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東京での夕方の「水戸黄門」再放送について

2011-07-22 23:09:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram2010

東京での夕方の「水戸黄門」再放送について

どうも里見浩太朗が出ている作品に偏っているように見えます。

東京での夕方の「水戸黄門」再放送は、光圀役が東野英治郎または西村晃で助三郎役が里見浩太朗だった時期、あるいは光圀役が里見浩太朗の作品が繰り返されております。

先日、劇中の本物の光圀が西村晃で、助さん役の里見浩太朗が光圀に変装する場面があったと思ったら、今度は里見浩太朗が光圀。
中村繁之が出ていて瀬戸内の藩士役。

徳川綱吉、柳沢吉保、水戸綱條を演じる俳優が細かく変って、再放送では順番もメチャクチャ(少し前、再放送で鬼若が退場したと思ったら、直後に鬼若初登場の話の再放送)なので頭が混乱します。

したがって東野英治郎初期で助さんが杉良太郎だったものは再放送されないようです。
同様に、西村晃主演の後期と佐野浅夫版で助さんがあおい輝彦だった作品も、最近、お江戸では再放送されないようです(衛星放送は除く)。

石坂浩二版が再放送されていないのは言うまでもありません。

何か出ている俳優の意向もあるのでしょうか?
こうなると、特に思い入れがあるわけではないですが、あおい輝彦が助さんだったときの作品もたまには見せてほしくなります。

質問日時: 2010/8/3 21:55:38
解決日時: 2010/8/18 08:18:07
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TEACUP BLOG検索 里見浩太朗+光圀に変装里見浩太朗+変装

85(水戸黄門に関する掲示板らしい)

民放時代劇がなくなるのは寂しいことか

2011-07-22 21:23:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

「水戸黄門」のヒットにより1970年代、80年代、90年代には将軍家や奉行を主人公とする時代劇が続出し、里見浩太朗も多く主役を務めています。

「葵の御紋系」銘々伝

しかし徳川・松平家が主人公の場合、家康の血を受け継いでいるだけで偉いという前提は余りにも前近代的です。

また、「水戸黄門」の場合、少年時代の光圀の江戸での生活を描く作品があってもよさそうなのに、光圀が老齢で全国行脚して各地で印籠をひけらかす作品ばかりを続けてきた製作側、それを見たがってきた視聴者にも問題があります。

前からの「水戸黄門」のファンの多くは里見浩太朗が助さん役だった時期のイメージにしがみついて、特に石坂・里見黄門に拒否反応を示して観なくなり、昔からのファンは減ってしまったのでしょう。
また東野・西村黄門を見ていない若い世代はそのそも徳川家の老人が全国旅行するという東野英治郎以前からの古い設定を受け付けなくなっていたのでしょう。
それで過去の「水戸黄門」を知る世代の一部が老齢化して見続け、新たな世代はなかなか加わらなくなったのだと思います。
もちろん、ファンメッセージを見ると子供や30代くらいの人も熱心に応援しているようです。

だから「水戸黄門」の視聴率が下がったのは観なくなった視聴者のせいです。観なくなっておいて終わったら「寂しい」では虫が良すぎます。
だから「水戸黄門」のHPでは今のシリーズでもしっかり見ているファンが「やめないでほしい」というメッセージを送っていますが、終わるようになったのはそれ以外、観なくなった人たちのせいかも知れません。

また衛星放送、DVD、ネットなど視聴スタイルの変化が理由であるなら視聴者もテレビ局もそれを進めてきたので、こうなることは想定内だったはずです。
企業にとってはテレビよりネットの方が広告効果があり、テレビのCMでも「このことばで検索してください」と言うだけでしょう。
「水戸黄門」もTBSnewsiや円谷プロのウルトラチャンネルのようにネットで放映してよさそうなものです。

「ネットではお年寄りが観られない」という声もありますがそれは「水戸黄門」を「結局は老人が観る物」と決め付けた傍観者的な考えです。小学生のときに「水戸黄門」を見始めた人も多いでしょう。何より今の若者に観てもらうことが大事です。

時代劇はもともと1960年代までは映画が主体だったわけで、「水戸黄門」も月形龍之介主演で映画が何度も作られていました。

必殺シリーズは「水戸黄門」でもなしえなかったテレビ時代劇の映画化作品のシリーズ化をなしえた作品です。

今後、時代劇は映画が中心となるでしょう。
ちょうど、里見浩太朗が格さんを映じた映画の時代に戻ると思えばいいのです。


追加
雛形あきこの入浴シーンがないことは今のシリーズを時々観ていればわかります。余計なシーンがなくなってかえってよかったと思います。入浴シーンがないことを残念がる人は以前観ていて今観ていない人のようです。そういう人はそれこそ由美かおるがレギュラーだったころの作品の再放送を観ていればいいわけです。結局「再放送でいい」と言って今の作品を観なくなった人が番組を終了に追い込んだわけですね。かつての水戸黄門ファンが今の雛形さんにまでお風呂シーンを求めるほど低俗であれば、むしろ水戸黄門シリーズは今年で終了した方がいい気がします。

