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「積極的平和主義」とは「軍国主義」(1)(2)  慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林節氏

2015-03-17 22:03:42 | シェアー

http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/10/19368/1010_knk_01/

「積極的平和主義」とは「軍国主義」(1)
集団的自衛権の今後を占う 

2014年10月10日17:37

慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林 節 氏

 政府は7月1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更し、歴代内閣が長年、憲法9条の解釈で禁じてきた「集団的自衛権」の行使を認める決定を下した。1954年の自衛隊発足以来堅持してきた“専守防衛”の理念を逸脱する戦後安全保障政策の大転換である。「憲法」を骨抜きにする決定が、国民の声を聞くことなく、政府の一存で下される。本当に、こんなことが許されるのか。論客、慶応義塾大学名誉教授・弁護士の小林節氏に聞いた。

<権力者というのは我々と同じ「不完全」な人間>

 ――今回の閣議決定の内容にはとても驚きました。しかしその反面、国民が「憲法」というものを身近に感じ、真剣に考えるいいチャンスとも思っています。先生にとって、憲法とはどのようなものでしょうか。

慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林 節 氏 小林節氏(以下、小林) 僕にとってというよりも、世界の常識として、「憲法とは、主権者である国民が権力者を管理する法」のことを言います。権力者というのは、政治家や公務員のことを言い、我々と同じ不完全な人間です。偶々、選挙等で手を挙げて選ばれ、一時的に国家権力という大権を預かっているに過ぎません。国家権力とは、個人が持っていない軍隊、警察、税務署等の実力を有する国家機構のことです。そして、権力者が権力を濫用する傾向にあることは、過去何千年の歴史の中で明らかにされています。

 歴史的に見れば、王様国家では、王が神の子孫と名乗っていたこともあり、法で管理することは畏れ多いと考えられていました。しかし、王様国家が終わり、例えばアメリカの独立のように民主国家になり、普通の人が大統領になることがはっきりすると、前もって権力の在り方の外枠を決めておく必要性が出てきました。そこで、主権者である国民が憲法を使って、権力者を管理することにしたのです。

<不幸な「歴史的経緯」が正しい理解を妨げた>

 ――とても明解ですね。しかし、諸外国と比べて日本人と「憲法」にはかなり距離があるように感じています。

 小林 その通りです。それには、2つ理由があります。1つ目は、現在の憲法ができる前に、日本には「大日本帝国憲法」(1890年・明治23年施行)しか存在しなかったことによります。大日本国憲法は、それまでの約300の藩を束ねた封建的な幕藩体制に基づく君主政から、近代的な官僚機構を擁する君主政に移行、明治天皇(明治大帝)の御旗のもとに1つの国になったことによって作られています。そこには前文にあたる「憲法発布勅語」のさらに前に「告文」(王や皇帝が臣下の人々に対して告げる文章)というのが有り、その中には「皇祖」(天皇陛下の祖先)や「皇宗」(天皇家の代々の先祖)の文言もあり、この文章が代々の神々のご意向として存在し、それを臣民に下げ渡したものとなっています。つまり、近代国家日本において、憲法とは神々しいものであったわけです。

 そして、2発の原爆投下で日本が敗戦し、今度は、神たる天皇を降ろしたアメリカ軍のマッカーサー元帥から、英文で下げ渡された現在の「日本国憲法」に突如変わりました。つまり、日本はアメリカのように独立戦争で民主国家を成立させ、民衆が憲法を制定したわけではありません。そこで、不幸なことに、歴史的経緯から、憲法というものは「有り難く、触れてはならず、神棚に飾っておくもの」という誤った理解が日本人の心に残ってしまったわけです。このことが、世界の常識である「憲法とは主権者である国民が権力者を管理する法」という本来の理解を遠ざけてしまった大きな理由です。

<「六法」という言葉が憲法の特殊性を見誤らせた>

 2つ目は、「六法全書」という言葉が、結果的にではありますが、国民の正しい理解を妨げてきたと感じています。日本の基本的な法は6分野あります。私人間の取引は民法で、その変形が商法、民法や商法のトラブルは民事訴訟法で、犯罪が刑法で、刑法上のトラブルが刑事訴訟法で処理すると、5法ができています。これらは何れも、国家の権威を背景に、国家が国民に対してあるべき法的基準を示し従わせるもので、国家の権威によって国民を縛る機能のものです。そして、六法の中に憲法も含まれ、最高法とも呼ばれることから、いわばこれらの法律の「親玉」みたいな存在だと思い込んでおられる方が多くいます。

 しかし、それは誤りです。憲法だけは全く異質ものなのです。従って、正しくその関係を表すと「憲法+五法全書」ということになるのでしょう。憲法は我々国民が守るものではありません。主権者である国民が、一時的に権力を預かっている、「権力者」(政治家や公務員など)に守らせ、監視するためのものです。そのために、憲法を改正する場合には、政治家たちからの提案に加えて、主権者である国民による投票が絶対に必要なのです。

 

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「積極的平和主義」とは「軍国主義」(2)
集団的自衛権の今後を占う 

慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林 節 氏

 政府は7月1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更し、歴代内閣が長年、憲法9条の解釈で禁じてきた「集団的自衛権」の行使を認める決定を下した。1954年の自衛隊発足以来堅持してきた“専守防衛”の理念を逸脱する戦後安全保障政策の大転換である。「憲法」を骨抜きにする決定が、国民の声を聞くことなく、政府の一存で下される。本当に、こんなことが許されるのか。論客、慶応義塾大学名誉教授・弁護士の小林節氏に聞いた。

