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【詳報】「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」大江健三郎氏、鎌田慧氏が会見

2015-03-16 04:53:14 | ご案内

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記事

【詳報】「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」大江健三郎氏、鎌田慧氏が会見

 

 
10日、ジャーナリストの鎌田慧氏と、作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏が会見を行った。両氏は2011年、内橋克人氏、落合恵子氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏と9名で「『さようなら原発』一千万署名 市民の会」を結成、「さようなら原発1000万人アクション」を続け、署名や集会などの活動を行ってきた。 

両氏は東日本大震災と福島第一原発事故の発災から4年を迎えるのを前に、改めて原発の再稼働反対を訴えた。 

鎌田氏の冒頭発言要旨

 
私たちは「さようなら原発運動」を3年以上やってきまして、世論を高めるための運動に一定の成功をしてきたと思っております。なんとか4周年を契機にして、新たな運動を作っていく力にしたいと思っております。
明日で4年になりますけれど、原発事故の状況は収束に向かうというよりも、むしろ拡散と言いますか、核分裂と同じような、日本社会の分裂に向かっていっていると思います。 

4年経ってもどこに住んだらいいのか、どういう仕事をしたらいいのか、まだわからない人が11万人以上います。こういう人たちを見捨てる形でまた原発を動かそうとしている、これは本当に、人類の叡智に対する挑戦だと思います。間違いを改めない、犠牲者を振り捨てて新たな利権に向かっていく。全く人間のモラルに反することを、今、日本政府と電力会社はやろうとしているのだと思っています。 

福島に行ってご覧になった方もいらっしゃると思いますけれど、第一原発がある大熊町、双葉町、第二の原発がある楢葉町、それから近くにある浪江町、全く人が住めない。あるのはススキの白い色と、セイタカアワダチソウの黄色い色と、汚染物をいれた黒い袋。黒と白と黄色で埋め尽くされています。
そして100人以上の子どもたちに甲状腺がんが現れています。それから、仮設住宅に住んでいて、目の前に家があるけれど放射線に阻まれて戻れない、そういう人たちが続々と亡くなっていまして、原発関連死は1,200人以上にもなっている。そういう惨憺たる状況です。これが4年経った現実でして、これを全く解決しないうちに新たな5年目、つまり再稼働に進もうとしています。 

故郷を失い、居住する場所を失うということは、精神的なダメージが大きいわけでして、人権に関わる問題です。人間がどういうふうに生きていくのか、どこに住むのか、住む環境はどうかという、古来の人権に対する挑戦として、新たな再稼働を進めようとしています。
20万人にも及ぶ福島の人々の夢と居住権と人権を奪って、なおかつそれに対する補償もできていない中で、川内原発とか、あちこちの危険な原発を再稼働させようとしている。これは政治的な犯罪と言っても間違いではないと思います。 

5年目に入るにあたって、ドイツからメルケル首相が来られたのは象徴的です。
再稼働しようという国と、きっぱりそれをやめて新たな道に進むという国の首相が相まみえて、これからの日本の進路を考えていく。つまり自己決定したドイツと自己決定しない日本のその対比が明らかになって、これからの原発反対運動に大きな力になっていくと思います。 

私たちは3月28日、新宿で大江さんなどの講演会を開きまして、5月3日には、みなとみらいの臨港パークで3万人規模の大集会を開きます。これは原発反対運動と戦争反対運動、全ての運動を一緒にした大運動を行いながら、新たな日本に向かってやっていこうと思っています。 

大江氏の冒頭発言要旨

 
私は昨日インタビューや講演をなさったメルケル首相の発表に非常に強い印象を受けたものです。
大きい福島事故の後、日本人が本当に考えなければならないことを回避するという方向に進んできた、その4年間だったと思います。その出発点には、私どもの首相である安倍という人の考え方があります。 