回答日時:2011/7/20 20:52:53
編集日時:2011/7/21 03:56:33
編集日時:2011/7/24 04:47:57
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関連語句 時代劇+民放

水戸黄門で殺陣(たて)が少ない

2011-07-22 21:17:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

助さんが里見浩太朗で、格さんが横内正の時代は結構、相手を斬っていましたが、のちに番組の方針で斬る場面は自粛するようになりました。
前の回答にあるようにあおい助さん、伊吹格さんのお銀と飛猿が加わった時は娯楽性を高めてアクションシーンが派手になったこともあるでしょう。
今、里見浩太朗が水戸老公ですが、ネットにある意見で「里見浩太朗が自分で刀を持った方が助さんや格さんより強い」という意見がありました。

実際、今のメンバーになった第42部で里見浩太朗が新メンバー(東・的場・雛形)の殺陣についてまだうまくできていないと苦言を言っていました。その新メンバーが慣れる前に番組が打ち切り。由美かおるの還暦前の降板は当然として原田・合田コンビには今年まで続けさせた方がよかった気がします。

また「早く印籠を出せばいいのに何で相手を余計に痛めつける必要がある」という意見もありますから、立ち回りに時間を割くことはなかなかできないのかも知れません。
それに最近は時代劇に対して「史実ではこうだ」「刀で斬り合いをすると刃こぼれして使えなくなる」など余計な突込みを入れて、時代考証の知識をひけらかして自己満足する手合いが増えているので、「時代劇のチャンバラ」が少なくなっているのでしょう。「江戸時代にあんな大きい馬はいない」「時代劇のチャンバラは嘘」と言う人が増えており、時代劇の嘘を指摘する書籍も今までたくさん出ています。大河ドラマだけでなく「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」まで標的にされています。ただそういう事を書いている人は作品のテーマ、話の流れ、前後関係などを全くつかんでおらず、歴史に詳しくても、時代劇を見ていて立ち回りが峰打ちであることがわからない人のいるようです。

大河ドラマで合戦シーンが割愛されて女性中心のホームドラマになっているのもそのせいですかね。
かつて「チャンバラ」は時代劇の代名詞で、昔の人は時代劇を「チャンバラ」と呼んでいたそうですが、もう今ではそれは古いでしょう。
今後は江戸時代や戦国時代を舞台にした人間ドラマがメインになるでしょう。

かつてチャンバラ時代劇に対抗していたのが必殺シリーズだったのに、今では東山紀之の大立ち回りなどでチャンバラを守っているのは皮肉な話です。

今度の「水戸黄門」でも殺陣や印籠だけじゃなくて、それ以外のテーマ、人間ドラマに注目したらどうですかね。あの平塚の回では何を言いたかったのか考えて見ましょう。
早い話、印籠も殺陣もなくていいし、ない方がいいのです。

前の回答にあるように殺陣じゃなくてその前後の人間ドラマに注目しましょう。
それを考えず、殺陣や印籠や女優のお風呂シーンばかりを目当てにする低レベルな視聴者が増えたから水戸黄門が打ち切りになったのでしょうね。

それから7月8日付毎日新聞夕刊によると、今回、脚本家は「予定調和の絵空事だと若者がウソっぽいと感じ、見なくなる」「もっと人間を書こうよ、あえいでいる庶民の姿を描こうよ」というスタンスでいるようで、スタッフは殺陣より人間ドラマを重視しているようです。

(見出し)水戸黄門:第43部、「勧善懲悪劇」から脱皮へ--TBS系 ◇庶民の美しさ、絆の大切さを描く人間ドラマに
毎日新聞 2011年7月8日 東京夕刊
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回答日時:2011/7/19 13:38:38
編集日時:2011/7/19 13:47:29
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質問&回答ページ

komasaram

水戸黄門の脚本家が勧善懲悪劇より人間ドラマを重視していたことについてどう思いますか?

水戸黄門:第43部、「勧善懲悪劇」から脱皮へ--TBS系  毎日新聞 2011年7月8日 東京夕刊
日本の文化と世界の文化 - 高崎経済大学総合掲示板
4 :凡人:2011/07/15(金) 13:58:49


質問日時: 2011/10/9 03:04:02
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時代劇の殺陣に疑問
「水戸黄門」放送終了をどう思いますか?>「水戸黄門」放送終了をどう思いますか?

