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異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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【アウシュビッツ強制収容所解放70周年】 メルケル首相「過ぎ去っても忘れ去ることはない」

2015-01-27 23:38:19 | シェアー

https://www.facebook.com/GermanyInJapan?fref=photo


「過ぎ去っても忘れ去ることはない」


1月26日、メルケル首相は「国際アウシュヴィッツ委員会」の追悼行事において演説し、「私たちは、記憶が鮮明に保たれるよう図る責任を恒久的に負っている」と述べ、当時の残虐行為に関する記憶を後世に伝えていくよう訴えました。
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メルケル首相は、ベルリンで開催された追悼行事において、ホロコーストについて、「私たちを人間たらしめているものの本質、すなわち人間の尊厳を根底から揺るがす攻撃」であったとするとともに「アウシュヴィッツは、ショアーというドイツが犯した文明の断絶行為の象徴である」と述べました。

メルケル首相は、ホロコーストの生存者の団体や財団が組織する国際アウシュヴィッツ委員会(IAK)の招きで追悼行事に出席しました。同行事は、ベルリンの教育関連施設「ウラーニア」にて開催されました。出席した政治、文化、社会等各分野の代表の前で、首相は「残虐性による歴史の断絶」について語りました。

アウシュヴィッツの「殲滅収容所」では、100万人のユダヤ人を含む110万人以上の人々が殺されました。1月27日は収容所解放からちょうど70周年目にあたります。

Foto © Bundesregierung/Bergmann


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 http://blogs.yahoo.co.jp/yuushi2011/65056403.htmlより転載

  櫻井翔レポート!アウシュビッツ解放70周年


イメージ 1
 上の写真は「アウシュビッツ強制収容所」です。 


第二次大戦でナチスドイツの悪名を世界中に広めた「アウシュビッツ強制収容所」。この場所で110万人のユダヤ人や差別されていた少数者に属する人々が過った優性意識に凝り固まったナチスドイツ軍によって虐殺されたのです。
 
 1945年1月27日、丁度70年前の今日、「アウシュビッツ強制収容所」は連合軍に解放されました。
 
 毎週月曜日の夜に私がウオッチしている櫻井翔君の「イチメン」では、年初から今年が20周年、30周年、70周年という節目を迎えるに当たり、オウム真理教事件や阪神淡路大震災について解説してきましたが、昨夜は開放70年目を迎える「アウシュビッツ収容所」についてのレポートでした。
 
 ナチスドイツは1939年に第二次大戦のきっかけとなったポーランド進攻を実行し、ソ連と分割占領しました。
 その後、オシフィエンチムという町に「アウシュビッツ収容所」を設営したのです。ユダヤ人を抹殺するという悪魔の様な計画の為に。
 
 収容所の入り口(上の写真)には「働けば自由になれる」というウソの言葉を掲げ、強制連行してきたユダヤ人などを押し込め、食べる物も与えずに労働させ、着ているものから、髪の毛、命まで全てを奪ったのです。
 
 今、「アウシュビッツ収容所」は全ての人類に伝えるべき負の遺産として認識され、ドイツの人々は元より、地元ポーランドの人々を初めとして世界中から年間150万人を越える人が訪れていると言います。全体の4分の3は国外からの訪問者です。
 
 戦後70年が経ち、いつしか「アウシュビッツ強制収容所」の実態を知る人は少なくなっています。
 人類史上最悪の犯罪であるユダヤ人虐殺の記憶を、どうやって記録し、どのように若者達に伝えていくか。
 博物館を運営する人だけで無く、ヨーロッパ各国の人々が共通して重要視する戦争の記憶が「アウシュビッツ強制収容所」なのです。
 
 ところで日本では先週から「イスラム国」によって拘束された二人の邦人に関する話題が世間を不安に陥れています。
 
 人質の一人であった湯川遥菜さんは非道にも殺害され、残る後藤さんもヨルダンに拘禁されている死刑囚との交換条件が突きつけられ、開放が極めて厳しい状況にあります。
 今も、シリアではナチスドイツが犯した「憎悪」と「差別」と「虐殺」と言った悪魔の如き所行が繰り返されているのです。
 
 何故、人は他人に対してあんなにも惨い事を行えるのか?
 
 何故、人は少数者や考えの違うものを差別し、他人の大切な物を奪えるのか?
 
 何故、人々は平和に共存できないのか?
 
