異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

安倍政権は倒せる!<第7回>共産党への拒否反応はおかしい (日刊ゲンダイ)

2015-12-06 18:33:51 | 政治 選挙 

日刊ゲンダイ http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/171041より転載

安倍政権は倒せる!

<第7回>共産党への拒否反応はおかしい

2015年12月5日

 

 全ての小選挙区(1人区)で野党が1人の統一候補を立てて選挙協力すれば、政権交代が可能であるということは既に何回も述べた。そして、

「国民連合政府」を樹立して立憲政治(つまり、憲法を守る政治)を回復しなければならない。そうしなければ、この国は政策論争を試みること自体がタブーにされた首相独裁国家のままになってしまう。

 その上で、あの戦争法が、本当に国の安全と平和を増すものかどうか? 冷静に検証してみるべきである。そうすれば、まず、これまでの自衛隊による専守防衛+日米安保条約でこの国は十分に守られてきたし、これからも守られていけることが明らかになるはずである。加えて、あの戦争法が、本来、わが国ならば避けることができるイスラム教徒によるテロと戦費破産を招く不当・不要なものであることも明らかになるはずである。

 だから、野党の選挙協力による政権交代が急務である……と私は説いて回っている。

 もちろん、ほとんどの人は「その通りだ」とうなずくのだが、その上で、ちょっと笑えるような悩みを聞かされることも多い。

 いちばん多いのは、野党協力の必要性は分かるが、あの「個性的な」共産党とは付き合い方が分からない、というか、できれば付き合いたくない……という類いの反応である。例えば、労組内の主導権争いで共産党系の人々と向き合った民主党系の人々、地方議会の運営で共産党の議員と争った他党の議員など、共産党が苦手な人が多いことには驚かされる。

 確かに、あの頑固で一途な共産党の人々には私も苦笑させられてしまうことが多い。

 しかし、労働組合内部における主導権争いで、共産党系の人々に負けた体験のある人が、共産党を良く言わないのは一種の被害妄想ではなかろうか。憲法で保障された結社の自由をお互いに行使して、魅力的な方が多数派を形成し得ただけの話ではないか。また、議会内でなれ合ってきた与野党に対して新人の共産党議員が規則を盾に噛み付いた場合に、反省すべきはどちらなのか? 再考すべきであろう。

 いずれにせよ、安倍独裁を倒すために、野党協力は避けては通れないことなのである。

 

 

 


「南京大虐殺」が狂わせた人生~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない(魚住 昭)

2015-12-06 18:27:17 | 戦時中性奴隷 慰安婦

わき道をゆく~魚住昭の誌上デモ

現代ビジネス http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46477より転載

2015年12月06日(日) 魚住 昭

「南京大虐殺」が狂わせた人生
~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない

父はすでに「死んでいた」

辺見庸さんは、私の共同通信時代の5期上の先輩だ。在籍中に言葉を交わしたことは一度もない。何しろ相手は世界に名を知られた元北京特派員で、しかも芥川賞作家である。気安く話しかけられる相手ではない。

その辺見さんが『1★9★3★7』(金曜日刊)を書きながら〈ときどき吐いた。すこし泣いた。絶句し、また吐いた。そうしながら、じぶんがなにも知らないこと、さっぱり知らなかったこと、でも、知ろうとしないでここまできてしまったことを、いたく知らされた。うちのめされてまた吐いた〉という。

そんなにしんどい思いをしてまで辺見さんは1937年の南京大虐殺になぜこだわるのか。その理由は、彼の生い立ちと深く結びついているようだ。

彼の父は華中(中国中部)に3年余り出征した。帰国して石巻新聞の記者になった。復員後の父の像は、溶けかかった鉛の立像のように、輪郭のゆらぐ、いつまでも不可解な影であった―と辺見さんは書いている。

父は無口で不気味で、時々ぞっとするほど優しく、ふとどこか遠くを眺めやった。概ねいつも神経質で発作的に激怒し、反射的にどなったり殴ったり。と思うと、ラフマニノフに聴き入り、借金までしてタマの出ない台でパチンコをつづけた。

子供心に辺見さんは、そんな父を「お化け」のようだと思った。母は「あの人はすっかり変わって帰ってきた」と言い、夫が「お化け」になったのは戦争のせいだ、中国で何かがあったのだと決めつけていたという。