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関連テーマ:時代劇

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で江が育児放棄

2011-07-22 16:45:00 | ドラマ、時代劇、歴史
…これって単に育児放棄しているだけじゃないのかな?(略)こんな脚本のドラマをNHKが流すとはどういうことなんだろうか?

質問者:jinriki_hikoukiさん

回答者:komasaram

育児放棄や子供虐待と言われても現実の社会で育児放棄や子供虐待をするバカ親がいるんだからドラマでそれを描くのは当たり前でしょう。
NHKだろうが民放だろうが関係ありません。

それにこの回のラストで江がやっとを抱きかかえるようになったのを見ていないんですか?
確かに夫が死んだからって子供を育てないのは問題ですが、だから江の周りの乳母も姉の初も淀も知り合いのガラシャも従姉妹の龍子(この人の話はあまり役に立たなかった)も江に立ち直ってもらおうと説得を試みていたわけで、その説得の台詞がこの回のテーマでしょう。

それからこのは最初だけ実の母に抱いてもらえなかったとしても、周りの乳母があやしてくれていたので、本人は気にしていなかったと思います。昔の日本は実の母以外に育てられることがザラですし、赤ん坊にとって今自分をあやしている人が実の親かどうかわかりません。

それにこのは「虐待」されていません。今のバカな若い親は1歳くらいの子供を殴ったりしますが、そんな場面は「江」では見当たりません。
鶴松が死んでおりますがこれは病気で、戦国~江戸時代は子供の病死は普通でした。

ただ飢饉のときに農村などで間引きがあったようです。
映画「必殺!主水死す」では大奥で跡目争いのためにひそかに子供を殺して捨てることが平気で行われていた設定になっています。今でもやっている人がいてたまに警察が動いてニュースになっていますから、現代人も同じことです。

江のむすめのはその意味では恵まれています。実の親が抱きかかえてくれなかったのは最初だけで、あとは普通にあやしてもらえましたし、最終的に成長して九条幸家の正室となり、今の天皇にもこの人の血が受け継がれているようです。

私は現代ドラマは余り観ません。
刑事ドラマは犯罪を推奨しているようですし、学園ドラマはイジメを推奨しているように見えるからです。
社内イジメを扱った「泣かないと決めた日」など宣伝の時点で見る気がしなくなりました。

この「江」を見ると戦国時代なのに戦のシーンがなくて物足りないくらいです。
姫たちが「戦は嫌です」と連呼しながら戦を防げないとすると、むしろ「戦は嫌でもやらねばならぬものだ」と思えてきます。脚本家は反戦思想を訴えようとしているのでしょうが見る側には反戦思想を口先で繰り返すだけの人がバカに見えるだけです。
視聴者はいろいろな受け取り方をします。

最終的に江が子育てをする決意を実行に移したわけで、そこまで観ていないんですかね?
むしろ淀が長女として立派な意見を述べたのが注目。
そこがわからない人はドラマを見ても趣旨を理解できず、本を読んでも読解力がない人でしょう。

まあ「史実」にこだわる歴史オタクは「江が育児放棄をして、秀勝からの遺品を見てやっと育児を始めるようになった」という描写について「これは史実にあるかどうか」という点ばかりをあらさがしするんでしょうね。「史実」にこだわる歴史屋はドラマをドラマとして観られないんですよ。「時代劇のウソ」を指摘している本は過去も今も多々ありますが、ここの髪型はどうだ、ここの家紋はどうだと「点」ばかりつついて、作品の流れ、脚本家のメッセージを何も受け取っていないのです。「クイズ面白ゼミナール」の「歴史クイズ」のコーナーを思い出しますね。

ちなみに妊娠中絶が合法で「女性の権利」である以上、幼児虐待はなくならないでしょうね。若い親が自分の子供を殺して逮捕される事件が後を絶ちませんが、本人としては出産後に「おろした」間隔でしょう。じゃあ高齢化社会で「尊厳死」を望む人が出たとしても法整備で賛否両論噴出でしょう。満州や沖縄でも大人が生き残るために子供を殺した(殺そうとした、結果として死なせた)ことが結構あります。「大地の子」や「白旗の少女」を見るとわかると思います。

それから大河への批判で「NHKが…」というのがありますが、NHKと民放を区別する基準がわかりません。では江」が民放の時代劇であればあの場面はあっていいのでしょうか?

