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【沖縄】不発弾…『島の形を変えた』と言われる鉄の暴風雨は、島を真っ赤に染める。

2015-09-11 23:37:40 | 沖縄

棚原 勝也さんFBより 

9月8日、
菅義偉官房長官は会見で、
翁長知事が戦後の沖縄の苦悩から、現在の沖縄の原点を語ったことに対し...
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「戦後は日本全国、悲惨な中で皆が大変苦労して平和な国を築いた」などと反論したが、
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戦後の沖縄と日本本土との歩みは大きく異なる。
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地上戦によって
20万人余の命が犠牲となり、このうち、住民9万4000人が
戦火を逃げ惑い命を落とし、島は焦土と化した…。
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続く戦後は、27年間に及ぶアメリカ軍の占領地として人権は蹂躙され、
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「日本でもない、アメリカでもない」どこの国にも属さない。
「流浪の民」の時代があった。
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この間、日本本土は朝鮮戦争による特需などで
目覚しい経済成長を遂げ、「復興する日本」を謳歌し、
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さらに、日本本土における米軍基地の再編が進み、
各地の米軍基地は撤去、縮小され、「沖縄へ」と集積された。

「日米安全保障」のために沖縄は役割を担わされた。
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今から43年前、
ようやく沖縄は「本土復帰」を果たすが、
27年間の経済的な立ち遅れを取り戻すのは困難だった。
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復帰特別措置法により
経済格差の緩和、本土企業との競争における
県内企業への庇護があったが、それは当然ではないだろうか。
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復帰後も、
「日本の安全保障」を守るために「沖縄県民の安全」は常に脅かされ、
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日米地位協定という不平等条約は今なお沖縄の人権を軽んじ、苦しめる。
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成人式に参加するために帰省した19歳の少年が
酒に酔った米兵の運転する車にはねられ死亡した。
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米兵は事故を起こした時「公務中」と判断されたため
日本での裁判ができずに不起訴。

アメリカ側で決まった処分は「5年間運転しちゃだめ」だった。
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今からわずか4年前の出来事だ。
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全国では大きなニュースにもなっていない。
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戦後は、捕虜として収容所に隔離され、
その間、米軍は我が物顔で基地を建設した。
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それなのに「基地の周りに 勝手に住民が集まった」だの、
「金を欲しがる」だのと吐き捨てるだけで良いのか。
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「戦後日本全国が苦労した。」

まったくその通りだと思う。

故郷を遠く離れ、沖縄で死ななければならなかった
若い兵士たちの悲しみを考えると胸が痛む。
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一家の働き手を奪われ、
それでも、前に向かわなければならなかった
日本本土の女性たちも いただろう…。
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正しい過去を学び、置かれた現在を考え、
その上での未来志向でありたい。

写真は今度のドキュメンタリーで紹介する
復帰後、県内で不発弾が発見された場所を示したもの。
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『島の形を変えた』と言われる鉄の暴風雨は
島を真っ赤に染める。

完全に撤去するためにはあと100年はかかるという。

 

 

 

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