私は自分の身と引き比べつつ辺見さんの文章を貪るように読んだ。私の父も若いころ神経質で怒りっぽく、パチンコ通いをした。が、暴力は振るわなかった。彼は外地に出征しなかったので心に傷を負っていない。私は恵まれていたというべきか。

ヌクヌク育った私と違って辺見さんの生い立ちは凍てついた風景の中にある。しかも彼はそれを仮借なく描く。『1★9★3★7』には思わず生唾を呑み込む場面がいくつもあるが、これもその一つだろう。

〈子どものころ、あの男を、父を、殺そうとおもったことがある〉。誰もいない入江で釣りをしていたときも一瞬〈殺意がわいた。かれもそうされるのを望むともなく望んでいたような気もする。しかし、殺さなかった。かれはすでに(少なくとも部分的には)死んでいたからだ〉

それから約半世紀、父親はがんで他界する。病状が重くなったころ「あの戦争はなんだったのだろう」と呟いた。「それをだれに訊きたいの? 昭和天皇に?」

と聞かれるとうんと肯いた。

虐殺を「なかった」ことにした自分への戒め

死の数日前、「出征してからはずっと、戦後もふくめて、すべてがダメになっていった」という意味のことをうめくように告げた。楽しかったのは学生時代、ボート部員として隅田川でボートを漕いでいたころだけ。戦後も、何も楽しくなかったという。

ミイラのように小さくなった体で父親は「スヌデ、スヌデ」(=昔の石巻弁で死にたい)とかすれ声でうわごとを言った。母は「頼むからそんなこと言わないで」と涙声で懇願した。

辺見さんは〈かれはもうすぐ逝くのをわかっていて「スヌデ……」をくりかえした。病気になってからではなく、復員してきてからずっと、間欠的に「スヌデ……」をつぶやきつづけていたのかもしれない〉と語る。

ならば、彼の父は中国でどんな体験をして「お化け」になったのか。辺見さんはその謎を解こうとする。手がかりになったのは、戦中の中国にいた作家や兵士らの証言である。

たとえば1937年12月の南京について'84年8月7日の毎日新聞は元陸軍伍長の話を報じた。彼は当時のスケッチ、メモ類をもとに捕虜一万人余の虐殺を詳細に証言している。それによると、南京で捕縛された捕虜たちは後ろ手に縛られて数珠つなぎにされ、収容所から4kmの揚子江岸に連行された。

「撃て!」の命令で約1時間の一斉射撃がつづいた。捕虜たちは逃げ惑う。水平撃ちの弾を避けようと屍体の上に這い上がり、高さ3~4mの人柱ができた。

生残った者は片っ端から突き殺された。石油をかけて燃やされた。人柱は南京の空にぼうぼうと燃えた。「我部隊が殺したのは一三五〇〇であった」と元伍長はメモに記した。

南京だけではない。中国側によれば、日中戦争での軍民死傷者は3500万人以上。正確な数字かどうかはともかく、日本軍は無造作に、さしたる理由もなく、中国各地で殺人と強奪と凌辱(「生肉の徴発」とも言われた)を繰り返した。

辺見さんは〈多くのニッポン人がそうした殺人を「戦争」の名のもとに帳消しにし、きれいさっぱりと忘却している〉と述べ、亡き父に問いかける。

「あなたは中国人になにをしたのか」「気まぐれに非戦闘員を殺したことはあるか」「強姦したことはあるか」「あなたがしなくても、部下の殺人、強姦を知っていて黙認したことはないか」……。

これは辺見さん自身の罪の告白でもある。なぜなら彼は生前の父にあえて事実を糺そうとしなかったから。そのようにして〈あったこと〉は忘れられる。忘れられると〈あったこと〉は徐々に〈なかったこと〉になる。

辺見さんはさらなる問いを自らの胸に錐のように突き立てる。おい、お前、1937年の中国で、お前なら殺さなかったか。上官の命令に背けたか。多数者がリクレーションのようにやっていた強姦を、絶対にやらなかったと言い切れるのか?