回答日時:2011/7/20 13:48:40
編集日時:2011/7/20 13:55:57
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江が産んだ最初の子供って、 その後、どんな人生を送ったのですか? 大河ドラマでこの間、産まれた女の子です。

>ドラマ水戸黄門が今年で終了?

2011-07-22 16:25:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

今の里見浩太朗の水戸黄門は、「TBS水戸黄門」の基本パターンを踏まえていて、それは佐野浅夫の時も石坂浩二の時も同じです。石坂浩二の時も全国行脚の設定は変わらず、八兵衛と飛猿と弥七が抜けたといってもお娟を初めとする忍者集団が参加している路線は弥七やお銀の設定を継承したものでしょう。

今の里見浩太朗の水戸黄門の場合、7月18日の第3話「平塚」を見ると、あれはまず、日本の伝統文化である流鏑馬(やぶさめ)の紹介と、それから綱吉の生類憐みの令が必ずしも天下の悪法ではなく、命を大切にすることを人々に勧めた法であるという解釈でした。奇しくも国の命令により、被災地の家畜が殺処分を命じられているご時世で、それも関係あるかも知れません。

しかしそういう製作側の意図を理解する視聴者は極少数になったのかもしれません。

多くの人は夜8時45分(または夕方4時40分~50分手前)の印籠だけが目当てだったり、殺陣が少ないと文句を言ったり、里見浩太朗が助さんのイメージだと不満を言ったり、由美かおるが出ないだけで不満になってしまうとか、女優がお風呂に入らないだけで不満とか、石坂浩二の水戸黄門はイメージに合わないとか、低レベルで表面的な所にこだわっている傾向にあります。

東野英治郎時代から見ている側としては、由美かおるさんは東野英治郎時代のゲストの後に西村黄門時代からレギュラー化した新参者で、雛形さんや2代目三平と変わりありません。

女優のお風呂シーンなんて「最近」水戸黄門でレギュラー化して、これまた「最近」なくなったサービスで、別にどうでもいいものです。

また、今でも見ている熱心な水戸黄門ファンは、水戸老公が全国行脚して毎回印籠という基本設定が同じなら光圀役が東野英治郎だろうが里見浩太朗だろうが熱心に見ているわけで、番組HPに「やめないで」と書きこんでいるのはそういう「忠義」の熱い人たちでしょう。

一方、全く外部の人たちは逆の意味で昔も今も差別なく厳しい見方をしているでしょう。
「水戸黄門」そのものを全く(または余り)見ない人は光圀役が誰であろうが関係なく、本来ほとんど関東地方にとどまっていたはずの光圀が「全国行脚」をするという講談で作られたドラマの設定そのものを一貫して批判しているでしょう。また、TBSのナショナル劇場版で毎回印籠が出るのは前近代的で非民主的であるという意見も知恵袋やニュースコメント等にあります。また地方の問題を中央の権力者が一時的に解決して回る水戸黄門のスタイルは、地方の構造的な改革になっておらず、真の解決ではないという否定的な意見を持っている人もいるようです。

結果、今の里見浩太朗の水戸黄門は、東野英治郎・西村晃時代からのファンからは「あれは水戸黄門じゃない」と言われ、「外部」の人からは「相変わらず昔のままの水戸黄門」という風に映ってしまうわけです。

ドラマや時代劇全体の問題としては里見浩太朗が週刊文春7月28日号で語っていますのでご覧ください。
ただTBSも、第43部のシリーズが始まってから打ち切り決定は出演者に対して失礼でしょう。里見浩太朗も、終わりにするなら第43部が始まる前に「これを最終シリーズとする」と決めてスタートさせてほしかったと言っています。
里見浩太朗は、第43部製作発表の時は時代劇が少なくなっているので頑張って水戸黄門を続けたいというようなコメントをしていたと思います。
今でも里見浩太朗は雑誌の取材で「他局でもスペシャルでもどんな形でもいいから水戸黄門を続けてほしい」と語っています。

本放送はパナソニック提供ですが、アリコとか日立とか茨城県庁などが資金を提供しそうなものですがね。

「水戸黄門」というタイトルであれば主人公は必ずしも光圀である必要はなく、例えば綱條でもいいし斉昭が主人公でもいいわけですし、また光圀が主人公なら少年時代の光圀を主人公にして舞台は水戸と江戸だけでもいいのです。もし大河ドラマで徳川光圀伝をやったら前半はそうなるでしょう。これに対し、頭の固い旧水戸黄門ファンは「そんなの水戸黄門じゃない」と騷ぐでしょうが、その考え自体が作品とともに時代に合わなくなっているのかも知れませんね。

回答日時:2011/7/22 14:48:34
編集日時:2011/7/22 15:02:51