
偶然宿泊した先が、京都方広寺さんに近かったため、久しぶりの再訪

泣石を


測りモノを持っていなかったもので、品がなくてスミマセン
しかも、今どきタバコなんて・・・

「泣なき石いし(方広寺)」
方広寺の石垣は、豊臣秀吉が諸将に命じて寄進させたもので、出所や諸将の家紋が刻まれているという(『都名所図会』)。中でも大きいのは西北端の巨岩である。この石は前田加賀守が秀吉の機嫌をとるため奉納したが、余りにも重いので大大名の前田家も経費が嵩むのに閉口して泣いたことから、泣石とよばれたという。一説に、ここに据えたら石が加賀に帰りたいと毎夜泣いたので、泣石とよばれたという。泣石を含む方広寺や豊国神社の石塁は延べ300メートル余りにも及び、現在「方広寺石塁および石垣」として史跡に指定されている。
出典:京都歩く不思議事典
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