「あしたも晴れ!人生レシピ 名曲”異邦人”を超えて~音楽宣教師 久米小百合~」NHK教育1月12日午後8時00分~
音楽宣教師・久米小百合(元・久保田早紀)さん 「異邦人」より賛美歌、教会でささげたい
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180126/dde/012/070/008000c
2018年1月26日 東京夕刊
「元・久保田早紀と必ず『元』を付けてくださいね。私はもう『久保田早紀』を引退したのですから」。柔らかい口調ながらも、強いこだわりがあるようだ。自ら作詞作曲した1979年のデビュー曲「異邦人」が140万枚を超える大ヒットを記録。同時代を生きてきた人なら、誰もが知っている「久保田早紀」だが、「芸能界で音楽活動したのはわずか5年ほど。教会ではこれまで30年以上歌ってきました。今の肩書は『音楽宣教師』でお願いしますね」。
東京都国立市で生まれ、後に八王子市に引っ越した。母のすすめでピアノを習い始めたのは4歳から。短大在学中、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)主催のタレント募集のコンテストに自作の歌を録音したカセットテープを送ったところ、音楽ディレクターの目に留まってシンガー・ソングライターの道を目指すことに。
短大の授業後、CBSソニーに通って歌を作り、中央線沿いの自宅に帰る毎日。「通学で電車から見た景色を描いたのが、後に『異邦人』のタイトルで発売された『白い朝』という曲です」
♪子供たちが空に向かい 両手をひろげ--
異国情緒あふれる印象的なイントロ。伸びやかな高音の透き通る歌声。その雰囲気やタイトルから、海外をイメージした曲と思いきや、中央線の車窓風景とは……。
「下積みや自分の引き出しは何もない状態でいきなりヒットしてしまい、周りからも『次から次へとヒット曲を書けるでしょう』と、ものすごい重荷を背負わされた感じでした。うれしさよりも、この先の心配や不安の方が大きかったですね」
本名の久保田(旧姓)小百合と早紀との間の溝がどんどん大きくなる日々。これはもう自分の人生ではないという思いが日に日に募り、自らの音楽のルーツを探し、たどり着いたのが賛美歌だった。「子どものときに同級生の女の子に誘われて、教会の日曜礼拝に通っていました。『きよしこの夜』や『もろびとこぞりて』とか、子どものときは歌詞の意味は分かりませんでしたが、ピアノで弾いてすごく良い曲だなあと」
81年にプロテスタントの教会で洗礼を受けた。ミュージシャンの久米大作さんとの結婚を機に、85年に引退。「私に華やかな芸能界は向いていなかった。六本木や麻布に通うより、地元の国立や八王子の喫茶店で、友達同士で地味にコーヒーを飲んでいる方が落ち着く人間なんです」
現在は、宣教のためのコンサート依頼があれば、教派は問わずに全国の教会に出向く。そして、神父や牧師が聖書の言葉として伝えるメッセージを、音楽の力で伝える。「久保田早紀の頃も人前で歌ったり、しゃべったりするのがすごく苦手でした。今でも得意ではないんですけど、教会で歌うのはパフォーマンスではなく、神様へのささげものですから。聖書のメッセージを、天職として歌で伝えることが私の役目。苦手意識は許されません」
リクエストされれば、教会でも「異邦人」を歌う。「私のことを知らない若い世代の方々からは『久米さん、歌がうまいですね。プロになれますよ』と言われることもあります。そんなときは、『昔、プロだったんだよ』と返しますけどね」
歌うことを天職だとは感じる一方、音楽が、今の自分にとって最も大切なものではないと言い切る。どういうことなのだろうか。「音楽は家に例えれば壁紙みたいなもの。お部屋の雰囲気が明るくなったり、環境を作ってくれたりしますが、一番必要なものではありません。まず、柱や屋根がないと家にはなりませんよね」。では、久米さんにとって一番大切なものは? 「私にとって、それは信仰ですね」
キリスト教徒としての自身についてこう語る。
「自分には罪があり、自分ではどうしようもできない。だから、『イエス様ごめんなさい』と認めた人がクリスチャン。『ごめんなさい』を伝えに毎週教会に通うのです」
今年、還暦を迎える。これからやりたいことを尋ねると、「何もありません。今と同じように、教会活動を地道に続けることができればありがたいですね」。だから、今が一番幸せだという。【葛西大博】
■人物略歴
くめ・さゆり
1958年生まれ。昨年11月に賛美歌集のアルバム「7carats+1」を発売。よみうりカルチャー大森(東京都大田区)で合唱の講座、日本オリーブオイルソムリエ協会(中央区)でキリスト教講座の講師を務める。