 昨夜の翔君のレポートを見て、人間の業の深さをつくづく思い知らされた気がします




 

70年前の1月27日に解放されたアウシュビッツ。生き残りがゲート前で再会

2015-01-27 22:23:47 | シェアー

http://bushoojapan.com/news/2015/01/27/41215より転載

70年前の1月27日に解放されたアウシュビッツ。生き残りがゲート前で再会

Survivors-in-Auschwitz
 
人類史上最悪の汚点の1つとして、今後とも記憶されていかねばならないのがナチスのユダヤ人虐殺である事に異論は無いでしょう。

その象徴とも言えるアウシュビッツ強制収容所の解放70周年を記念し、生き残った当時のユダヤ人が世界中から集まり、「労働は自由をもたらす」と掲げられたゲートの前で再会しました。

jewishpress.comが報じています(2015年1月27日付け、写真も)。

集まったのは1月26日。史実では、70年前の1945年1月27日(現地時間)にソ連軍によって解放されたとなっていますから、前日にあたります。

 

世界各地から集まった15人 初めて再訪した人も

アメリカ、ドイツ、南アフリカ、カナダ、アルゼンチンなどから15人が正門前でカメラの前に収まりました。世界ユダヤ人会議(WJC)とUSCホロコースト協会の招きによって訪問が実現したとの事です。年齢も80代から90代との事。改めて月日を感じさせられます。 

「ポーランドを訪れた際、高い木が生い茂っているのを見てすぐさま不安になった。アウシュビッツに向かう途中に生えていたからね」とジョニー・ペカッツさん(80歳)。到着当日に、お母様と妹さんが、ガス室に消えていったそうです。

現在アメリカに住むペカッタさんが、アウシュビッツを再訪するのは、今回が初めて。
「何年もの間、この恐ろしい場所に戻ってくるのを拒んでいた。しかし、とうとう息子と訪れる決心を付けた。アウシュビッツでカディッシュ(ユダヤ教の神を称える重要な祈り)を、息子と唱えたい。再訪は、これが最初で最後になるだろう。筆舌に尽くしがたい経験をした。絶対に二度と起きてはならないようにせねばならない」と話しておられたそうです。

 

万が一に備え、12人の医療チームが同行

今回アウシュビッツを訪れたのは、19ヶ国から100人以上。1月27日は国際ホロコースト犠牲者追悼記念日になっており、その関係で先に書いた2つの団体が招待しました。

何しろ、体験が体験ですので、それらを思い出して倒れたりする人が出た場合に備え、医師や看護師や心理学者などで構成される12人の医療チームが同行したそうです。

WJCの議長を務めるロン・ラウダー氏は「こうして生き残った人達の勇気に深く敬意する。生存者の何人かは、悪夢の場としか言い様の無いアウシュビッツを再訪したのは初めてだった。それぞれが、悪に勝った善として、また死に打ち克った生の象徴としての生き証人であり、私にとっては英雄だ」と称えています。

ラウダー氏はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の保存に20年以上尽力してきました。今回のアウシュビッツ再訪では、19ヶ国から4000万ドルの寄付を募ったそうです。


 アウシュビッツ・メモリアルに記念保存室も設立

また、靴などの遺品や関連文書全てを収めた記念保存室も、アウシュビッツ・メモリアルに作るそうで、その資金集めをしていたそうです。

「世界ユダヤ人会議では、こうした多くの高齢の生存者が、我々と共にアウシュビッツを再訪した事を畏敬し、賞賛するものであります。ホロコーストを直に体験した人達を記憶する大がかりな記念行事は、これが最後になるかもしれません。この歴史的イベントにより、生存者の声は数世代に渡って響く事でしょう」とWJCのCEOを勤めるロバート・シンガー氏は語っています。

なお、このセレモニーにはポーランドやドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、クロアチアの政治指導者も参列する他、来賓としてスティーブン・スピルバーグ氏も招かれているそうです。同氏が上記の財団を設立した関係のようです。またイスラエル系アメリカ人の実業家、ハイム・サバン氏も出席するそうです。

アウシュビッツ強制収容所は1942年に建設され、この種の施設としては最大規模でした。ナチス・ドイツは、同収容所で少なくとも110万人を虐殺したとされています。その多くはユダヤ人でしたが、ポーランド人やロマ、ソ連軍の捕虜や少数民族なども犠牲になっていました。

そうした忌まわしき施設に、敢えて再訪した方々の勇気は称えねばなりませんね。

南如水・記



アウシュビッツ強制収容所解放70周年/欧州の和解に学びたい

2015-01-27 21:49:16 | ご案内
アウシュビッツ強制収容所が解放されてから70周年
 ・1970年、当時の西ドイツ首相は、ポーランドの首都ワルシャワのユダヤ人居住区記念碑前にひざまずいて許しを請うた。

