精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

ひふみ

2011年09月12日 | ひふみ神示(日月神示)
折角 神が与えたおかげも今の人民では荷が重いから
途中で倒れん様に神示を杖として下されよ、イキ切れん様になされよ。
一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、
何と申しても神程たよりになるものはないと判らんのか、
破れるは内からぞ、外からはビクとも致さんぞ。
始末よくして下されよ、
始末よく出来れば何事も楽になって来るぞ、
火のタキ方から水の汲み方まで変るのであるぞ、大切なことであるぞ。

うそはちっとも申されん、この神示通りに出て来るのぢゃ、
先の先の先まで見通しつかん様な事では、こんなタンカは切れんのざぞ、
おかげは其の心通りに与へてあるでないか。

下の神が上の神の名をかたりて来ることあるぞ、
それが見分けられん様では取違ひとなるぞ、
今では枝から根が出て大切なミキがなくなって居るのぢゃぞ、
中つ代からの神では何も出来んと申してあろがな、
いくら利巧でも今迄の人間心では神の仕組は分らんぞ、
帰るに帰れず、他を探しても根本のマコトを伝へる所はなし、
泣く泣くつらい思ひせねばならんぞ、くどう気つけてゐるのざぞ、
慢心取違ひの鼻高さん、路頭に立たねばならんぞ。

戦や天災では人の心は直らんと申してあろが、
今迄のどんなやり方でも人の心は直らんぞ、心得なされよ。
間違った心で信心すれば、信心せんより、も一つキビシクえらい事がみちはじめみつようになるぞ。
今に此処の悪口申してふれ歩く人出て来るぞ、
悪口云われだしたら結構近づいたのざと申してあろ、悪口は悪の白旗ざぞ。
飛んで来て上にとまってゐる小鳥、風吹く度にびくびくぢゃ、
大嵐来ん前にねぐらに帰って下されよ、大嵐 目の前。

此処は先づ苦労、その苦労に勝ちたら、己に克ちたら魂磨けるぞ、
段々と楽になって嬉し嬉しとなるぞ、
知らしたら邪魔入るなり、知らさんので判らんなり、心でとりてくれよ、
今迄は神様も別れ別れで勝手にしてゐたのであるから、
神様の申された事にも間違ひとなることあったのぢゃ、
今でも神様はウソを申されんのであるが、
和合なく離れ離れであったから、
自分の目で届くグルリは、自分の力の中では誠であっても、
広い世界へ出すと間違ったことになってゐたのぢゃ、

今度は愈々一致和合して、大神様の仕組結構が相判り来て、
大日月の神となりなされて現はれなさるのぢゃ。
判りたか、雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構。
出てきてから又同じ様なこと繰り返すぞ、
今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、
グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ。

神示が肚に入って血になると、何が起って来ても結構であるが、
始の内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て悪のとりことなって苦しむぞ、
悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、
悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、
苦も結構なれど いらん苦はいらんぞ、神示よく読んで苦を楽とせよ
楽は喜びぞ、苦のハタラキが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、神人共のまつりぞ、
楽で岩戸開けるぞ、苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。

今日(こんにち)までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、
これが悪魔の御教(みおしへ)ぞ、
この御教に人民は、すっかりだまされ悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことのおろかさよ、
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、
それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、
悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや、

神の心は弥栄ぞ、本来 悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ、
八股おろちも金毛も、ジャキも皆それ生ける神、神の光の生みしもの、
悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来たるなり、
善いさかへば悪なるぞ、
善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ、
只御光の其の中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、
皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし、
世界一家の大業は、地の上ばかりでなどかなる、
三千世界大和して、只御光に生きよかし、
生れ赤児となりなりて、光の神の説き給ふ、
誠の道をすすめかし、マコトの道に弥栄ませ。
言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。


「自然と共に、心ゆたかに・心穏やかに」をコンセプトに
循環型社会をつくるお手伝いをします。
【ゆかしき】

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