異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「きよしこの夜」誕生物語~オーストリアの小さな村で誕生、初めはギター伴奏で

2015-12-24 18:15:48 | クリスマス

 


http://family.gr.jp/christmas/story/stories/silent_night.htmlより転載
「きよしこの夜」誕生物語

作詞:ヨーゼフ・モール(1792-1848)、作曲:フランツ・グルーバー(1787-1863)

オーストリアのザルツブルグで生まれたヨーゼフ・モールは、子供の頃には聖歌隊で歌い、後にザルツブルグからそう遠くないチロル地方のオーベルンドルフという人里離れた村の教会の助祭となった。

1818年の12月24日、モールは、自分の教会のオルガニストで友人でもあるフランツ・グルーバーから、教会のパイプオルガンが壊れているので、クリスマス・イブの深夜のミサには使えないだろうと聞かされた。なんと、ネズミがオルガンのふいごをかじったのだ。しかも、雪が深く積もっており、礼拝の前に修理工が来るのは無理だった。

モールは、よりによってクリスマス・イブの礼拝にオルガンを使えないと聞いて、途方に暮れた。そこへ誰かが、貧しい農婦に赤ん坊が生まれたから祝福してやってほしいと知らせに来た。

星の輝く冬の夜、雪道を通って家に帰る途中のモールは、初めてのクリスマス(イエスの誕生)のことを考えていた。訪問先の家で母親の腕に抱かれた赤ん坊を見たせいで、マリヤと赤ん坊のイエスのことが思い出されたのだろうか。

その昔、イエスの誕生の夜に、天使たちは羊飼いたちに歌を歌ったのだった。帰宅し、そのことを考えていると、感動が言葉になって出てきた。ペン先から言葉がすらすらと流れ、紙に最初の行を書くやいなや、また次の行が書かれるという具合だった。そしていつのまにか、数節の詩ができあがっていた。

しかし、そのためのメロディーがない。モールは何とかクリスマスの礼拝でそれを歌いたかった。そこで、曲を作ってもらおうと、グルーバーの元に急いだ。「フランツ、この新しい詩に音楽を付けてほしい。深夜のミサで歌おう。オルガンがあろうとなかろうと構わない!」

モールはその歌詞にメロディーをつけて、ギターの伴奏で歌うことを望んだが、グルーバーは、自分はオルガニストであってギターはやらないし、作曲などなおさらだと抗議した。だが、モールは引き下がらなかった。「ギターコード三つぐらいは知っているだろう。」グルーバーがうなずくと、モールは続けた。「じゃあ、三つくらいしかコードを使わない本当に簡単な曲を書いたらいいじゃないか。今夜、君の伴奏で、僕たちは新しいキャロルを歌うんだ。」

そこで、グルーバーはモールの求め通りにし、1時間もしない内にその曲を書き上げた。というわけで、1818年のクリスマス礼拝に、モールのイタリア製ギターの伴奏にのって、モールがテノール、グルーバーがバスを担当し、二人の女性の歌い手と共に四重唱をした。新しいキャロルが世界に披露されたのだ。

グルーバーからの手紙をついに受け取ったツィラータール村のオルガン職人カール・マウラッヒャーがやって来た。オルガンが直ると、グルーバーがさっそく試してみることにした。その午後たまたま教会にいたモールは、自分たちが作った新しいクリスマス・キャロルをひくように熱心に頼んだ。聞いたばかりの曲にほれ込んだマウラッヒャーは、その曲の写しをくれないかとグルーバーに頼み込んだ。ツィラータール村に持ち帰って、新しい歌をいつも探している歌い手や演奏家達に紹介したかったのだ。

こうしてマウラッヒャーがそのキャロルの写しを持っていくと、村人たちは喜び、その曲を「天からの歌」とまで呼んだ。10年後、マウラッヒャーは、シュトラッサー家のカロリーネ、ヨーゼフ、アンドレアス、アマーリエという四人の子供がとびきり美しい声を持っているのを知り、そのキャロルを教えると、四人とも喜んで覚えた。

シュトラッサー夫妻は一流の手袋職人で、毎年ライプツィッヒで開かれる市で手袋を売る時に子供達も連れて行った。そして、子供達はよく親の売店や路上で客集めのために歌ったものだった。すると驚いたことに、彼らが歌うのを聞いたザクセン王国の音楽総監督を務めるポレンツが、演奏会で歌うよう求めてきた。