それを端的に申しますと、あの原発事故が起こった後、彼が世界に向けて発言したのは、事故を起こした福島の原発は、すでにコントロールされたということでした。
これからどうなるのか、その人間的な、倫理的な、自然全体に対する全ての問題を解決しなければいけない中、すでに原発そのものの直接的な状況は回避されたと世界中に言ったんです。皆さんもお聞きになったでしょう。それを信じる人は少なくとも世界にはなかった。ところが、日本人の中には、これを信じようと考えた人々がいる。
この4年の間に、原発事故というものはそれこそすでにコントロールされたと考えているひとが多くなってきているんじゃないでしょうか。 

そして同時に、メルケル首相がおっしゃった、"ドイツは原発によるエネルギーでやっていこうとする方針を完全に放棄した、そして自分たちはそれを実現する"ということ、そして"これは自分たちの政治的決断だった"ということ。私は、この「政治的決断」という言葉が、ドイツの政治家と日本の政治家の違いを明確に示していると思います。 

非常に総合的な、多様を視点を持った重要な問題で、ドイツ人全体が人類に対して決断しなければいけない。しかしその出発点で、政治家として自分たちは強い決断を行った。そしてそれを今、実現していくことでドイツ人の現在観、将来観が固まっていく、ということをメルケル首相は言っておられる。 

私の小説をお読みになった方は、森ということ、あるいは樹木ということが重要であることを知っていただいていると思います。
あの事故によって放射能の影響を受けた原発周辺の森林をそのまま放っておくことは出来ないと、復興を求め願い、福島の人たちはその木を伐採しました。
葉っぱも含め、集めた樹木は、8万本という大規模なものです。近づくこと、あるいはそれに触ることは非常に危険ですし、それを燃やしてしまうと、重量は少なくなるかもしれないが、放射能を大きく広げてしまうことになります。しかし、まず燃やそうと、燃やした後の灰で放射能の害を与えないように保存しよう隔離しようとしていますが、ともかく私たちは人間、子どもたちの将来を考えて言えば、この樹木が象徴的な形、象徴的な表現を示していると思います。 

メルケルさんと安倍首相が話をしたということは、私は非常に大きい、象徴的な、あるいは現実的な意味を持っている出来事だと考えています。
メルケルさんはまず最初に、非常に高度なテクノロジーを持っている日本の人々が原発を十分にコントロールできなかったということは事実だと言われました。ドイツは福島の事故を見て、これからのエネルギーの課題として原発を用いるということは全く不可能だということを認識した、そしてそれに向かって働き始めているということです。
それに対して安倍氏は、今いくつもの原発が稼働をやめているけれども、今年のうちに4つ、あるいは5つの再稼働を行うということを言った。そしてその方針を変える気はないとも言った。

それに対して私たち民衆はどう考えているか。私たちはメルケルさんと安倍の態度を見て、現在の政治的な、人間的な意思、態度をいうものを完全に作り変えなければいけない、そのことをを今強く感じている。今までもそれに基づく行動はあったし、これから大きく広がっていくだろう、それを広げていきたいというのが私の考えです。 

昨日の記者会見を見て、非常にはっきりしたことは何かということをお話しました。
もう一度繰り返しますと、日本の政治家には、この大きい原発事故という福島の悲劇がありなながら、それを全く別の方向に作り変えていくという政治的意思はないと。すなわち原発事故に対する反省、あるいは再出発という意思がまったく無い政治家が政治を決断していて、例えばメルケル首相などから、そのことについて批判する声が明瞭に示されても全く耳を貸さないという点が今の政府にあるということです。 

この日本の態度はヨーロッパに対してそうであると同時に、アジアに対しても最も明らかになっているということは、皆さんがよくご存知だと思います。今、戦後最大の危機を我が国が迎えているということだと考えています。 

今、日本の状況はこのようにフクシマ以後、光に向かって、希望に向かって進むということ無しに、現状がそのまま続けられて、しかもこれから原発の再稼働も行われる。
次の事故が起こればこの国の現在と未来は無くなってしまうという認識が非常に広くありながら、それを作り変えようとはしない、その風習も改めようとしない。
福島、国内からの声にも、ドイツからの新しい世界の核政策についての決断、そこからの呼びかけにも全く答えないでいる政府がいる。

