精神世界(アセンションについて)

このブログの内容は、色々なところから集めたもので、わたくしのメモであって、何度も読み返して見る為のものです。

社会から脱落していく若者たち

2011年11月26日 | ひふみ神示(日月神示)
ひふみともこ先生が神様から頂いた神示を掲載

二〇〇一年一月十三日 社会から脱落していく若者たち

神から人へ。人から神へ。さらに大きな輪となりて、広がりゆけよ。結ばれゆけよ。
さにて本日、何を問いたき。

(社会から脱落していく若者達が社会に復帰するために必要なことは何なのかです)

今の世の中、不条理なり。社会に真の少なき世なり。
なれば社会に戻らざるとも、人の修業は可能ならん。
人の世界に紛れし真理を、汚れし真を見つけ磨けよ。
己の魂、昇華のための、一つの道を見極めるべし。
人にはそれぞれ生き方あらん。
別の道を進みても、求めるものこそ一つなれ、
社会にあるかあらざるか、そにて変わることのなし。
なれば社会に背を向けるとも、そにて己を卑しめるなく、
己の尊さ、生の恵み、生き得ることに先ずは感謝を。
神と人との縁さえつながば、後は神に、まかさばよからん。無駄なあがきは力の消耗。
真実真理と離れるばかり。ただに進めよ、己の道を。
今あるものに先ず感謝。今ある意味を読み取れよ。
神は人を救いたく、それのみ祈りてなすことなれば、
余計な詮索、疑い持たず、ただに信じて生きるべし。

(己の道とは、どのような道でしょうか)

人にはそれぞれみ役あり。そのみ役こそを務めるために、降ろされ生まれし現世なり。
最後に残るが神との縁なり。
なれば神との縁を結びて、人の幸福、昇華を祈り、後は心を安らかにせよ。

(でも、人間は社会の中で生きるものであり、
社会の中でしか生きられないのではないでしょうか。
そうであれば、社会とのつながりを持ち、
自分の存在の意味を見つけたい、と 願わずにいられないものではないでしょうか)

そは間違いならず。正しき考え。なれどそこにも過ちあり。
人の作りし社会とは、必ず正しきものにはあらず。
矛盾や不正、汚濁にまみれし、かえりて害の多きが今の世。
なれば己を苦しめてまで、何故社会に生きんとするや。
先ずは神と人との縁を、つながりこそ第一とせよ。

(でも、世間と孤立し、宗教のみ、神事ばかりに関わっていて、人の修業は充分なのですか)

そはまた愚問の極みなり。なぜとあらば、世間とは、神の住むべき場所になし。
人が世間に何年住もうと、神との縁のなきままにては、何の修業となるものかは。
むしろ世間に外れしにても、神を信じて敬虔に、
己の生を問うことこそ、やがては真理に近づきゆかん。
なれど忘れてならざるは、人との関わり、助け合い。
たとえ世間は離れるとも、人との縁は切ることなかれよ。
人の幸せ祈ること、人との出会いに感謝すること。
そもまたこの世を生きる意味なり。

(社会に復帰することに拘る必要はないということでしょうか)

さなり。大切なるは、生き方のみ。人と付き合い 交わり通じて、己の御霊を磨くこと。
なれば社会の妄想に、儚き幻想、囚われるなよ。
己を費やし、汚してまでも、社会に迷う必要なし。そを知ることにて、救われるべし。
心の苦悩、焦燥、煩悶、全ては無駄な、修業の妨げ。
明るく楽しく曇りなく、ただに感謝を忘るるなかれよ。
神は共にありてあるもの。共に悲しみ、見守らるもの。
己の独りの苦しみに 囚われゆくも執着ならん。
我執に曇り、光も失う、哀れな魂となるなかれ。
それのみ願う神を思えよ。
神を忘れし心こそ、迷いに堕ちぬる始めなり。
さにて本日、これにて終わらん。
人は常に神に問うべし。さにて答を見つけるべし。
聞こえぬときには尋ねればよし。人に尋ねて、探せばよからん。
さらに問いを問いたきならば、再び問えよ。いかなることも。
神との問答、対話を重ね、正しき道を歩みてゆかれよ。さにて。


「自然と共に、心ゆたかに・心穏やかに」をコンセプトに
循環型社会をつくるお手伝いをします。
【ゆかしき】

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2 コメント

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師による教えの謙虚なる学び2 (ロロ)
2011-11-26 11:49:13
本物の宝とは・・・

神道において三種の神器は、鏡・剣・玉であり
仏教において三密とは、身体・言葉・意(こころ)
である。

己自身である。

悟りの境地とは、
身体、言葉、意の三角形のはたらきが円満に
具わっている意であり、
真理、法、慈悲に目覚めることである。
今まさに求められていることである。

あらゆるものをありのままに現す智慧
あらゆるものが平等であることを知る智慧
あらゆるものの差別(特徴、個性がある)を知る智慧
なすべきことを成し遂げる(救済)智慧

これらを有智しなければならない。

悟りのきっかけ、因があり
悟りへの実践の行があり
悟りを証(あか)し
悟りの世界に入るのである。

自分の心を観察し、清浄にすることの大切さ。

生かされている私たちは宝であり
感謝すべきことであり
幸せの証しである。

利他(他人の幸福を願う救済)の行を行う
私たちそのものが宝なのである。


己に出来る利他行が己自身を生かしてくれる。


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心の叫びに寄り添う (ロロ)
2011-11-27 20:04:02
そうだよネ。
どんなに頑張っても
どうにもならないことがあったよネ。
この世には果てしなく
苦しみ悲しみ悩みに満ちていた。
たくさんの間違いに気付いているあなたたちは
そこから立ち去って行っただけ。
無理の無いよう
自分に出来る範囲で
正しい教えのもとで心を鍛え
心のあり方を極めれば
苦しみ悲しみ悩みの世界から解放される。
ありのままの自分でいることができる。
ありのままの自分の生き方ができる。
本当の愛を知り幸せに感謝する自分に辿り着く。
美しく豊かな世界の中にいる自分に気が付く。

私たちは生まれた時から
無限の宝を有しているのだから。



大好き。
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