演奏会では定例プログラムの終わりにポレンツが子供達を壇上に呼び、ザクセン国王の前で歌うようにと言った。子供達はドキドキしたが、ホールの真ん中に立って数曲歌った。「天からの歌」もその中に入っていた。彼らの歌声は大反響を呼び、1832年のクリスマス・イブには王室一族の前で再びその歌を歌うようにと王宮に招かれた。

こうして「きよしこの夜」はライプツィヒで初めて「チロルの歌」として出版されたが、「出典不明の賛美歌 作詞作曲者不詳」という添え書きつきだった。

1854年、プロイセン王国のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が初めて「きよしこの夜」を耳にした。ベルリンの皇帝教会で聖歌隊が歌うのを聞いて、プロイセン王国でのすべてのクリスマス・プログラムでは最初にこの曲が歌われなくてはならないと宣言した。また、宮廷音楽家たちに、作詞者と作曲者を探し出すようにと命じた。

その年、音楽家たちはザルツブルグの聖ペテロ修道院の修道士たちに、この曲の出所について何か知らないか尋ねた。喜ばしいことに、そこの聖歌隊の中に、フランツ・グルーバーの息子、フェリックス・グルーバーがいて、この少年はそれが父の書いた曲であることを修道士たちに納得させたのだった。

こうして、オーストリアの小さな村で誕生した「きよしこの夜」は、たくさんの言語に訳されて、世界中の人にクリスマスの安らぎを告げている。

 
<関連記事>

[PDF]「“きよしこの夜”の誕生とその後」(浅川敏 訳)

anglican.jp/nagasaka/resources/silent_night.pdf

 

 


<メリークリスマス!> クリスマスイブはお近くの教会で 2015.12.24

2015-12-24 15:36:53 | クリスマス 新年

 

クリスマス・イブはお近くの教会で

2015.12.24

今宵はぜひお近くの教会のキャンドルサービス・礼拝へお出かけください。
どの教会のドアも大きく開かれ、みなさまをお待ちしております。明日への希望を握り締め、みなさまの心に癒しと平安がありますように。(事務局)

【明日への希望・みことばを糧に】
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」ヨハネ1:9

...
 今日はクリスマス・イブです。
この季節はラジオをつけると必ずと言って良いほど山○達郎さんの「♪クリスマス・イブ」が流れます。
すっかり定番となったこの曲を聴いていると、日本のクリスマスのテーマはやっぱり愛なんだなあと思わされます。

 こっぱずかしい世代や居心地の悪ささえ感じる人もいるかもしれません。
でも、クリスマスに表された本当の愛の姿は、全ての人間の罪と悲しみを背負うために神である方が人としてお生まれになったことにあります。
全然ロマンチックではないし、直視するのが難しい自らの罪深さや心の闇の存在さえ意識させます。
しかしお生まれくださったイエス様は、闇に輝くキャンドルの光のように、私たちの心を愛をもって静かに、やさしく照らし、赦しと回復を与えてくださいます。
今晩、そんなことを覚えながらクリスマスイブ礼拝をご一緒に捧げましょう。

(当会よびかけ人・佐々木真輝師のブログより)  http://daily.ichurch.jp/?p=2497

 


                                                             
  キャンドル礼拝by 日本キリスト改革派板宿教会 2015.12.23

 
 
 
 
 
 

サンタクロースっているんでしょうか? ~ニューヨーク・サン新聞「社説」 1897年9月21日

2015-12-24 08:20:47 | クリスマス

         

サンタクロースっているんでしょうか? 単行本 – 2000/11/27

http://www.xmas-carol.com/topic/there-is-santa-claus.htmlより転載

Yes, Virginia, there is a Santa Claus
サンタクロースっているんでしょうか?

100年前のニューヨークで生まれた心温まるクリスマス・ストーリー

「サンタは本当にいるの?」と子供から質問されたとき、大人は何て答えてあげるべきだろうか?

この「サンタはいるの?」問題は、日本のみならずアメリカの大人達を昔から悩ませてきた。

実際、今から100年ほど前のアメリカの新聞「ニューヨーク・サン」では、8歳の女の子から「サンタはいるんでしょうか?」との投書を受けたという。

この可愛らしい問いかけに対し、論説委員のフランシス・チャーチ(Francis Church/1839-1906)氏は、1897年9月21日付の社説の中で、優しく丁寧に一つの答えを示したという。

この「ニューヨーク・サン」の心温まるストーリーは、その後アメリカ中の感動を呼んだ。日本では、偕成社より絵本「サンタクロースっているんでしょうか?」として紹介され、2001年まで85刷を超えるロングセラーとなっている。

 

【社説原文】サンタクロースっているんでしょうか?(大久保ゆう訳)

"DEAR EDITOR: I am 8 years old. 
"Some of my little friends say there is no Santa Claus. 
"Papa says, 'If you see it in THE SUN it's so.' 
"Please tell me the truth; is there a Santa Claus?

