大人数でドタバタする劇も良いけれど。少人数でがっつり向き合う劇も好き。
ひとり芝居は。ひとつだけを、何度も観続けている。加藤健一氏による『審判』。裁判劇で。彼は、ことの顛末を語る被告役。そう、役。なのだけど。いつしか、客席は陪臣員席に変わる。彼の喋る、七万語という膨大な台詞が、いつしか台詞でなくなって。それを観劇しに行ったはずの我々は。気付けば、客ではなくて舞台の一部になっている。彼の罪や、それに値する罰を判断しなければならない立場になっていて。当事者になってしまっていることに、恐れ慄くことになる。
ふたり芝居の最高峰(←だと思っている)は。やはり加藤健一事務所の『セイムタイム・ネクストイヤー』。本来は。再演の観劇制覇には、こだわらない。けれど、これだけは。いつまでも、上演されるたびに観に行く、という態勢でいる。店でたまたま知り合った二人が意気投合し、一夜を共にする。どちらも既婚のため、5年後ごとの再会を約束して別れ。それは、なんと30年間も守られる。心の近さが、決して身体の近さとは同じではないのだと、知らされた作品で。観る側の意識(年齢や経験)によって、これほど違って見えるものなのだということを教えられた作品でもある。だから、この二人が舞台にいる間中は。何ひとつ見落とすことの無いように。しっかりと見届けなければ、という使命感に支配されている。
逃げ場がない、なんてことを過去に何度も書いたけど。それを、とても楽しんでいるので。決して、否定的な言葉として書いていないと、ご理解いただけると嬉しい。この夏は『ラスト・ファイブ・イアーズ』を観劇予定。ふたり芝居。全編歌のみは、初体験。だから、この後は。まったく違う感想を語っているかもね。
ひとり芝居は。ひとつだけを、何度も観続けている。加藤健一氏による『審判』。裁判劇で。彼は、ことの顛末を語る被告役。そう、役。なのだけど。いつしか、客席は陪臣員席に変わる。彼の喋る、七万語という膨大な台詞が、いつしか台詞でなくなって。それを観劇しに行ったはずの我々は。気付けば、客ではなくて舞台の一部になっている。彼の罪や、それに値する罰を判断しなければならない立場になっていて。当事者になってしまっていることに、恐れ慄くことになる。
ふたり芝居の最高峰(←だと思っている)は。やはり加藤健一事務所の『セイムタイム・ネクストイヤー』。本来は。再演の観劇制覇には、こだわらない。けれど、これだけは。いつまでも、上演されるたびに観に行く、という態勢でいる。店でたまたま知り合った二人が意気投合し、一夜を共にする。どちらも既婚のため、5年後ごとの再会を約束して別れ。それは、なんと30年間も守られる。心の近さが、決して身体の近さとは同じではないのだと、知らされた作品で。観る側の意識(年齢や経験)によって、これほど違って見えるものなのだということを教えられた作品でもある。だから、この二人が舞台にいる間中は。何ひとつ見落とすことの無いように。しっかりと見届けなければ、という使命感に支配されている。
逃げ場がない、なんてことを過去に何度も書いたけど。それを、とても楽しんでいるので。決して、否定的な言葉として書いていないと、ご理解いただけると嬉しい。この夏は『ラスト・ファイブ・イアーズ』を観劇予定。ふたり芝居。全編歌のみは、初体験。だから、この後は。まったく違う感想を語っているかもね。