いよいよお別れのときが来ました 山梨県民会館
本年度には解体され、更地になるようです
あたくしたちも、ここが執務室であった時代もあり、思い出深い場所
ちなみに、甲府城南東の堀を埋め立て建築されたようです
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県内出身の建築家である内藤多仲の設計により1957年に公会堂棟、1960年に事務棟を竣工した。当初は、1956年完成予定で同時竣工の予定であったが、用地買収や設計の遅れにより公会堂、事務所棟を分けて建設した。事務所棟のみ当初は5階建の建物として計画していた。
竣工当初は多目的ホールのついた公会堂のほかにも事務所棟の地下は展覧会場が設けられ、7階は当時山梨県にあまりなかった結婚式場、最上階にはレストラン「山梨会館」が設けられた。工費は当時の金額で3億5700万円であり、うち1億円は水力発電所の建設にあたり富士川水系の水利権を得た日本軽金属からの寄付で賄われている。当時としては山梨県最高層のビルディングであり、その後建設された山梨県庁舎本館と共に山梨を代表するシンボルとなった。