"VIRGINIA O'HANLON.
"115 WEST NINETY-FIFTH STREET."

「こんにちは、しんぶんのおじさん。 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?  ヴァージニア・オハンロン」

VIRGINIA, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of a skeptical age. They do not believe except [what] they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds.

All minds, Virginia, whether they be men's or children's, are little. In this great universe of ours man is a mere insect, an ant, in his intellect, as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.

ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。

でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。

ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。

Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy.

Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus. It would be as dreary as if there were no VIRGINIAS. There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence.

We should have no enjoyment, except in sense and sight. The eternal light with which childhood fills the world would be extinguished.

じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。

もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。

サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩をたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。

Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies! You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas Eve to catch Santa Claus, but even if they did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no Santa Claus.

The most real things in the world are those that neither children nor men can see. Did you ever see fairies dancing on the lawn? Of course not, but that's no proof that they are not there. Nobody can conceive or imagine all the wonders there are unseen and unseeable in the world.

サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。

サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。

だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。

You may tear apart the baby's rattle and see what makes the noise inside, but there is a veil covering the unseen world which not the strongest man, nor even the united strength of all the strongest men that ever lived, could tear apart.

Only faith, fancy, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond. Is it all real? Ah, VIRGINIA, in all this world there is nothing else real and abiding.

あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。

サンタクロースっているんでしょうか?サンタクロースっているんでしょうか?

むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって?ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。

No Santa Claus! Thank God! he lives, and he lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay, ten times ten thousand years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.

サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

※ その後、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、47年間子どもたちを教えつづけたという。

 

 

 


サンタクロースって本当にいるの?1897年 ニューヨークの8歳の少女が新聞社に尋ねた手紙

2015-12-24 08:10:53 | クリスマス

サンタクロースって本当にいるの?

1897年 ニューヨークの8歳の少女がニューヨーク・サン新聞社に出した手紙 

 1897年9月21日

1897年 ニューヨークの8歳の少女が ニューヨーク・サン新聞社に手紙を書きました。

記者様: 私は8才です。私のともだちに 「サンタクロースなんていない」って言っている子たちがいます。

パパに 「新聞社に聞いてみたら 新聞社なら本当のことを知っているんじゃないかな?」と言われました。

だから 教えてください。サンタクロースって本当にいるの?

 


 

 「サンタクロースはいるんでしょうか?」社説で毎年掲載され続けたお話!

ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、
今から100年以上も前のお話です。ニューヨークに住む、8歳の女の子が新聞社(The New York Sun)に出した「サンタクロースっているんでしょうか?」という一通の質問の手紙に、ベテラン編集者のFrancis P.Churchさんはとても素敵なお返事を書きました。しかも、同紙の社説で、です!
この社説の文章は、最初に掲載された1897年からその後毎年、1949年にThe New York Sunが休刊するまで再掲載され続けました。今日はこの大きな話題と感動を呼んだ素敵な社説をご紹介します。

まずは事の発端となった8歳の女の子からの手紙をどうぞ・・・。

Dear Editor

I am 8 years old. Some of my little friends say there is no Santa Claus. Papa says, “If you see it in The Sun, it’s so.” Please tell me the truth, is there a Santa Claus?
Virginia O’Hanlon

(和 訳)
編集長さま、わたしは8才です。わたしの友だちにはサンタクロースなんていないんだといっている子がいます。お父さんは「サン新聞に問い合わせてごらん。新聞社のひとがサンタクロースがいるというなら、たしかにいるんだろう」と、いいました。ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?