それは尖閣諸島の問題につきましても、竹島、韓国の方々の言い方では独島の議題とも同じです。アジア諸国との関係も非常に悪い状態にあるということを明らかに知っていながら、政府にそれを作り変えようという意思があるとは思えない。そのための努力を何もしていない。

その証拠に、今の首相が韓国、あるいは北朝鮮の政治家たちと話し合いをすることは途絶えたままですし、中国に対してもそうです。アメリカの占領期は別ですが、戦後、こんな日本に全くなかったことが行われて、福島以後の危機を最も全面的なものにしてしまっている。
それが現状だということが僕の申し上げたかったことなんです。

今、現在の私たちが陥っている窮状について考え方を申し上げました。考え方というよりも、どのような現実を生きているかを申し上げました。

これからご質問を頂いて、それを展開していく、そこで私は政治家たちが聞こうとしないでいる、日本のことををよく知ってっておられる海外のジャーナリストの方々を声を聞かせていただき、私たちが考えを答えるというセッションが重要だと思いますので、そちらに移りたいと思います。 

その前に一つだけ、小説、文学をやってきた人間として、どういう状態で小説家としての終わり、人間としての終わりを迎えようとしているのか、社会的背景はこういうものだということを、お話する、それをごく短くお話して、みなさんの質問に移りたいと思います。 

私は小説家として22、3歳から書き始めました。80歳になりましたので、非常に長い間小説家として生きてきました。5年前、私は小説家としての生活を、文学に関係のある生き方を終わりにしようと考えていました。そして、晩年に近づいていく私のエッセイを読んで、私が文学的な人間であることをやめるということをはっきり方向付けてくれた、それ以外の道が、生き方が君にありうるかもしれないと、私に非常に内容のある勧告をしてくれた方がいました。
その人は、皆さまもよくご存知の、エドワード・サイードという、私が最も重要な、20世紀の終わり、21世紀の初めの文化理論家と考えている方です。 

私は自分の仕事、文学の仕事がどういうものだったか、70歳になった時に全て検討しようと考えて、作業を初めていました。ところが突然、エドワード・サイードが白血病で倒れてしまうということが起こったのです。
サイードは亡くなる前に、人間が、あるいは文化がひとつの非常に決定的な最終段階に立ち至っていると考える時に、我々の最後の表現のスタイルがどういう形をとるのか、ということを考えていました。
病気の自覚もありますが、イスラエルとパレスチナの問題が彼の生涯の課題で、その社会運動を続けた上での、非常に辛いところでの文学観、あるいは人間観の表現でありますけれども、人間の表現する「最後のスタイル」というものがあるんだと。
今まで、あらゆる時代に、いろんな人たちが人類の最後、あるいは個人として自分の最後を重ね合わせて考える、そして独特の表現をしてきた。それがなければ人間の芸術の歴史はある程度単純化されただろうというのが彼の考え方でありまして、それについて彼は"On Late Style"という論文を中心にまとまった仕事をし、亡くなりました。
彼が亡くなった後、私は彼の取材の文書を集める仕事に参加しまして、ここに刊行することができたのです。本を編集しながら、サイードの"On Late Style"という考えを私が理解していくのと同時に、私たちの国が、世界が一挙に終末的な、非常に危機的な状況に立ち至ったと私は自覚しています。 

人間、文明、あるいは社会のそのLate Styleは、例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のように、芸術家に非常に優れた特別の作品を作らせる。そういうことがずっと、この19世紀、20世紀、21世紀に至っても続いているというのがサイードの考え方で、その上での自分の最後、自分の死後についての見通しを考えるのがこの"On Late Style"ですが、私もこの3年間、同じことやっています。 

サイードはアドルノという思想家の良い後継者で、彼自身もアドルノを継ぐ人間だと書きましたが、アドルノは"アウシュビッツの後で人間が表現を行うこと、それ自体が野蛮なことなんだ"と言いました。
これにはいろいろな理解、解釈がありますが、アウシュビッツの後、そして広島・長崎の後、そしてサイードがもし生きていたら福島の後、そこで人間が表現活動をする、文学活動をするということ自体が野蛮なことなんだろうか。それは人間が新しい人間になるための手段として、そこをどう乗り越えていくかが我々の仕事だと、サイードは言うかもしれない。 

