2017.03.24
連載 江川紹子の「事件ウオッチ」第75回
「共謀罪があったらサリン事件は防げた」は大間違い!実効性に疑問の共謀罪の狙いは?
本当に「共謀罪があったらサリン事件は防げた」のか?(写真は事件直後の教団施設外観)
政府は、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ等準備罪」を新たに設ける、組織犯罪処罰法の改正案を閣議決定した。
一般人にも適用され、思想信条の自由を脅かすのではないか、という懸念から、「共謀罪」は過去に3度も廃案に追い込まれてきた。そのため、今回は対象を「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」とするなど、「テロ防止」を前面に打ち出すことで、国民の理解を得ようとしているらしい。
共謀罪があったらサリン事件は防げた?
ただ、「その他」にどこまで含まれるのかがよくわからない。沖縄で反基地運動を繰り広げている人たちを、「テロリスト」などと呼んだテレビ番組もある。このような市民運動や労働組合の活動、あるいは節税対策を行う企業などが、将来的に取り締まりや捜査の対象となることはないのだろうか。
そして、もうひとつ根本的な疑問がある。それは、本当にこれがテロ対策になるのだろうか、という問いである。
日本で起きた大規模なテロといえば、地下鉄サリン事件が挙げられるが、最近、「『共謀罪』があったら、地下鉄サリン事件は防げた」という言説を、ネット上で何度も見た。だが、それはとんでもない勘違いだ。
オウムは、地下鉄サリン事件を引き起こす前に、すでに多くの犯罪を犯していた。共謀罪がなければ罰せない計画や謀議の段階ではなく、殺人や営利目的略取・誘拐罪、住居侵入などを現に行い、それに関する情報は警察にも寄せられていた。ところが、1990年に国土法違反などで捜査を行った熊本県警以外、警察はそれを生かすことはなかった。
89年に発生した坂本堤弁護士一家事件では、神奈川県警の初動が極めて鈍かった。捜査の指揮をとる刑事部長が、一家が自発的に失踪したという自説にこだわり、「『事件だ、事件だ』と言っている弁護士たちは、今に恥をかくぞ」などと公言したこともあった。家族から警察に届けた時点では、オウムの実行犯らは、まだ遺体を山中に埋める作業をしていて、当時、静岡県富士宮市にあった教団本部に戻ってきていなかった。この時に本格的な捜査に取りかかっていれば……と残念でならない。
その後も、警察がもたもたしている間に、首謀者の麻原彰晃こと松本智津夫らと実行犯はドイツに向けて出国し、実行犯の指の指紋消去を試みるという罪証隠滅工作を行っている。
翌年は、実行犯の1人である岡崎一明が金を持ち逃げして教団から離脱した。その金を取り返されるや、岡崎は坂本弁護士の長男龍彦ちゃん(当時1歳)の遺体を埋めた長野県大町市の現場の地図を警察などに送り付けるなどして、麻原から金を脅し取った。神奈川県警は、地図の送り主が岡崎であることまでは突き止めたが、地図の場所はおざなりの捜索で済ませ、遺体が見つからなかったこともあり、岡崎に事実を語らせることはできなかった。
94年3月に宮崎県の旅館経営者がオウムのメンバーによって拉致され、東京都内の教団の医療施設に監禁された事件では、宮崎県警も警視庁も消極的で、被害者家族の目には両者が押し付け合いをしているように映る状況だった。
95年1月に、信者の親たちでつくる「オウム真理教被害者の会」(現「家族の会」)の永岡弘行会長が、オウムにVXをかけられて瀕死の重傷を負った。これも、警視庁は永岡さんが自殺を図ったものとみて、まともに取り合わなかった。
警察の手が及ばないのをいいことに、オウムはますます大胆になり、95年2月28日には、多くの人がいる路上で目黒公証役場事務長だった假谷清志さんをむりやり車に押し込んで拉致する事件を起こした。これで初めて警視庁が動き、強制捜査の準備をしたが間に合わず、地下鉄サリン事件を引き起こされてしまったのだ。
共謀罪はテロ対策に役に立つのか
このような状態で、共謀罪があったとして、どうして地下鉄サリン事件を防げただろう。
オウムのいくつもの事例を見るにつけ、地下鉄サリン事件を防げなかったのは、警察組織トップのやる気の問題が大きかったように思う。そして、捜査機関同士の連携や情報交換、そして適切な捜査がもっとなされていれば、事態は変わっただろう。たとえば、坂本事件で本格的な捜査が行われていたら、松本サリンも、地下鉄サリンも、3件のVX殺人・同未遂事件も、假谷さん拉致事件もなかったのではないか。
過去のこのような大失敗から、警察はきちんと教訓を学んでいるのだろうか。テロ対策という点では、そこが一番気がかりである。
オウム事件では、強制捜査が始まった後も、警察内部での情報共有が果たしてできているのか疑問に思う時もあった。同じ警察の間でも、部局が異なるとまったく情報共有ができていなかった事実に驚いたこともある。
地下鉄サリン事件当時に東京地検公安部の検事だった落合洋司弁護士も、今回の「共謀罪」について、「情報の収集・集約体制が整わないままつくっても、絵に描いた餅ですらない。地下鉄サリン事件の時に共謀罪があったとしても情報がないため、防げなかっただろう」と語っている(3月1日付朝日新聞)。
