異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑬

2015-05-11 21:55:28 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑬
 

戦争とキリスト教会 

十五年戦争の時期は日本の教会にとっても最大の試練の時期でした。教会も戦争に協力させられ、クリスチャンたちも神社や神棚の参拝、戦勝祈願、君が代を歌うこと等を強制されました。礼拝堂には天皇の肖像がかかげられ、礼拝説教において滅私奉公【注1】の精神が説かれました。

 

1940年、宗教団体法が施行されます。宗教団体を国家が支配し、管理統制し、戦争に加担させるための法律です。この法律のもと、翌年には日本基督(キリスト)教団が設立されます。当時のほぼすべてのプロテスタント教会が合同してできた教会です【注2】。ただ、この合同は自発的なものではなく、軍部の圧力によるものでした。「日本基督教団戦時布教指針」という文書には、この教団は国体の本義に徹し、忠君愛国の精神に立って戦争の目的をとげること...に邁進(まいしん)し、必勝を祈願するとうたわれています。あきらかに戦争に奉仕する団体となってしまっていたのです。この時期には神道とキリスト教とを折衷(せっちゅう)した皇国主義的キリスト教なるものも現れます【注3】。

 

当時の教会や信徒たちは、決して自分からすすんで戦争をしかけたわけではなかったと思います。戦争へとなだれ込んでいく国家のありかたに疑問をもち、国家に奉仕することにためらいを覚え、苦悩したと思います。また、あるところまで信仰のたたかいを担ったと思います。戦争はもとより十戒の第六戒【注4】に、いな十戒すべてに背く罪です。

 

しかし結論として教会は戦争の嵐の中にまき込まれ、じゅうぶんなしかたで抵抗することができなかったと言わなければなりません。聖書に「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」【注5】とあります。戦時下の教会はこの御言葉に立ちおおせることができなかったのです。

 

わたしたちは、戦争の時代に教会がおちいった罪と弱さを正面から見据える目をもたなければなりません。そして、なぜ教会がキリストの主権に立ち得なかったのかを、歴史を検証する中でしっかり考え抜かなければなりません。

 

1984年から10年間ドイツの大統領を務めたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー【注6】は、ドイツ敗戦40周年にさいして「荒れ野の40年」と題する演説をなし、その中で「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在においても盲目となります」との有名な言葉をのこしました。この演説は、戦争の罪をまっすぐに見つめています。罪を告白する人々は幸いです。キリストの赦しの恵みにあずかり、そこから新しい歴史を歩み出すことをゆるされるからです。

 

【注1】自分を捨てて国家に尽くすこと。

【注2】34の教派が参加しました。

【注3】古事記と聖書の中身は一致しており、皇国日本と聖書の言う神の国は同じであると主張し、キリスト教こそ日本の国体を最も鮮明に映し出すものであると訴え、戦争を聖戦として正当化しました。

【注4】「殺してはならない」。

【注5】使徒言行録5章29節。

【注6】1920~2015。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。