプショナルツアーで南禅寺に向かいます。蹴上からは約10分足らずで着きます。コヤチンは南禅寺は初めてです。
三門(重要文化財)から入ります。境内は落ち着いた雰囲気で紅葉には少し早いですが、一部色づき始めているところもあり少々目を楽しませてくれます。国宝の方丈も行きたかったのですが今回は三条大橋に向かう事を優先しましたので次回のお楽しみとなりました。
 

南禅寺でもう一つ見逃せないのが境内を通る琵琶湖疏水のレンガ造りです。赤レンガが違和感を与えがちなのですがここでは何故かマッチしています。
 
レンガ造りの疏水とその上を流れる水が今日も琵琶湖の水を運んでいます。

お昼になりましたので南禅寺といえば湯豆腐料理です。有名な「奥丹」に行きました。15から20分程並んで入りました。湯豆腐は家庭で食べる味とは全く別物です。高級料理ですがたまにはいいものですね。
 

 
落ち着きのある店内でプチ庭園もありました。

さて東海道に戻ります。東海道の完歩が秒読み段階となってきます。
三条通りを進みます。観光客等で人通りが多くなってきました。途中で「坂本龍馬・お龍結婚式場跡」の碑も発見しました。
水のきれいな「白川」に着きちょっと脇道に入った所に「明智光秀の首塚」があります。しかしこの白川は風情を感じます。京都らしい景色ですね。
 龍馬・お龍結婚式場跡碑

 明智光秀首塚

 
落ち着いた白川のたたずまいと川面に鴨がいました。

さあこの先で「東山三条」の交差点。もう少し。
街中を歩いていくと前方に橋が見えてきました。ゴールが目の前に迫りました。
橋の手前に「高山彦九郎皇居望拝の像」です。江戸後期、諸国を歩いて勤皇を唱えた彦九郎は九州・久留米で自刃しているが、幕末の勤皇の志士に大きな影響を与えている人です。


さあ遂に三条大橋が目の前にあります。遂に日本橋から三条大橋を歩き尽くしました。足の痛さをたえて夏の暑さ冬の寒さ早朝の出発などにも耐えてまいりました。
これを達成したからといって表彰を受ける訳ではありませんが、自分の心の中に一つの勲章ができたような達成感を感じました。
 
三条大橋に到着。

さて目標を失ってはいけませんので次に何をするか考えて行きたいと思います。誰も言わないので自分で自分を褒めたいと思います。「おめでとうコヤチン!!!!!」

さあここからは今日のおまけ旅です。


三条大橋のたもとに豆の老舗「本家船はしや」。京都らしい建物ですね。


その先に「池田屋事件」の池田屋跡


四条河原町に歩いている途中に龍馬と中岡慎太郎の襲撃された場所の碑を発見。

この後は「嵐山」に向かいました。





嵐山も紅葉には少し早いようでしたが、木々の色づきが始まっていました。来週頃から綺麗になってくれるのではないでしょうか。

天龍寺も行きましたが参拝時間ギリギリでしたのでゆっくり見られませんでした。
 
京都五山第一位の寺です。古都京都の文化財として世界文化遺産に登録されています。

 
方丈と方丈越しの庭園の木々。何か一枚の絵のようですね。こちらの紅葉ももう少しです。



 


3方向から庭園を眺めました。風情があります。


苔生した庭もいいものですね。

東海道の後駆け足で嵐山をめぐりました。今度この辺を1日掛けて歩くなんて企画もいいですね。

最後に東海道完歩に際して色々な方のお力添えを頂き誠にありがとうございました。皆様に感謝してこのプログラムを閉じる事ができます心よりお礼申し上げます。

東海道に王手がかかりました。

2013-10-12 20:34:28 | 東海道
いよいよ大詰めとなりました東海道ウォークを今日歩きました。
先月滋賀県湖南市のJR草津線の三雲駅で終わっていますので、今日は三雲駅スタートです。
三重県の柘植駅前に車を置いて三雲に向かいます。

8時30分頃スタートしました。駅前を歩いてすぐに田園風景に変わっていきます。
天井川が現れます。大沙川が流れていますが、トンネルの上に弘法杉があります。樹高26m、周囲6m、樹齢約750年という大木です。
この道にはもう一本天井川がありました。

三雲駅前。大津目指してここからスタートします。

 
大沙川のトンネル。


弘法杉。


もう一つ天井川のトンネル。由良谷川トンネル。

このまま進み甲西駅を越えたところに吉姫神社があります。境内には南北朝時代作の木造狛犬や万病に効能あらたかな宮前の湧き水があるようなんですが見に行ってもわかりませんでした。
この先はいよいよ石部宿になっていきます。