<憲法とは主権者国民が権力者を管理する法です>

 ――先生は30年来の改憲主義者と言われております。しかし、昨年の「96条改正案」、そして今回の「集団的自衛権解禁」については、強く疑義を抱かれています。

 小林 今の憲法では、右、左どちらの人が権力を握っても、お互いの思想良心が守られなくてはいけないということになっています。私は自民党の人達とのお付き合いも長いのですが、今の自民党改憲主流派の人達は、そんな最低限のマナーさえ、なくしてしまいました。安倍首相はその筆頭です。

hinomarukokki 自民党改憲主流派の人達は、「この世の中は乱れている。一人一人が社会に対する連帯意識とか、公に対する責任感がなさすぎる。これは現在の個人主義憲法が原因である。明治憲法では、家制度があり、日本という大家族では天皇がお父さん、それぞれの家でも戸主であるお父さんが一番偉くて、結婚にも親の許しが必要だった。そのような社会や家族の絆が崩れている。改憲して社会の絆を取り戻そう」とか「国を愛しなさい」と言います。
 国を愛することはとても大切なことだと思います。しかし、それは憲法論議とは別次元の問題です。さきほどから、何回も申し上げているように、そもそも、「憲法とは主権者である国民が権力者を管理する法」です。政治家が、憲法で国民に対して枠をはめることなど、本末転倒しているわけです。

<思想良心の自由に対する人権侵害となります>

 愛というのは心の作用です。つまり好き嫌いの問題であって、その理由に説明をつけることはできません。説明がつくものであれば、「間違っている」と論理的に指摘されれば、反省し、直すことができます。しかし、好き嫌いは直しようがありません。こうした心の作用に国家権力が介入することは、それこそ思想良心の自由に対する人権侵害となり、憲法違反になります。

 では、どうすれば愛国心は育つのでしょうか。もちろん、憲法で「国を愛しなさい」と何度謳っても愛国心は育ちません。「この国に、この時代に、この両親の元に生まれて、この仲間と暮らせてよかった、幸福である」と国民が思えれば、自然に備わるもので、それ以外のどんな方法でも育つことはありません。答えは簡単です。政治家たちが良い政治を行い、国民に自由と豊かさと平和を享受させることです。良い政治を行わないから、愛国心が崩れているのです。その努力を全くせずに、政治家が「愛国心を持ちなさい」と命じるのは、はなはだ筋違いと言えます。

<愛される国づくりができれば、国民は国を愛します>

 大物閣僚などが高額の賄賂をもらい逮捕される事件を何度も見せつけられる。「お国のために全身全霊を尽くします」と言っては、裏で私腹を肥やす政治家が多くいます。そこで、国民が馬鹿らしくなり、「俺たちも勝手にするよ」ということになっているだけです。国民の代表である政治家が襟を糺すことなく、国民に「国を愛しなさい」と言うのは冗談以外の何ものでもありません。

 国民に愛される国づくりができれば、国民は国を愛すものです。それを、その努力もせずに、強制しようとすることは独裁国家に等しい行為です

 今回の自民党改憲案では、そもそも手続きの前提、方向性が全く逆です。憲法は、世界の常識として「主権者である国民が権力者を管理する法」ですが、自民党の改憲案では、「全国民が憲法を守る義務がある」と全く逆のことを言っています。これは主権者である国民の地位を危うくするばかりではなく、憲法の本質を覆すことになり、憲法学者としては絶対に見逃すわけにはいきません。
 同時に、国民の皆さんにも、この点をご理解頂き、政府のトリックを見抜いて欲しいと思っています。

<離婚や不倫が憲法違反で犯罪になる日がきます>

 もう1つ、今回の自民党の憲法改正案では、和を尊ぶ、「家庭を大事に」と言った内容が憲法に盛り込まれています。和を尊び、家庭を大事にすることは当たり前のことです。
 しかし、これを憲法に盛り込むことはいけません。先ず、現状では民法と齟齬が生じてしまいます。
 もし、本当に憲法に「家庭を大事にする義務」が定められたら、離婚や不倫は憲法違反になります。この自民党の草案を作った政治家は離婚も不倫も絶対にしないのでしょうか。そんなことはないと思います。それは人間の本性に由来する、よくあることなのです。自民党の起草者たちは、単純に勉強不足で、「憲法とは何か」ということが全く理解できていないのだと思います。しかし、一旦この改憲案が成立してしまえば1人歩きすることになります。充分に注意しないといけません。

(つづく)
【聞き手・文:金木 亮憲】

 

<プロフィール>
小林 節(こばやし せつ)小林 節(こばやし せつ)
慶應義塾大学名誉教授・弁護士。法学博士、名誉博士(モンゴル・オトゥゴンテンゲル大学)。1949年東京都生まれ。1977年慶大大学院法学研究科博士課程修了。ハーバード大学ロースクール客員研究員を経て1989年~2014年まで慶大教授。その間、北京大学招聘教授、ハーバード大学ケネディ・スクール・オヴ・ガヴァメント研究員等を兼務。著書として、『「憲法」改正と改悪』、「『白熱講義!日本国憲法改正』、『白熱講義!集団的自衛権』等多数。

 

 


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