私の場合で言うなら、答えはノーである。とするなら、私にできるのは1937年が20××年に再現するのを防ぐ手立てを考えるぐらいか。でも、どうやって? 答えはたぶん過去の歴史に潜んでいる。過去をないがしろにして未来は作れない。

『1★9★3★7』の最後に辺見さんも言う。〈過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ! 現在が過去に追い抜かれ、未来に過去がやってくるかもしれない〉。

『週刊現代』2015年11月28日・12月5日号より

 

 

 

 


安部晋三様、朴槿恵様 [公開書簡] 日本軍性奴隷制度の被害者に対する賠償 

2015-12-06 13:54:53 | 戦時中性奴隷 慰安婦

Amnesty International Japanhttp://www.amnesty.or.jp/news/2015/1204_5749.htmlより転載

日本軍性奴隷制度の被害者に対する賠償

 
 
[公開書簡]

2015年11月30日

日本国首相 安部晋三様

アムネスティ・インターナショナルを代表し、日本政府に対して、韓国政府との間で現在進めている協議において、第二次世界大戦前および戦中の旧日本軍による性奴隷制度の被害者に対し、全面的かつ効力ある賠償措置が講じられることを強く要請します。

すべての人びとが人権を享受する世界の実現を目指すアムネスティは、戦後70年を経過した今もなお、日本政府が日本軍性奴隷制の被害者に対して責任を全面的に認めず、賠償などの正義を果してこなかったことに、重大な懸念を抱いています。

日本は国際法上、戦争犯罪や人道に対する罪を構成する犯罪について、その被害者に対し、全面的かつ実効性のある賠償を行う義務があります。しかし、これらの問題への対応策は、戦後の諸条約や日本政府が主導したアジア女性基金などの制度、貴政府による声明の中には、盛り込まれていませんでした。

今回両国は、日本軍性奴隷制の問題の解決に向けた協議を加速し、「未来志向の協力関係」を築くことに合意しました。これにより、長年にわたる被害者への不正義と苦難に終止符を打つまたとない機会が生まれたと言えます。アムネスティは、これを契機に、被害者に代わり賠償を求めている他の国々にもまた、日本政府が向き合うことを期待します。

今回の協議で被害者への全面的な賠償を確実に実施する上で、日本政府に以下のことを要請いたします。

  • 被害者の意見と要望を十分に考慮した、被害者本位の対応をとること。
  • 日本軍性奴隷制の被害者に対し、大多数の女性が受け入れられる形で、日本の責任を全面的に認め、謝罪すること。謝罪は、女性たちが受けた犯罪行為を公に認め、被害者の尊厳を回復するものであること。
  • 全ての被害者に包括的な賠償を提供すること。
  • 金銭賠償に加え、原状回復、社会復帰、充足及び再発防止など、被害者たちが求める物心両面での賠償を提供すること。
  • 賠償請求や裁判所に申し立てる権利を損なう施策は、すべて排除すること。
  • 韓国政府と協働し、これらの賠償措置を実施する実効性ある制度を設置すること。

アムネスティは、日本政府が、苦難を背負ってきた被害者に向け、長年求められてきた施策を実施し、数十年の不正義に終止符を打つことを希望しています。

敬具

トーマス・シュルツ=ジャゴウ
(サリル・シェティ事務総長代理)

 

*********

 

2015年11月30日

大韓民国大統領 朴槿恵様

アムネスティ・インターナショナルを代表し、韓国政府に対して、日本政府との間で現在進めている協議において、第二次世界大戦前および戦中の日本軍性奴隷制の被害者に、全面的かつ効力ある賠償措置が講じられることを強く求めます。

すべての人びとが人権を享受する世界の実現を目指すアムネスティは、戦後70年を経過した今もなお、日本政府が被害者に対して責任を全面的に認めず、賠償などの正義を果してこなかったことに、重大な懸念を抱いております。

今回、両国は、日本軍性奴隷制の問題の解決に向けた協議を加速し、「未来志向の協力関係」を築くことに合意しました。これにより、長年にわたる韓国の被害者が受けた苦難と不正義に終止符を打つ、またとない機会が生まれたと言えます。アムネスティはこれを契機に、他の国々の政府も被害者に代わり日本政府に賠償を求める機運が生まれることを期待しています。その意味でも、今回の協議を通じて被害者が納得する成果が出ることが極めて重要です。この数十年間の日本政府の対応を象徴する不履行と不首尾を繰り返させてはなりません。

アムネスティは、韓国政府に対して今回の協議で以下のことを求めます。

  • 被害者本位の対応をとること。そして、全被害者から十分な聞き取りにより、その要望を把握し、被害者に代わりその要望を主張すること。
  • 金銭賠償に加え、原状回復、社会復帰、全面的な謝罪や真実の公開及び日本の責任を認めるその他の手段を含む被害者の充足、再発防止など、被害者たちが納得する形での賠償を実現すること。
  • すべての被害者が賠償をうけられること。
  • 賠償請求や裁判所に申し立てる権利などを損なう施策を排除すること。
  • これらの賠償措置を講じる実効性ある制度を設置すること。日本政府が設立したアジア女性基金に対して多くの被害者から批判的な意見が出ていることを考慮し、韓国政府が適切な制度を設置し、そこが業務を担当すべきである。