  ・日本は自国の戦没者を追悼するだけでアジアの犠牲者は対象外。加害責任を忘れている

  • 今月、イスラエルを訪問した安倍晋三首相はアウシュビッツ解放70周年にあたり、「世界の平和と安定に積極的に貢献する」と述べた。
  • しかし、アジアで行った侵略や植民地化への言及はなかった。

  中東歴訪の安倍首相、イスラエル首相と会談  中東歴訪の安倍首相、イスラエル首相と会談   

  • ホロコースト博物館で献花する安倍首相 byAFP

 

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http://373news.com/_text/syasetu.php?storyid=63218より転載

南日本新聞 373news.com(テキスト版) 社説

 (01/24)

[収容所解放70年]欧州の和解に学びたい

 ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の象徴と呼ばれる、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所が旧ソ連に解放されて27日で70年を迎える。

 第2次世界大戦中、ここでは欧州中から連行されたユダヤ人や各国の政治犯、少数民族ロマ、心身障害者、同性愛者ら最大150万人が抹殺された。
 戦後、この「負の遺産」は国立博物館となり、ユネスコの世界文化遺産にも登録された。広い敷地にはガス室や遺体の焼却炉、髪や歯などの遺品が展示してある。
 昨年の来館者は153万人余に達した。英国やイスラエルなど国外の若者が多く、昨秋訪れた際も地元とドイツの高校生らが戦争の加害を学習していた。
 

 戦後70年。欧州はアウシュビッツに見るように和解が進み、欧州統合に至った。ドイツと被害国の和解は容易ではなかったが、そのプロセスに学ぶことは多い。
 ドイツは、アウシュビッツの保存基金6000万ユーロ(約82億円)の拠出を決定済みだ。ポーランド側の求めに応じて、関係資料を提供し、ドイツ人学芸員も保存などに従事している。
 1970年、当時の西ドイツ首相は、ポーランドの首都ワルシャワのユダヤ人居住区記念碑前にひざまずいて許しを請うた。
 2000年には政府と企業の出資で財団をつくり、東欧などの強制労働被害者166万人に約6000億円の補償を終えた。米国で相次いだドイツ企業への損害賠償訴訟に押される形だったが、謝罪 と償いをしたのは確かだ。

 ナチスの戦争犯罪容疑者への捜査もドイツは続けている。東京裁判などでの戦犯容疑者の訴追や、連合国軍総司令部(GHQ)による指導者層の公職追放にとどまった日本とは対照をなす。
 ドイツの戦後補償を調べた元北陸大学教授、田村光彰氏は「日本は自国の戦没者を追悼するだけでアジアの犠牲者は対象外。加害責任を忘れている」と指摘する。

 今月、イスラエルを訪問した安倍晋三首相はアウシュビッツ解放70周年にあたり、「世界の平和と安定に積極的に貢献する」と述べた。アジアで行った侵略や植民地化への言及はなかった。
 日本は戦後、侵略したアジア諸国に賠償や経済支援などで償ってきた。戦後50年の村山首相談話で反省とおわびも表明した。
 だが、日本と中国、韓国との間では今も歴史問題がくすぶり、互いの国民感情は悪化している。
 真の和解には加害責任を心に刻んだドイツに学び、真摯(しんし)な話し合いを重ねていく必要がある。




後藤さん救って、空爆もやめて 命と平和 宗教超え祈り

2015-01-27 20:21:44 | シェアー

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015012790140138.html

後藤さん救って、空爆もやめて 命と平和 宗教超え祈り

2015年1月27日 14時01分

祈念集会で後藤健二さんの無事を祈る宗教関係者ら。奥右から2人目は呼びかけ人の鈴木伶子さん=27日午後、衆院第2議員会館で(佐藤哲紀撮影)

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 イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」とみられるグループに拘束されたフリージャーナリスト後藤健二さん(47)の解放を求め、キリスト教や仏教などの信者が二十七日、内閣官房に要請書を提出し、首相官邸周辺で祈念集会を開いた。イスラム教徒らも賛同し後藤さんの無事を祈る中、参加者は「宗教は違っても、平和への思いと命が大事なことは同じ」と訴えた。 (荒井六貴)

 「イスラム教もキリスト教も、仏教も思いは一つ。後藤さんの命を救ってほしい。(米国など有志国連合による)空爆もやめてもらいたい。命は平等。武力では、平和をつくることはできない」