吉姫神社。道中の安全を願って参拝しました。

石部宿の町並みは特に古い建物がある事もなく普通の町並みですが、途中に「石部宿えき」という無料の休憩所があり休憩させてもらいました。三雲駅を出てから1時間半丁度休憩にはいい時間でした。
町並みを歩いて石部駅に通ずるあたりで石部宿は終わりになります。

この後は草津宿に向かいますが、JR草津線沿いを歩きます。この道センターラインが無い狭い道の割に交通量が多い。抜け道となっているのかかなりのスピードで車が駆け抜けていきますのでとっても歩きにくい状況です。自分も車を運転していますが今日は歩行者の気持ちが分かりました。今後の運転には歩行者に対する気使いを更に考えて運転したいともいます。

この道沿いからぽつんと浮き出たような山が見えます。富士山のようにすそ野を長く持った山ですが、以前から名神高速を京都方面に向かった時に気になっていました。後で調べたら三上山(別名:近江富士)というそうです。


歩きにくい道が終わり市域も湖南市から栗東市にいつの間にか変わり、再び街道の様相を呈して来たときに古い建物が現れます。和中散本舗です。ここは家康が腹痛を起こした時、この薬を服用し快復したところから「和中散」と名付けたようです。道中薬として広く普及しました。建物は小休本陣、シーボルトも立ち寄ったようです。国の指定重要文化財となっています。


この後は暫らく住宅街の中を歩くという変化のない道が続きます。
公園の中に一つの石碑が現れます。「釣の陣跡」の碑です。将軍足利義尚が陣を張ったあとです。この碑の向こう側は池になっていて釣池と呼ばれています。
 

ここから先も住宅街が続きます。
目川立場があった場所になりますが、元伊勢谷跡には田楽発祥の地の碑がります。ここで共された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で、独特の風味を有し東海道の名物となったようです。同じく田楽を名物としているのは愛知県の豊橋でこちらの田楽は食べた事があります。


ここから進むと新幹線の高架下を抜けます。その先に草津市の標識です。もう少しで草津宿ちょっと元気が出ます。


草津川の堤防を歩く道になり、対岸に渡る橋を渡ると常夜燈の着いた道標があります。日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816年)3月に建てられたといいます。竿には「右 金勝寺志がらき道」「左 東海道いせ道」とそれぞれの行き先を刻んでいます。なお、道標はかつて道を挟んで北側にあったようです。


この道標から下り坂になり坂を下りきった所に再び道標が現れます。これは追分道標で東海道と中山道の追分となっています。かつて草津は交通の要衝だった事を物語っています。多くの旅人が道に迷わぬよう、また、旅の安全を祈って文化13年(1816年)、江戸大阪をはじめ全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたものです。この道標の道を挟んで高札場跡があります。
 追分道標。

 高札場跡

ここを左折すると草津宿のメインになります。ここで有名なのは本陣跡です。全国に残る本陣遺構の中でも、ひときわ大きな規模を有しており、延4726平方メートルにのぼる敷地内には、かつての本陣の姿を髣髴とさせる数々の建築物が残され、関札・大福帳・調度品ほか、貴重な資料も数多く保管されているなど、近世交通史上、きわめて重要な文化遺産です。
 本陣跡。

 現在の草津宿。

草津宿から今日の目的地大津宿に向かいます。ペースとしては悪くないです。
この後も道は住宅街の中を進みます。街が都会に近くなり田園風景から住宅に景色を変えて行きます。

小公園の中に「野路の玉川」跡があります。日本六玉川の一つの名勝だったようです。現在は小さな公園の一つの水辺だけが残っています。
 野路の玉川跡。

いつの間にか市域も草津市から大津市に変わってきました。
地名も瀬田の地名が出てきます。瀬田と言えば瀬田の唐橋が有名ですが、道は狭めの変化のない道が続きます。

建部神社という由緒ある神社の近くを通りいよいよ瀬田の唐橋が前方に見えてきました。久々に交通量のある道になります。
橋の横にある公園から橋を眺めていました。
日本三名橋・三古橋の一つだそうです。均整のとれた橋ですので見ていて落ち着きを感じます。
 

さて、瀬田の唐橋を渡ったあとせっかくですので近くの石山寺に行くオプショナルツアーを組みました。
唐橋から南へ向かいます。しかし歩いてみると結構距離があります。途中、京都大や竜谷大のボート部のクラブハウスがありました。瀬田川をみるとボートの練習をしている姿が見えました。