この状況はもっともっと悪化している、もっと究極に近づいている。そして個人的に言えば老人として死のうとしている我々がどういう表現、人間はどういう足場に立って、どういう精神でもって表現活動を続けることができるかをサイードさんは "On Late Style"の中で述べています。私はそれを掘り出して、みんなに伝えるということを願ってきました。 

そして、この本を編集したジャーナリストは、最晩年のサイードは楽観的だったと、そう言っていました。彼はパレスチナに関しても、人間全体の将来についても非常に悲観的で、絶望しか無いと考えていたんだと。しかし絶望した人間の表現のスタイルを作っていく展望について、サイードは楽観的だったと言うんです。 

それを私は自分の信条としたいとも思っているんです。今、私はサイード的な最後の楽観性を自分のものにしたいと考えて、文学的な仕事が終わった所で仕事をしています。その、非常の絶望的な中で、なぜ人間が楽観的でいられるのか。そのことを申し上げて、私の話を終わります。

 
 

質疑応答

ー東京地検が東電の経営陣の不起訴を決めたタイミングについて。一回目がオリンピックの開催地が決まろうとする時期、もう一回は総選挙の直後でした。何か政治的な配慮があったと思いますか。 

大江:もちろん彼らは政治的な言葉を発している。日本の裁判官たちも、あるいは官僚たちも、政治家とともに、非常に不思議なほど、安倍政権のやり方を支持するほかない、というところに固まっていて、原発の再稼働に向かって、あらゆることよりもそれを第一目的としている。すなわち今や我が国は原発再稼働に向かっての動きにおいても、非常に危険な状態を迎えている。 

これを日本人が、我々が集会や運動によって作りかえなければいけない。
今、原発事故の大きな悲劇の後で、どのように人間的なものを回復していくかを中心に考えて、それ以外のことは二次的なものとする、そしてその原則に従って我々が今取ろうとしている態度はすなわち、ともかくも原発は再稼働させよう、それだけの目的で全日本的な宣伝活動が行われ、オリンピックの決定も含めて明るい要素があるかのごとく振る舞おうとしているのは間違っていると。
その大きい大きい一番の間違いがわかるのは次の原発の大事故がおこるときでしょうが、そのときは我々の未来はないんですから、芸術はないんですから、今の政府の原発に対する態度を根本的に改めさせないといけない。 

そのために唯一あるとすれば、選挙によって完全に安倍を打ち倒すということですが、その希望はこの2年ほど、なくなってしまっている。まさに我々は窮地にある。しかし、そういう窮地にも、強い認識でもって新しい動きをはじめなければいけない、それが一番大切な問題だと、そう考えたい。
皆さんからの知恵を頂きたい、励ましを頂きたいと考えている。

ー原子力規制委員会は、原発の現場で働く人材について、バックグウランドのチェックを義務付けないとしているようです。極端に言えば、犯罪者でも仕事ができる状況になります。ISILが日本をテロの対象とすると言うような状況の中、これをどう思いますか。 

鎌田:これは物理的に不可能な状態になっています。いま、第一福島原発の廃炉と修復作業では5,000人から6,000人が働いていますし、これからオリンピックの工事で労働力をかき集めなければならない状況なので安全に手が回らない状態です。 

やはり日本は遅れてきた資本主義ということがありまして、とにかく追いつけ、追い越せで頑張ってきたわけなんで、基本的には国の政治は民衆にすこしくらいの犠牲があっても、国益というか、国の富、名誉、権威が先行しているということが続いています。戦争責任をきちんととらなかったということもありますし、やはり、これからの問題は、経済優先という中で、人間性のある社会にどうしていくのか、パラダイムを変えていく、それが問われていると思います。 