後に大人になったバージニアちゃんは当時の経緯をこう回想しています。
「私の家庭では、単語の発音や歴史の事実など、どのような疑問でもサン新聞の質問と答えのコラム(Question and Answer column)に手紙を送る習慣がありました。父はサン新聞がそう言うなら、確かにそうなのだろう、というのが口癖でしたし、いつもそうして疑問を解決してきました。だから、このときもいつもの通り、父にサン新聞に聞いてみることにしたのです。父は、『それはいい、サン新聞は正しい答えをいつものように教えてくれるはずだよ』と私に言ったのです。」

なんとまぁ、お父さんは8歳の女の子に、分からないことがあったら新聞社のコラムに質問の手紙を出すように普段から言い聞かせてきたのですね。これはこれで色んな意味で凄いなと思います。ということはバージニアちゃんはいつも新聞を読んでたということですからね、8歳で!子ども電話相談室みたいな感じになっていたサン新聞もたいしたものですね。まさかそこまで頼りにされているとは新聞社の方々も考えてなかったんじゃないでしょうか(笑)さて、それでは、この「サンタさんっているんでしょうか?」という質問にサン新聞が何て答えたのかみてみましょう。

Virginia, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of a skeptical age. They do
not believe except they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds. All minds,Virginia, whether they be men’s or children’s, are little. 
In this great universe of ours, man is a mere insect, an ant, in his intellect as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.

(和 訳)
バージニア、あなたのお友だちは間違っています。疑い深い年頃に特有の疑い深さの影響を受けているのです。見えるものしか信じないのです。そのちいさな頭で理解できるもの以外は存在しないと思っているのですよ。バージニア、すべての人々の考えは、それが大人であっても子どもであっても、小さなものなのです。真実や知識の全てを把握するだけの知性によって測れば、この広い世界の中で、人は単なる昆虫、そう、まるでアリのような知性しか持ち合わせていないのです。

Yes, Virginia, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy. 
Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus! It would be as dreary as if there were no Virginias. 
There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence. We should have no enjoyment,
except in sense and sight. The external light with which childhood fills the world would be extinguished.
(和 訳)
バージニア、サンタクロースはいるのですよ。目には見えないけれど、愛や、優しさや、誰かのために尽くす気持ちが存在するのと同じように。あなたもこういったことがどんなに豊かなもので、あなたの人生に最高の美しさと喜びを与えてくれることを知っているでしょう。そうです!もしこの世界にサンタクロースがいなかったら、どんなにつまらないことか!それはこの世にバージニアがいないのと同じほどつまらないことです。そんな世界には、子どもらしい信じる気持も、私たちに生きる望みを与えてくれる詩も夢もありません。目に見えるものにしか、楽しいと感じることがなくなってしまうのです。子ども時代を満たしてくれる外から包み込んでくれる光が消えてしまうことになるのです。

Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies. You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas eve to catch Santa Claus, but even if you did not see Santa Claus coming down, 
what would that prove? Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no SantaClaus. The most real things in the world are those that neither children nor men can see. Did you ever see fairies dancing on the lawn? 
Of course not, but that’s no proof that they are not there. 
Nobody can conceive or imagine all the wonders there are unseen and unseeable in the world.
(和 訳)
サンタクロースを信じないなんて!ならば妖精の存在も信じてないのですか。パパにお願いして全ての煙突を見張らせる人を雇い、クリスマスイブにサンタクロースを捕まえようとして、それでもサンタクロースが見つからなかったとしても、サンタクロースは街にやってきているのです。なぜそうだと分かるのかって?サンタクロースを見ることは誰にもできないのです。
でも、それでもサンタクロースがいないということにはなりえません。この世で最も本当のことは大人にも子どもにも見えないものなのです。芝生の上で踊っている妖精を見たことはありますか?もちろん、ないですよね、でも、だからと言ってそこに妖精がいないという証拠なんてないのですよ。この世界にある、見えないものや見ることのできないものが持つ不思議な魅力の全てを知っている人も、いや、それら全てを想像できる人ですら、ただの1人も存在しないのです。

You tear apart the baby’s rattle and see what makes the noise inside, but there is a veil covering the unseen world which not the strongest man, nor even the united strength of all the strongest men that ever lived could 
tear apart. Only faith, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond. Is it all real? Ah, Virginia, in all this world there is nothing else real and abiding.
(和 訳)
あなたが赤ちゃんのガラガラをばらばらにして、ガラガラと音を出すものを見ることができたとしても、まだそこにはベールに包まれた見えない世界があるんです。そしてそのベールは、最強の男が、いや、これまで歴史上最強と言われた人々が束になってかかっても破ることなんてできないのですよ。唯一、信じる心、詩、愛、ロマンスといったものだけが、そのベールを押し開いてその向こうにある言葉に表せないほどの
美しさや栄光を見せてくれるのです。えっ、それって本当なのだって?ねぇ、バージニア、この世界には、これ以上に真実で永遠なものなんてないんですよ。