距離で2Kmから3Km位でやっと石山寺に着きます。紫式部がここで源氏物語を書いたと伝えられています。
ゆっくり見たかったのですが、この先大津市街まで行かなければならないのでサラッと見てきました。
 東大門(重要文化財)

 蓮如堂(重要文化財)

 硅石灰(天然記念物)
硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な 硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。

 本堂(国宝)
滋賀県最古の木造建造物。紫式部が源氏物語を起筆した源氏の間があります。

 経蔵(重要文化財)

 多宝塔(国宝)
源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多 宝塔。

 鐘楼(重要文化財)

 
芭蕉庵付近から見た瀬田川・琵琶湖方面。湖北の山々が見えます。

ざっと見て石山寺をあとにしましたがロスタイムが多くなったので唐橋までバスで戻りました。

唐橋に戻り東海道の再開です。
夕方になってきたので急ぎたいのですが、オプショナルツアーの代償で足の疲れが出てきました。でも今日は大津までは歩かなくてはいけません。

石山の商店街の中を歩き、石山駅を越え琵琶湖方面に向かいますが風が強くなってきました。
篠津神社という神社の前を通りますが、この神社の門は膳所城の大手門を移築したものです。
 篠津神社。

 石坐神社 

石坐神社というちょっと大きめの神社を越えて義仲寺があります。源義仲の塚もありますが、芭蕉の墓もあります。
ここも寄って行きたかったのですが時間が押しているので行かずに前に進みました。


だんだん街中にさし掛かってきましたが、今日は大津は大津祭が行われていましたので大きな山車を見る事が出来ました。途中滋賀県庁も見えました。
 滋賀県庁。

 大津祭の山車。

大津駅が近くなったところで今日は終了しました。
次回、残すは大津→三条大橋(約10Km)だけとなりました。遂に東海道ウォークにも王手がかけられました。
最後の一区間しっかり歩きたいと思います。
今日はここまでです。です。

坂下→土山→水口→三雲(…石部まで行けませんでした)

2013-09-21 22:45:50 | 東海道
前回の続きで坂下鈴鹿馬子歌会館からスタートです。
鈴鹿馬子唄会館の裏の坂道には東海道53次の宿名の書いた柱が立っています。その道沿いに廃校になった小学校を利用して鈴鹿峠自然の家がありました。

今日はここからスタートです。


鈴鹿峠自然の家。

ここから坂下宿の集落に向けて歩いて行きますが、相変らず通行量は少ないです。山道の傾斜が徐々にきつくなってきたところに集落が出始めここが坂下宿の中心になりますが、本陣跡などの石碑以外は面影を残すものはありません。しかし法安寺というお寺がありますがそこの山門は松屋本陣の門を移築したものとの事です。

法安寺山門。

坂下の宿を越えるといよいよ鈴鹿峠の山岳コースに入って行きます。「東の箱根、西の鈴鹿」といわれる東海道屈指の難所ですので心して歩いて行きたいと思います。
歩く度に傾斜は高くなっていきます。息が切れるようになってきました。折れた枝が道に散らばって歩きにくいと思っていますと、神社が現れます。片山神社というそうです。鈴鹿大明神、鈴鹿権現、鈴鹿明神と呼ばれ、坂上田村麻呂を助けた鈴鹿御前を祀ったといわれていて水害や火事の神様です。その付近に芭蕉の句碑「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」があります。
更に進んで行き石畳も出現しました。久々の石畳です。
 片山神社。

 石畳

 芭蕉句碑。

歩き始めですが少々バテて来たところで鏡石に入る道の分岐点となります。鏡石の肌面は縦2.3m、横2m。昔、峠に住む山賊が街道を通る旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたという伝説から、俗称「鬼の姿見」ともいうようです。ここはスルーして体力を温存したいところですが歩き始めの無謀さで見に行ってきました。
 鏡石。

分岐点から間もなく伊勢国(三重県)と近江国(滋賀県)の領界になります。これで三重県も終了し滋賀県にステージが移ります。この県越えればゴールは間近です。
伊勢と近江の境界石。

滋賀県に入ると茶畑が多く見られ、急な上り坂がなだらかな下り坂になります。遂に鈴鹿峠の頂きを越えてきました。
最初に目につくのは「万人講常夜燈」です。江戸時代に金比羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したものです。
 万人講常夜燈。

ここからも下りになり国道1号と合流しますが、ここに県境の標識。国1ではここが県境のようです。土山町は甲賀市という名前になったんですね。


この後は暫らく国1沿いを歩くことになります。振り返れば鈴鹿山系の山々と秋晴れの快晴の空が気持ちよく感じます。とてものどかな雰囲気です。
この道を歩いて行くと前方に大きな高架の道が現れます。新名神高速です。これができた事によりこの辺の景色が一変した事でしょう。
 
