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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑪ 十五年戦争期の日本(2)

2015-05-10 21:02:02 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑪
 

 十五年戦争期の日本(2)

戦争の影が色濃くなるにつれ、軍部に対するいっさいの批判をゆるさない風潮が国をおおいます。1925年には治安維持(ちあんいじ)法が制定されます。軍国主義、国家主義的なありかたに反対する人々を厳しく取り締まる法律です【注2】。大学教授の学説が国体に背くという理由で非難されたり、多くの学校の先生が警察に引かれたりしました。プロレタリア【注1】作家の小林多喜二はこの法律により捕えられ、拷問を受けてなくなりました。大正の時期のデモクラシーの空気はまたたく間に消し去られ、戦争反対の意見は封じられました。人々の権利や自由が極限まで奪われ、国民が戦争にかりたてられる時代となったのです。

 

1937年7月、日本軍は中国のおもな都市を攻撃、占領し、中国との全面戦争に突入します。日中戦争が拡大していく中、政府は国家総動員法を制定します。議会での承認なしに勅令【注3】によって戦争に必要な人や物を集め、動かすことができるとするものです。これによって労働者たちもマスコミも、あらゆるものが戦争のために動員されることとなりました。

 

政府はその前の年から国民精神総動員運動を展開し、挙国一致、尽忠報国、堅忍持久といったスローガンをかかげて国民の生活をくまなく監視し、統制する体制を強化します。あわせて皇国史観【注4】にもとづく「国体の本義」という文書をつくって学校や役所に配り、小学校では国定教科書を用いて歴史教育の定着をはかります。

 

植民地の朝鮮では内鮮一体のかけ声のもと、皇民化教育が徹底されました。朝鮮の文化はいっさい否定され、天皇崇拝と日本語の学習が強制され、朝鮮語を用いることに歯止めがかけられました。教育勅語が教育の理念とされ、日の丸、君が代が強いられました。

とくに日中戦争以後、日本は同化政策の一層の徹底をはかります。ソウルには朝鮮神社がたてられ、神社参拝が強要されるようになります。これを拒んだ朝鮮のクリスチャンたちは逮捕投獄され、多くの人々が殉教の死をとげました。さらに朝鮮の人々から名前を奪い、日本名を名乗ることを押し付けます【注5】。そうした中、朝鮮の人々も日本の戦争にかりたてられていくことになるのです。

 

【注1】資本家たちに酷使される労働者の苦しみを描くプロレタリア文学運動が大正から昭和のはじめにかけて大きな勢力となりますが、弾圧されます。

【注2】ホーリネス教会の牧師たちもこの法律によって取り調べを受け、投獄され、中には命を落とす人もありました。キリストの再臨によってそれまでの国家の秩序があらたまり、神の国が到来するとのホーリネスの教えが国体の尊厳をそこなうものと見なされたためです。

【注3】天皇の命令。

【注4】国家神道にもとづき、日本の歴史を現人神(あらひとがみ)天皇が永遠に支配する神国とみる見方。

【注5】創氏改名(そうしかいめい)。

 

 


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