No Santa Claus! Thank God! he lives and lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay 10 times 10,000years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.
(和 訳)
サンタクロースがいないなんて!なんてことでしょう!サンタクロースはいるのです。そして、永遠に生き続けることでしょう。バージニア、今から千年後、今から千年の十倍のまた十倍の後になっても、サンタクロースは子どもの心を喜びで満たしつづけるのですよ。


この社説を書いたFrancis P. Churchさんは、New York Timesで南北戦争の報道をカバーした後New York Sunに移り、20年もの経験を持つのベテラン編集者で、当時、社説の論説委員でした。バプティスト派(クリスチャン)の聖職者の父を持っていたこともあり、特に神学に関係した論説に定評があったそうです。
バージニアちゃんからの手紙を受け取った彼は、この小さな少女からの素朴な質問に真剣に向かい合い、このお返事を書き上げたのです。
成長したバージニアちゃんは、その後、ニューヨーク市内にあるHunter Collegeを21歳で卒業すると、Columbia大学の大学院で修士号を取得し、1912年から教壇に立つ先生となりました。最終的には校長先生にまでなり、47年も教育者として活躍しました。
1971年5月、81歳で生涯を終えるまで、彼女はこの8歳のときに書いた手紙のことを知った人々から手紙を受け続け、そのお返事には必ずFrancis P. Churchさんの社説のコピーを添付していたそうです。

今から100年以上も前にあった、8歳の女の子と1人の編集者さんのたった1回の質疑応答なんですけど、今、この時代に読んでみてもとても心に響くメッセージが込められていると思います。いいえ、もしかすると、物質的に満たされた今この時代だからこそ、この社説が伝えようとしているメッセージが益々重要になってきているのかもしれません。星の王子様でも、「目には見えないことにこそ、大切なものがある」ということは言われておりますが、このニューヨークという街にいると、本当にそうだなと感じられる瞬間がたくさんある気がするんです。

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100年以上前のお話♪とっても素適なお話でしょ!目に見えないことの中にある真実や大切なもの…8歳の女の子に伝えたんですね。ずっとずーっと大切にしたい心です!

http://www.cua214.jp/as/news/view.php?id=47&m=cel&k=A01uFiuS1L&cua214Sesion=u915bp30esb1b1aen9q0aaotj3より引用

 

 


安田純平さん「拘束」 国境なき記者団が救出要請/追記:信ぴょう性に疑問も/発表撤回

2015-12-24 02:43:26 | IS  中東

意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/151441/より転載

シリアで安田純平さん「拘束」 国境なき記者団が救出要請

 安田純平さん
 

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)は23日までに、シリアの武装勢力がフリージャーナリスト安田純平さん(41)を拘束し、身代金を要求しているとの見解をホームページで明らかにした。

「安田さんの今後の安否を強く懸念している。日本政府に救出に尽力するよう求める」としている。

 安田さんは6月下旬、泥沼化するシリア内戦を取材するためトルコ南部ハタイ県からシリア北西部に越境。予定していた7月中旬を過ぎても帰国しなかった。

 政府高官は23日、取材に「日本政府はしっかり対応している」と述べた。拘束の確認も含めて情報収集を強化する考えだ。(共同)

 

関連記事

 

◆ 「安田純平さんは無事」「武装勢力と対話可能」消息筋ー取材中 ...

 現地事情に詳しい消息筋によると、「安田さんは武装勢力に拘束されているが無事」「身代金の請求は今のところない」とのこと。
「安田さんは今年7月頃、現地武装勢力に拘束され、場所を転々と移されてはいるが、
武装勢力はIS(いわゆる「イスラム国」)系ではなく、対話は可能」だと言う。(2015.12.25)

 情報の信ぴょう性には疑問も…安田純平さん「シリアの武装勢力が身代金要求」、ジャーナリスト ...
 
安田純平さんシリアの武装勢力が身代金要求」、ジャーナリスト団体が声明情報の信ぴょう性には疑問も. 志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)  (2015.12.25)

 マスコミは安田純平さんの安否報道を~ツィッターは6月20日で途絶えたまま/外務省は放置!
(2015-11-26 12:28:56

 

 <追記>

安田純平さん拘束 身代金要求の発表撤回 国境なき記者団
2015年12月29日 17時53分  NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20151229/k10010356351000.html