鈴鹿山系と新名神。

この後は国1沿いを歩き一時的に脇道に入るというルートです。脇道に入り工場の横を通り過ぎた所に「蟹坂古戦場跡」があります。
1542年、伊勢の国司北畠具教は甲賀に侵入しようとして鈴鹿の間道を越えて山中城を攻め、当時の山中城主山中秀国が戦った古戦場です。


その後田畑の中の道が続き、車両が通れない橋が現れます。海道橋といいます。広重の土山宿を描いた「土山宿春の雨」はこの橋を通る大名行列が描かれています。
 海道橋

その先は林になり神社の参道にぶつかります。これは田村神社で坂上田村麻呂を祀ってあり「厄除けの神」としても有名です。敬意を表して参拝してまいりました。
 田村神社。

田村神社から国1に向かい、交差した所に「道の駅 あいの土山」がありましたので、少し休憩させてもらいました。無料で土山茶のサービスもありました。タイムリーに休憩できる施設が現れると助かります。
 道の駅、あいの土山。

この道の駅の裏が東海道になります。土山宿に入って行きます。

土山宿は町ぐるみで東海道の保存に心がけているようです。

宿の途中に土山伝馬館という施設があります。入場無料なので入ってみましたが、ボランティアのお母さんが親切に説明してくれました。まずは蔵の中にある人形で出来た大名行列を見せてくれました。土山宿のジオラマなどで土山宿の魅力を紹介してくれました。これも一つの「お・も・て・な・し」ですね。お母さんありがとうございました。
 土山宿伝馬館。

伝馬館のすぐ近くに土山本陣跡がありました。本陣が残っている宿は少ないのですが風情ある土山には残っていました。
 土山本陣跡。

土山宿を歩き尽くすと又国1にでました。本来はこの後合流して野洲川となる前の白川を渡しで渡るのですがここに橋が架かっていないので国1横の歌声橋で渡って行きます。
 野洲川。先週の台風でまだ濁っています。

 その後久々に松並木。

土山宿から水口宿を目指します。水口までの道は単調であまり面白みがない道ですのでとても退屈します。この間の道で2つ目の一里塚が今在家の一里塚です。復元かと思いますが一里塚の格好を留めています。
 今在家一里塚。

そこから歩いて暫らくで「水口宿の東見付跡」があります。水口宿の東の端です。いよいよ水口宿に入りました。
水口宿は土山程旧蹟が残ってはいませんがここも古い街並みで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 高札所跡。

 水口宿の町並み。

 祭の曳山をモチーフにしたからくり時計。

町並みが途切れると鉄道の踏切を越えます。近江鉄道の踏切です。関宿の手前以来久々の踏切でした。この後は住宅街の中を歩きます。たまに田園風景も目にしますが今日はコンバインが活躍している姿をよく目にしたのと、小学校などの横を通ると運動会の声等も聞こえてきました。
延々と退屈な風景と疲労からくる足の痛みがピークに達してきました。やはり3か月のブランクがここに来て影響が出てきます。
今日は石部宿までを予定していましたが、計画を修正しなければならない状況になりました。次のアクセスを考えると少なくともJR草津線の駅までは歩きたい。そこで今日のゴールをJR三雲駅に代えました。
しかしここからざっと30分程はかかりそうです。

少しづつ歩いていくと一里塚があります。泉一里塚です。
 泉一里塚。

この近くに横田の渡し跡があります。昔はここから野洲川を渡し舟で渡していました。
 
横田の渡し跡。

渡しを迂回するように次の橋を渡るとJR三雲駅はすぐでした。今度はここまで電車で来て歩き始めます。
次の回大津を目指して歩きたいと思います。
 湖南市に入ります。

 今日の終点はJR三雲駅。

明日滋賀に挑む。

2013-09-20 23:35:58 | 東海道
東海道ウォークも終盤になり3か月ぶりに再開します。
猛暑の季節を避けてきましたが去年は猛暑の中歩いたんですよね。ちょっと今年は根性が足らなかったですね。反省します。

今年中の踏破を目指しているのでいよいよ始動します。
今晩鈴鹿に入りました。鈴鹿馬子歌会館前からスタートします。鈴鹿峠を越えると滋賀県です。
局面も最後の難関を越えて行きたいと思います。

明日石部宿までを目標としていますがブランクがあるので体力がもつかがポイントになる気がします。
とにかくゴールの三条大橋にこの秋に立つ事を目指しています。
ガンバレ!コヤチン。(自分で自分を応援しています)