 日蓮宗系の日本山妙法寺の僧侶武田隆雄さん(62)はそう力を込める。

 集会を企画したのは宗派を超えて平和活動に取り組む団体「平和をつくり出す宗教者ネット」(宗教ネット)=東京都渋谷区。

 後藤さんは同区内にある日本基督教団代々木上原教会に通っており、知り合いだった教会員鈴木伶子(れいこ)さん(76)が、宗教ネット事務局の窓口を務める武田さんに相談し実現した。

 催しはイスラム教の団体にも呼び掛け、同区のモスク(イスラム礼拝所)「東京ジャーミイ」も趣旨に賛同してくれたという。

 「東京ジャーミイ」は二十一日、日本人人質事件について「暴力を唯一の手段と見なすテロ組織の考え方は、イスラムの教えとも文明とも全く相いれない」と批判する声明を出し、二十三日の集団礼拝でも「非暴力」を呼び掛けている。

 集会には約五十人が参加し、それぞれが目を閉じて後藤さんの解放を祈った。

 カトリック麹町教会(東京都千代田区)の信徒渡辺多嘉子さん(69)は「湯川遥菜(はるな)さんも既に厳しい見方がされているが助かっていてほしい。後藤さんは難民を取材したり、弱者の立場を伝えてくれていた。ネット上などで自己責任論が言われているが誰の命も大事だ」と説く。

 「日本カトリック正義と平和協議会」の大倉一美事務局長(80)は「日本が武器輸出で、戦争に加担することになってしまえば、こういう人質事件が次々と起こる。非暴力に逆行するような動きも一刻も早くやめてほしい」と訴えていた。

(東京新聞)

 

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015012702000128.html

宗教超え「後藤さん解放」 きょう官邸前で祈り

後藤健二さんが通っていた代々木上原教会=26日、東京都渋谷区で

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 「イスラム国」とみられるグループが日本人の人質殺害をインターネットの動画で警告してから、二十七日で一週間となる。国内の仏教徒やキリスト教徒らは同日、宗教を超え、拘束されている後藤健二さん(47)の解放を祈る集会を国会周辺で開く。後藤さんが通っていた代々木上原教会(東京都渋谷区)の教会員鈴木伶子(れいこ)さん(76)は「宗教者の最大の行動は祈りです」と、イスラム教徒にも参加を呼び掛けている。 (菊谷隆文)

 鈴木さんが後藤さんと知り合ったのは約十年前。当時、後藤さんは教会の近くに住んでおり、三年ほど通ったという。

 「常に子どものことを考えている人だった」。後藤さんからは、中央アフリカのルワンダで一九九四年に起きた内戦を生き抜いた母子の話をよく聞かされた。母親は仲良くしていた人に夫を殺された。過酷な境遇の母子を取材した後藤さんは二〇〇八年、「ルワンダの祈り」(汐文(ちょうぶん)社)という本を書き上げた。キリスト教は「神につくられ、生かされている人の命を奪うことは許されない」と教える。鈴木さんは「その教えをもとに、後藤さんは取材していたのでしょう」と振り返る。

 二年ほど前、後藤さんが久しぶりに教会に顔を出し、鈴木さんを驚かせた。「元気ですか」。たわいのない会話をしたきりだった。

 二十四日、ネットで新たに公開された後藤さんの画像に、胸が張り裂けそうになった。「本当はふくよかなお顔なのに、やせこけて…」

 後藤さんは、同じく拘束された湯川遥菜(はるな)さん(42)を助けるためにシリアに入った。「良いヒツジ飼いは一匹のヒツジがいなくなったら、他のヒツジをほっておいても懸命に捜す」。聖書の教えと後藤さんが、鈴木さんの中で重なった。

 「じっとしていられなかったんでしょう。助けようとした湯川さんとみられる遺体の写真を持たされ、どんなにつらいか」

 二十五日の日曜礼拝後、集会を思いつき、僧侶や牧師らでつくる「平和をつくり出す宗教者ネット」(宗教ネット)の仲間に相談した。すぐに準備に入った日本山妙法寺(渋谷区)の武田隆雄さん(62)は「後藤さんの無事を祈るのに宗教は関係ない」と話す。

 「今回の事件で、イスラム教の人たちも苦しんでいる。一致団結したい」。鈴木さんは渋谷区のモスク(イスラム礼拝所)「東京ジャーミイ」にも声を掛け、前向きな答えを受け取ったという。

 集会は正午から東京・永田町の衆議院第二議員会館第二会議室で、参加者が事件への考えを語る。午後一時からは首相官邸前で、それぞれの宗教の様式で後藤さんの解放を祈る。