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【恥をさらし続ける日本政府】フィリピンに慰安婦像 日本大使館が懸念表明 2017.12.11 /検索を⇒「FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」--忘却への抵抗・未来への責任」

2017-12-11 23:17:58 | 戦時中性奴隷 慰安婦
これ以上恥をさらすな、事実は事実として潔く認めて謝罪すべきだ。日本が過去の歴史に謙虚に向き合わないない限りは、こうした動きは続くだろう。(A・H・K氏コメント)

フィリピンに慰安婦像 日本大使館が懸念表明

NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171211/k10011254951000.html

フィリピンに慰安婦像 日本大使館が懸念表明

フィリピンで、慰安婦問題を表す女性の像が、史跡の設置などを行う政府機関によって初めて設置され、現地の日本大使館はフィリピン政府に対して両国関係に及ぼす影響への懸念を伝えました。

フィリピンの史跡の設置などを行うフィリピン国家歴史委員会は、今月8日、首都マニラのマニラ湾沿いの遊歩道に慰安婦問題を表す高さ3メートルほどの像を設置しました。

像は、フィリピンの民族衣装を着た女性が目隠しをされていて、台座には「1942年から1945年の日本の占領下で虐待の被害にあったすべてのフィリピン人女性の記憶」などと記されています。国家歴史委員会によりますと、像は、設置を提案したフィリピン国内の民間団体から資金の提供を受けて作られたということです。

太平洋戦争で戦場となったフィリピンでは、1990年代に旧日本軍の慰安婦だったという女性たちが名乗り出て、村山内閣当時の1995年に発足した「アジア女性基金」から「償い金」の支給などが実施されましたが、これを拒否して日本政府に「公式な謝罪と賠償」を求める人たちもいます。

フィリピンで慰安婦問題を表す女性の像が設置されたのは初めてで、マニラにある日本大使館は、フィリピン政府に対して設置までの詳しいいきさつなどを確認するとともに、両国関係に及ぼす影響への懸念を伝えました。

 

【関連】

FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」--忘却への抵抗・未来への責任」 
アジア太平洋戦争で最悪の戦場、各地で住民虐殺と強かんが多発
日本軍はルソン島やパナイ島、レイテ島などの島々を占領すると、すぐに各地で「慰安所」作りを始めました。朝鮮人や台湾人、日本人女性を送り込んだだけでなく、未成年者も含めて、地元のフィリピン女性を無理やり慰安所に連行しました。さらに各駐屯地の部隊がたびたび女性を拉致・監禁し、強かんを繰り返しました。

フィリピンを占領した第14軍に、強かん・略奪などが多かったことは陸軍中央でも問題にされたほどでした。


慰安婦にされた女性たち-フィリピン 慰安婦問題とアジア女性基金

日本軍は、1941年12月、アメリカ領であったフィリピン・ルソン島へ上陸し、直ちにマニラを陥落させ、1942年1月3日から、軍政を実施しました。日本軍の軍政下で、フィリピン人は激しいゲリラ戦を展開し、抵抗運動を行いました。日本軍はゲリラ討伐を理由に、残酷な作戦を実行しました。フィリピンでのBC級戦犯裁判では、起訴381件の内、住民虐殺が138件、強姦が45件と多数を占めています。 フィリピンでは、マニラをはじめ、占領地の各都市には軍慰安所がつくられ、日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれまし ...

 

「慰安婦」証言 - Wikipedia フィリピン[編集]

金学順に続いて9月18日にはフィリピンからマリア・ルナ・ロサ・ヘンソンが名乗り出て「性奴隷」にされた体験を語るとそれに触発されてヘルテルデス・バリサリサ、アタナシア・コルテス、アモニタ・バラハディア、トマサ・サリノグ、フランシス・マカベベが名乗り出た[4]

マリア・ルナ・ロサ・ヘンソンの証言「道路を歩いていて、日本軍に略奪され、監禁、強姦される」[5]「行列をつくった兵隊たちが幼い私(14歳)を後から後からレイプするのです」[6

  1. [6M.R.L.ヘンソン著、藤目ゆき訳『ある日本軍「慰安婦」の回想 フィリピン現代史を生きて』p168~p181、岩波書店=

 

マニラ戦とベイビューホテル事件 林博史
日本軍による集団強かん事件について、調べたものです。

 

ベィビューホテル大量強姦事件 フィリピン1945年2月|群青

フィリピンにおいてこのマニラ戦をとりわけ有名にしているのが、その中でおこなわれた日本軍の数多くの残虐行為である。
... 1945年当時の米軍進攻による市街戦のさ中、富裕層居住地域だったエルミタ地区では、400人ものさまざまな国籍の女性たちが連行監禁され、皇軍兵士により次々と強姦された「ベイビューホテル・集団強姦事件」が起きていた。 ...

(前略)
その妹の15歳のフィリピン人少女も(1-17)、部屋から日本兵に連れ出されそうになったとき抵抗すると何度も蹴り殴られ、2階上のアルハンブラ通りに面した部屋に連れて行かれた。その日本兵は、彼女を窓のそばにつれていき「川の向こう側にはたくさんのアメリカ兵がいる、われわれはまもなく死ぬので、二人ともかれらを見ることはないだろう」と言って、それからピストルで脅して彼女を強かんした。その日本兵からは「おまえはアメリカ人の赤ん坊ではなく、日本人の赤ん坊を生むだろう」とも言われたという。部屋に戻されてからも、さらに3回連行されて同じような目にあった。その中の一人の日本兵は、日の丸を描いたタオルを頭にまいていたという。

(後略)

 

 

 

 

 


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