持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

近代能楽集/弱法師 3/3

2005-07-18 20:51:50 | 演劇:2005年観劇感想編
7/18のつづき>
蜷川幸雄氏は。舞台の上に全身全霊を投じることのできる演者を好む。自分の内側から。感情をわしづかみにし、舞台に投げ突けてしまえる役者を好む。

藤原竜也氏は。そのデビューの経緯からも、天才少年の呼び声が高く。ただ、その演目の『身毒丸』が苦手とする題材だったために、観ることなくここまできた。天才という響きから、感覚先行型(←こういうのも好き)を連想するのは短慮かとも思うが。ニナガワ氏への先入観も手伝って、そのように思い込んでいたことは事実。
実際に見た藤原氏の演技には。所作や声色の隅々にまで、緻密な計算がきちんと見えた。見えるから、まだ完成されていないね、なんてちょっと思ったりもする。そうだ、この年齢(現在23歳)で完成していてたまるもんか、と思ったりもする。

前置きはここまで。いまだかつて無い、不思議な体験をした。
世界の終焉の絶望を語る場面では。たとえば二通りの演出が考えられると思う。今作のように激情にまかせて叫ぶこと。極限まで抑えて語ること。三島由紀夫原作であるから、おそらくは後者のほうが適当であろうと考える。演者が藤原氏でなければ、だ。
フジワラが、ニナガワのミシマへの挑戦を可能にしている。美しい世界感を構築した作家。あれだけの言葉を駆使して作り上げた世界は。少しでも崩したら、二度と戻すことは叶わないと思われる。なのに、観たのは。崩した後に、より大きく再生された舞台だった。

藤原氏が、全力で叩きつけた感情は。板の上で跳ね散って。客席にまで届く。それに、捕えられて生まれ膨れ上がっていく、恐れや不安。が。あろうことか・・・! 彼の内に吸い込まれていって昇華される。多分。これが、『藤原竜也』の真骨頂なのだ。
こんな役者を使いこなせて。手放す演出家がいるわけがない。蜷川さんごめん。執着の理由を、観もしないで、わかる気がするなんて言ってたこと。そんな次元ではなかったんだ。

失礼を承知で言う。藤原氏はまだ完成されていない。だから。彼が、どこに向けて、どのように変貌していくのかを。今なら、追って見るのに、まだ間に合う。だから、観ていこう。

3回連載、おつきあいくださった方。ありがとう。以上、現段階で感じたことは全部書いたかな。願うのは。竜也くんを、最初からずっと見つめていたファンの方々に失礼になっていなければ良いな、ということ。何ゆえ彼に関しては新参者なので、異論反論大歓迎(もちろん賛論はもっとも嬉しいけれど←小心者)。

近代能楽集/弱法師 2/3

2005-07-18 00:33:03 | 演劇:2005年観劇感想編
7/17のつづき>
舞台は、赤く染め上げられ。美しい夕暮れが表現される。しかし、室内は、暑く不快なのだと説明されている。そこで、藤原竜也氏によって声高に語られる「この世の終わり」。彼の、はだけた肉体から訴え出る絶望には。感情を揺さぶられ続けて、身動きが取れなくなる。彼が身を揉んで訴えるたびに、見たことのない空襲が、見えるような錯覚に陥る。

この間。微動だにせず、傍らに立ち続ける夏木マリ氏は。彼の感情に一切揺らぐことがない。調停員として「複雑な事情なんて、ただのお化けです」と言い切った彼女は。彼ひとりが何を言ったとて、変わることが無い現実の代弁者。彼女は、まるで舞台に穿たれた楔のようで。ぐらぐらと悪酔いしてしまいそうなところに、安定を与えてくれる。劇場全体が、空襲の炎を信じる頃に。「ただの夕映えよ」と断言し。現在に引き戻してくれる。

そして。否定を受けた俊徳は、諦念へと揺らぐ。上半身脱ぎ捨てた服によって、さえぎるものなく感情を発散していたというのに。すでに、裸身は無防備でしかなくなっている。彼は、庇護の手なくしては生きることのかなわない子ども。信じる支(つか)えを失って、放心しても強がる癖は抜けなくて。人払いを要求するけれど。それすら彼女は毅然とはねのける。「あなたと一緒にいるわ」「少しだけあなたを好きになったわ」。そして。「簡単な頼みごとをしてくれれば出て行きましょう」。かすかな色気を含む一連の言葉は、甘く。疲れた意識に滑り込む。

言葉どおり、食事の依頼を引き受けて。ここでおとなしく待つようにと、優しく俊徳を椅子にいざなう。彼は、世話を許すのではなく、彼女だけには望むのだろう。だから、最後の台詞を口にするのだ。
(今更かもだけど、ここから隠します。反転表示で→)だが、舞台の光景はここで一変する。セットの幕が落ち。そこは瞬時に、整然とした虚無の空間に変わり果てる。彼女はそれに微笑を与えて去っていくのだ。たった独りで座る彼を残して。かすかな怒号に耳をすませ。それが三島氏自決前の市ヶ谷自衛隊駐屯地での演説なのだと気付くころに、暗転。

観劇後。5年前の舞台に思いを馳せた。藤原氏の肉体は、華奢な少年であったに違いない。ならば、叫びはもっと幼稚に響いたかもしれない。高橋惠子氏の桜間であれば。母性強く俊徳を包んだかもしれない。舞台に年齢はないというけれど。そうとも言い切れないことも多くある。藤原氏がしっかりとした青年になった分、妖艶な夏木氏が良く合っていた。

さて、明日は。お待ちかね(の人、いてくれるかな)。衝撃の役者、藤原竜也氏について。