アムネスティは、韓国政府に対して、以上の施策を講じ、被害者の痛みや苦しみに対応し、過去数十年の不正義に終止符を打つために、強い意志で日本政府との協議に臨むことを希望します。

敬具

トーマス・シュルツ=ジャゴウ
(サリル・シェティ事務総長代理)

 

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アムネスティについて

http://www.amnesty.or.jp/about_us/

アムネスティ日本は、すべての人びとの人権が守られる世界をめざし、活動しています。

 

アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGOです。人権侵害のない世の中を願う市民の輪は年々広がり、今や世界で700万人以上がアムネスティの運動に参加しています。

国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞しました。

アムネスティ・インターナショナルとは

アムネスティの国際会議で行われた、ジンバブエの女性権利団体への弾圧停止を求める「WOZA」アクション

世界中で起きている人権侵害の存在を知り、「苦しんでいる人を助けたい」と願う人びとが集まり、アムネスティは生まれました。すべての人びとの人権が守られ、誰もが紛争や貧困、拷問、差別などの人権侵害で苦しむことのない世界の実現を目指しています。

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アムネスティ日本とは

アムネスティ日本事務局にて

1961年の設立以来、世界中に広がっていったアムネスティの活動。アムネスティ日本は、アムネスティ・インターナショナルの日本支部として、1970年に東京に設立されました。

 

 

 

 


【東北大震災】 <もう一度会いたい>娘2人と無念の対面 (河北新報)

2015-12-06 13:46:14 | 報道

河北新報ONLINE NEWShttp://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151203_13022.htmlより転載

<もう一度会いたい>娘2人と無念の対面

ひとみさんが震災2カ月前に子どもたちと撮ったプリクラ。前列左が麻里さんで後列右が理加さん。最後の家族ショットとなった

 

◎(3)苦しんだ姿思い涙

 遺体安置所に横たわる次女の顔は別人のようだった。
 頬の皮膚がふやけている。長く水に漬かっていたせいだ。
 今野ひとみさん(45)=宮城県石巻市=と夫浩行さん(53)の次女=当時(16)=は震災19日目に発見された。家の向こうの富士沼に沈んでいた。
 ひとみさんは本人だと納得していない。


<我流で化粧>
 遺体の口を開けてみる。
 上の前歯の先っちょに治療の痕があった。
 「ああ」
 理加だ。
 次女は小学生の時、教室の掃除中にオルガンに顔をぶつけ、歯を欠いたことがある。
 白のパーカを着ていた。泥で黒ずんでいる。首回りにビーズアクセサリーの付いたデザインがお気に入りだった。
 遺体は検視を終えた。
 裸で引き渡された。
 遺体が多く、死に装束が手に入らない。
 バスタオルで体をくるんだ。
 納棺師も手配できない。
 我流で死に化粧を施した。
 パフでファンデーションを塗ろうとすると、皮がめくれる。
 ベビーパウダーを当てておしろい代わりにした。
 震災の時、家には理加さんのほか、長女の麻里さん=当時(18)=、同居する夫の父=同(77)=と母=同(70)=がいた。父は理加さん発見の2日前に見つかり、仮埋葬している。
 地元の火葬場は依然空きがない。秋田の湯沢市の施設を押さえ、荼毘(だび)に付した。


<口の中に泥>
 長女麻里さん発見の知らせはその時に届く。震災25日目。母も同じ日に見つかった。
 ひとみさんと浩行さんは次女の骨を急いで骨箱に収め、車で引き返した。
 麻里さんの遺体は傷んでいた。
 右の耳の付け根が少し溶けている。
 もう4月で気候が緩みだしていた。腐乱の兆候が見えても無理はない。
 石巻西高のジャージーの下の方をはいていた。この子の学校だ。
 「今野麻里」の刺しゅうが縫い付けてある。
 監察医から死体検案書が渡された。
 <口腔(こうくう)内に木片、泥入る>
 濁流にのまれ、もがき苦しんでいる姿が目に浮かぶ。
 床に膝を打つ音がした。
 夫が泣き崩れていた。