ーサイードの話には大変感銘を受けましたし、社会に訴えかけて作り変えければならないというのは素晴らしい話ですが、福島で一生懸命に生きようとしているひとたちにとっては、インテリたちが自分たちの頭の上でやっている議論に聞こえてしまうのではないかと思います。 

また、復興を実現するために、彼らには何が必要だと思いますか。
 


鎌田:生活に対するリアリティが政治家に少ないし、まして安倍内閣には、人々の生活をどうするのかという発想がないわけです。国の名誉とかそういうことしか無い。たとえば強制移住をさせられている人たちの精神的なダメージについての思いが全くない。どういうふうに還すのかというイメージもない。補償金を払えばいいということになっている。そういう政治家としての人間性が問われている。 

どういう解決策がいいかと言えば、やっぱり政治家たちが仮設住宅に行って、丹念に人々の話を聞いて、それを総合して政策に結びつけていく。
今は機械的に、とにかく原発から復興したということを証明するために無駄な除染の作業をしている。果たして住めるのかどうかということを、人々の話をきちんと聞きながら、新たな所に住むようにするとか、明確なイメージを出すのが精神的に一番安定することだと思います。

私たちの運動は、原発反対とか再稼働運動とか反対の運動で精一杯でして、被害者をどう救済して、地域で人々の意思の沿った復興をしていくかというところにまで手が回らない。これは政治家の仕事なんですけど、ですから、原発反対の運動ともう少し後ろを向いた、ゆるやかな運動をどういう風にしていくかのが今問われている課題で、4年目の課題はそこが重要なものになってくると思います。

ー私はインドネシアの記者ですが、今のインドネシアの経済はものすごく順調で、政治家も原発を検討しています。その件について、できれば大江先生からメッセージをいただきたいと思います 

 
大江:非常に単純なことで、今現在、日本の政府、日本人、日本社会が新しい原発の開発を世界に求めることはできない。
いかなる国に対しても、我々は原発は人間の手段としてはもう終わったんだと言い続けたい。 

今までやってきた経済的繁栄があるから、そういうものがあるから、そういうことを言っているんじゃないか。"我々が貧困を乗り越えるためにどうするかを、あなたは何も考えないのか"、と言われると思います。 

しかし私は、日本も悪い状態そして、世界の国々には確かに原発を必要としている人々がおられる。しかしそこで踏みとどまって、原発というものを我々の文化から押し戻してしまう。それが私の主張で、日本人として世界に何か最後にいうことがあるとしれば、そのことなんだと。そのことを私の「最後のスタイル」にしようと。 それはもちろん、あらゆる意味で、いろんな批判がありうるわけで、インドネシアの人々からの批判も確実にあるでしょう。 

原発がない社会というものを実現するほかない、それが次の世代に対する一番根本的な態度であって、それを修正して次の原発に希望を託すということを私をしない、少なくとも私はできない。そこで声を発し続けるというのが、私が今やれるかもしれない、唯一最後の仕事として思っていることです。 

ー東電の経営陣は不起訴になりましたが、福島原発を建設した人たち、許可を出した人たちの責任も追及するべきではないでしょうか。何か犯罪的な行為があったかもしれません。 

鎌田:日本の原発はご存知のように国策民営、政府の方針に従って民間が儲けていくということで、明治政府以来一貫しています。政府が資金を出して産業を振興、誘導する。原発もそうなので、国の方針ですから責任はない、従っただけだという考えが強いわけます。 

メーカーの責任を弁護士さんも検討してみたようですけれど、なかなか製造者の責任までは裁判では争えない。これは日本の司法の問題なんですけれども、事故を起こした経営陣の責任でさえ追及できないですから、それを作ったメーカの責任の追及までは残念ながらできないという状態です。行きたいんだけど、状況を見ると行けないというまどろっこしい状態です。 

政府の責任を追及することがなかなか今までないわけで、これはひとえに戦争責任の追及がうやむやになってしまって、追及できたイタリアやドイツと違うところですが、最高責任者が追求しきれなかった。責任はどんどんどんどん下の方にいってしまう、これがこの国の現状で、あまりこれ以上は恥ずかしくなるので言いたくないですが(笑)

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