父はすでに「死んでいた」
辺見庸さんは、私の共同通信時代の5期上の先輩だ。在籍中に言葉を交わしたことは一度もない。何しろ相手は世界に名を知られた元北京特派員で、しかも芥川賞作家である。気安く話しかけられる相手ではない。
その辺見さんが『1★9★3★7』(金曜日刊)を書きながら〈ときどき吐いた。すこし泣いた。絶句し、また吐いた。そうしながら、じぶんがなにも知らないこと、さっぱり知らなかったこと、でも、知ろうとしないでここまできてしまったことを、いたく知らされた。うちのめされてまた吐いた〉という。
そんなにしんどい思いをしてまで辺見さんは1937年の南京大虐殺になぜこだわるのか。その理由は、彼の生い立ちと深く結びついているようだ。
彼の父は華中(中国中部)に3年余り出征した。帰国して石巻新聞の記者になった。復員後の父の像は、溶けかかった鉛の立像のように、輪郭のゆらぐ、いつまでも不可解な影であった―と辺見さんは書いている。
父は無口で不気味で、時々ぞっとするほど優しく、ふとどこか遠くを眺めやった。概ねいつも神経質で発作的に激怒し、反射的にどなったり殴ったり。と思うと、ラフマニノフに聴き入り、借金までしてタマの出ない台でパチンコをつづけた。
子供心に辺見さんは、そんな父を「お化け」のようだと思った。母は「あの人はすっかり変わって帰ってきた」と言い、夫が「お化け」になったのは戦争のせいだ、中国で何かがあったのだと決めつけていたという。
私は自分の身と引き比べつつ辺見さんの文章を貪るように読んだ。私の父も若いころ神経質で怒りっぽく、パチンコ通いをした。が、暴力は振るわなかった。彼は外地に出征しなかったので心に傷を負っていない。私は恵まれていたというべきか。
ヌクヌク育った私と違って辺見さんの生い立ちは凍てついた風景の中にある。しかも彼はそれを仮借なく描く。『1★9★3★7』には思わず生唾を呑み込む場面がいくつもあるが、これもその一つだろう。
〈子どものころ、あの男を、父を、殺そうとおもったことがある〉。誰もいない入江で釣りをしていたときも一瞬〈殺意がわいた。かれもそうされるのを望むともなく望んでいたような気もする。しかし、殺さなかった。かれはすでに(少なくとも部分的には)死んでいたからだ〉
それから約半世紀、父親はがんで他界する。病状が重くなったころ「あの戦争はなんだったのだろう」と呟いた。「それをだれに訊きたいの? 昭和天皇に?」
と聞かれるとうんと肯いた。
虐殺を「なかった」ことにした自分への戒め
死の数日前、「出征してからはずっと、戦後もふくめて、すべてがダメになっていった」という意味のことをうめくように告げた。楽しかったのは学生時代、ボート部員として隅田川でボートを漕いでいたころだけ。戦後も、何も楽しくなかったという。
ミイラのように小さくなった体で父親は「スヌデ、スヌデ」(=昔の石巻弁で死にたい)とかすれ声でうわごとを言った。母は「頼むからそんなこと言わないで」と涙声で懇願した。
辺見さんは〈かれはもうすぐ逝くのをわかっていて「スヌデ……」をくりかえした。病気になってからではなく、復員してきてからずっと、間欠的に「スヌデ……」をつぶやきつづけていたのかもしれない〉と語る。
ならば、彼の父は中国でどんな体験をして「お化け」になったのか。辺見さんはその謎を解こうとする。手がかりになったのは、戦中の中国にいた作家や兵士らの証言である。
たとえば1937年12月の南京について'84年8月7日の毎日新聞は元陸軍伍長の話を報じた。彼は当時のスケッチ、メモ類をもとに捕虜一万人余の虐殺を詳細に証言している。それによると、南京で捕縛された捕虜たちは後ろ手に縛られて数珠つなぎにされ、収容所から4kmの揚子江岸に連行された。
「撃て!」の命令で約1時間の一斉射撃がつづいた。捕虜たちは逃げ惑う。水平撃ちの弾を避けようと屍体の上に這い上がり、高さ3~4mの人柱ができた。
生残った者は片っ端から突き殺された。石油をかけて燃やされた。人柱は南京の空にぼうぼうと燃えた。「我部隊が殺したのは一三五〇〇であった」と元伍長はメモに記した。
南京だけではない。中国側によれば、日中戦争での軍民死傷者は3500万人以上。正確な数字かどうかはともかく、日本軍は無造作に、さしたる理由もなく、中国各地で殺人と強奪と凌辱(「生肉の徴発」とも言われた)を繰り返した。
辺見さんは〈多くのニッポン人がそうした殺人を「戦争」の名のもとに帳消しにし、きれいさっぱりと忘却している〉と述べ、亡き父に問いかける。
「あなたは中国人になにをしたのか」「気まぐれに非戦闘員を殺したことはあるか」「強姦したことはあるか」「あなたがしなくても、部下の殺人、強姦を知っていて黙認したことはないか」……。
これは辺見さん自身の罪の告白でもある。なぜなら彼は生前の父にあえて事実を糺そうとしなかったから。そのようにして〈あったこと〉は忘れられる。忘れられると〈あったこと〉は徐々に〈なかったこと〉になる。
辺見さんはさらなる問いを自らの胸に錐のように突き立てる。おい、お前、1937年の中国で、お前なら殺さなかったか。上官の命令に背けたか。多数者がリクレーションのようにやっていた強姦を、絶対にやらなかったと言い切れるのか?
私の場合で言うなら、答えはノーである。とするなら、私にできるのは1937年が20××年に再現するのを防ぐ手立てを考えるぐらいか。でも、どうやって? 答えはたぶん過去の歴史に潜んでいる。過去をないがしろにして未来は作れない。
『1★9★3★7』の最後に辺見さんも言う。〈過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ! 現在が過去に追い抜かれ、未来に過去がやってくるかもしれない〉。
『週刊現代』2015年11月28日・12月5日号より