そもそも、共謀罪を使って、どのようにテロ防止をするのだろうか。内部告発でもなければ、組織内で密かに行われる謀議の段階で不正を見つけ出すことはほとんど不可能のように思える。しかし、告発者になんのメリットもない状況で、危険を冒して内部告発する人の出現を、そうそう期待できるものでもない。それを考えると、実際のテロ対策にはほとんど役に立たないのではないか。
それとも、この法案を成立させた次の段階で、捜査機関が人々の通信を自由に盗聴・のぞき見できるようにでもするつもりだろうか。多くの場合、取り締まりの対象である「組織的犯罪集団」かどうか、外形からはわからないので、最初からターゲットを犯罪組織に限定はできない。となれば、警察は一般人を含めた不特定多数の通話やメールの傍受をしてチェックするということになろう。
そうすれば、確かに悪だくみを見つけ、共謀罪での立件が可能になるかもしれない。だが、それは「通信の秘密は、これを侵してはならない」と定める憲法に違反するし、いくらオリンピックのためといわれても、そんなウルトラ監視社会を多くの人は望んでいないのではないか。
もし、日本で起きた最大規模のテロ事件である地下鉄サリン事件に学んで、「テロ」を防ぐために実効性のある法整備をするならば、それはこのような「共謀罪」ではなく、組織犯罪に関する司法取引の導入だろう。
前述のように坂本事件では、遺体の場所を示す地図を送り付けたのが、事件当時教団幹部だった岡崎であることを警察は把握していた。この時点で、首謀者の役割も含めてすべてを明らかにすれば、彼の刑事責任は減免され、その後の身の安全が守られる、という取り引きが提案されたとしたら、どうだっただろうか。
岡崎は、地下鉄サリン後に警察が本格的な強制捜査に入ってから、神奈川県警に「自首」した。警察の本気度を見極め、なんとか死刑は避けようとしたのだろう。ちなみに裁判では、自首は認められたが減刑はされず、死刑が確定している。
そんな彼なら、好条件が示されれば、早い段階で自白をしていた可能性は大いにある。ただし、それは警察が本気で捜査を行っているのが前提。捜索をきっちり行って遺体を発見したうえで、司法取引を持ちかければ、かなり効果的だったろう。
共謀罪よりはるかに有効な司法取引
昨年の刑事訴訟法改正で、「他人の刑事事件」について供述した被疑者は、自分の刑事責任について検察官と取り引きできる、日本型司法取引が導入されることになった。ただし、それが適用されるのは、贈収賄、文書偽造、脱税、詐欺・恐喝、薬物犯罪など特定の犯罪に限定される。
テロ関連では、武器等製造法や爆発物取締罰則は入っているが、殺人や誘拐、サリン防止法違反などは入っていない。殺人を犯した一部の犯人の刑事責任が減免されることに、犯罪被害者サイドの反発が強かった、と聞く。法務省も被害者を敵に回しては、国民の理解は得られないとして、殺人罪などの重罪に関しては、対象から外したようだ。また、このタイプの司法取引は、自分の罪を軽くするために、無実の人を引き込んで冤罪が起きる危険性もあるので、導入に批判的な声も大きい。これを多用することがあってはならないのは、むろんのことである。
ただ、テロ防止策の強化という観点で考えるならば、組織的な事件に限り、殺人、放火、誘拐、内乱や、サリン防止法、ハイジャック防止法などに違反した行為(予備を含む)に関して、内部告発をした者の刑事責任を大胆に減免する司法取引を可能にする法律をつくるというのはあり得る選択ではないか。こうした重大な犯罪は、予備の段階で罰することができるので、事件を未然に防ぐことにもつながる。共謀罪よりはるかに有効だろう。
オウムに関していえば、岡崎に対して刑事責任を免除、または執行猶予付き判決が確約されるような状況が示されていれば、早い時期に首謀者である麻原彰晃こと松本智津夫らの行為を喋ったのではないかと思う。なにしろ、麻原から金を脅し取るくらいだから、心はすでに離れていたはずだ。一家3人の殺害なので、それだけで教祖らは有罪になれば死刑判決が言い渡される可能性が高い。そうすれば、教団そのものが立ちゆかなくなっただろう。当然、その後の事件は起きなかった。
確かに、岡崎のような凶悪な殺人の実行犯が狡猾に立ち回って、刑を軽減されたり免責されるということは、遺族らにとっては耐え難い事態に違いない。しかし、テロ組織は事件を繰り返す。それを考えれば、事件の早期解決と将来の事件を未然に防ぐために、遺族の協力を得なければならないことはあるのではないか。当然ながら、将来の事件防止という大きな公益のために、無念な思いをさせる代償は、社会の側が感謝と誠意をもって示さねばならない。
このように、実効性が期待できる対策を示すことなく、国が共謀罪にこだわる意図は何なのだろう。
それは、テロ対策とは別のところにあるとしか思えない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)
●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。
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