その象徴とも言えるアウシュビッツ強制収容所の解放70周年を記念し、生き残った当時のユダヤ人が世界中から集まり、「労働は自由をもたらす」と掲げられたゲートの前で再会しました。
jewishpress.comが報じています(2015年1月27日付け、写真も)。
集まったのは1月26日。史実では、70年前の1945年1月27日(現地時間)にソ連軍によって解放されたとなっていますから、前日にあたります。
世界各地から集まった15人 初めて再訪した人も
アメリカ、ドイツ、南アフリカ、カナダ、アルゼンチンなどから15人が正門前でカメラの前に収まりました。世界ユダヤ人会議(WJC)とUSCホロコースト協会の招きによって訪問が実現したとの事です。年齢も80代から90代との事。改めて月日を感じさせられます。
「ポーランドを訪れた際、高い木が生い茂っているのを見てすぐさま不安になった。アウシュビッツに向かう途中に生えていたからね」とジョニー・ペカッツさん(80歳)。到着当日に、お母様と妹さんが、ガス室に消えていったそうです。
現在アメリカに住むペカッタさんが、アウシュビッツを再訪するのは、今回が初めて。
「何年もの間、この恐ろしい場所に戻ってくるのを拒んでいた。しかし、とうとう息子と訪れる決心を付けた。アウシュビッツでカディッシュ(ユダヤ教の神を称える重要な祈り)を、息子と唱えたい。再訪は、これが最初で最後になるだろう。筆舌に尽くしがたい経験をした。絶対に二度と起きてはならないようにせねばならない」と話しておられたそうです。
万が一に備え、12人の医療チームが同行
今回アウシュビッツを訪れたのは、19ヶ国から100人以上。1月27日は国際ホロコースト犠牲者追悼記念日になっており、その関係で先に書いた2つの団体が招待しました。
何しろ、体験が体験ですので、それらを思い出して倒れたりする人が出た場合に備え、医師や看護師や心理学者などで構成される12人の医療チームが同行したそうです。
WJCの議長を務めるロン・ラウダー氏は「こうして生き残った人達の勇気に深く敬意する。生存者の何人かは、悪夢の場としか言い様の無いアウシュビッツを再訪したのは初めてだった。それぞれが、悪に勝った善として、また死に打ち克った生の象徴としての生き証人であり、私にとっては英雄だ」と称えています。
ラウダー氏はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の保存に20年以上尽力してきました。今回のアウシュビッツ再訪では、19ヶ国から4000万ドルの寄付を募ったそうです。
アウシュビッツ・メモリアルに記念保存室も設立
また、靴などの遺品や関連文書全てを収めた記念保存室も、アウシュビッツ・メモリアルに作るそうで、その資金集めをしていたそうです。
「世界ユダヤ人会議では、こうした多くの高齢の生存者が、我々と共にアウシュビッツを再訪した事を畏敬し、賞賛するものであります。ホロコーストを直に体験した人達を記憶する大がかりな記念行事は、これが最後になるかもしれません。この歴史的イベントにより、生存者の声は数世代に渡って響く事でしょう」とWJCのCEOを勤めるロバート・シンガー氏は語っています。
なお、このセレモニーにはポーランドやドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、クロアチアの政治指導者も参列する他、来賓としてスティーブン・スピルバーグ氏も招かれているそうです。同氏が上記の財団を設立した関係のようです。またイスラエル系アメリカ人の実業家、ハイム・サバン氏も出席するそうです。
アウシュビッツ強制収容所は1942年に建設され、この種の施設としては最大規模でした。ナチス・ドイツは、同収容所で少なくとも110万人を虐殺したとされています。その多くはユダヤ人でしたが、ポーランド人やロマ、ソ連軍の捕虜や少数民族なども犠牲になっていました。
そうした忌まわしき施設に、敢えて再訪した方々の勇気は称えねばなりませんね。
南如水・記