【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

民主くん勇退へ 党職員の「最後の新党」への雇用維持明言せず、新進党の解党の爪痕未だ深し

2016年03月03日 17時54分40秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[写真]民主党代表としての記者会見にのぞむ、岡田克也さん、2016年3月3日(木)、東京・千代田区永田町の民主党本部、筆者・宮崎信行撮影。

 民主党代表の岡田克也さんは、今週発足した新党協議会が移行して平成28年2016年3月27日(日)に結党する「最後の新党」(名称は未定)に関連して、民主党公認キャラクター「民主くん」について、「枝野幸男幹事長は非公認として存続してもらう考えもあるようだ」としながら、「党のマークが変わるので難しい。私はハローワークを紹介して、職業訓練を党(現民主党)として受けさせたい」とし、引退してもらうことを明言しました。

 民主党本部と維新の党本部の職員の雇用に関しては、「それも幹事長のところで(両党の方針について)整理していただく」と語りました。

 筆者・宮崎信行は全員に「最後の新党」の職員になってほしいと考えています。

 自民党本部は定年65歳で、自民党系広告代理店(そのときの自民党幹事長が充て職で社長)がありますが、下野時に「総裁選党員名簿貸出料」などの不明朗な支出を石原幹事長らが整理しました。 

 民主党本部は定年60歳とはいえ、1998年4月の結党以来、二大政党(与党第一党か野党第一党のいずれかの政党)でいるため、徐々に待遇は上がっていました。

 ただ、新進党解党の爪痕は未だ深し。1997年12月の小沢一郎党首による新進党解党により、「エリート職員」が存続政党の自由党に組織・勤務場所とも移行し、それ以外の職員は民主党本部などに転職。ところが、その自由党の党勢がすこぶる低迷し、2003年に、菅直人代表・岡田克也幹事長率いる民主党に逆に吸収合併されたため経緯が複雑になり、現在に至ります。今でも、党本部の党務委員会事務部長を含む幹部級職員は、新規採用時の政党が、日本社会党、経世会、新党さきがけ、社会民主連合、民社党などに分かれており、複雑です。

 小沢一郎氏が何もかもめちゃくちゃにしたので、私は小沢一郎氏ではなく、悪魔一郎氏と呼ぶべきだと考えます。

 岡田克也さんは、民主党の政調会長、幹事長、代表として、採用の透明化、部署の定期的な異動、男女共同参画、分煙などに取り組んできました。

 対する自民党は、65歳定年と恵まれていますが、定年後の天下り先の会社に自民党本部が選挙時の広告宣伝費を払っていたり、総裁選時に各陣営が「党員名簿貸出料」を収めるなど、不明朗な点もありましたが、下野時の谷垣総裁・石原幹事長の下で整理され、政権交代につながった経緯があります。

 私が聞く限り、民主党と維新の党の全員が「最後の新党」の職員になるようです。

 ただ、新党騒ぎには、こういった冬の気配ももたらすことを、新党構想を煽る、一部議員、一部マスコミ、一部国民にはそれをかみしめて、「最後の新党」が発足する、3月27日の春を迎えてほしい。

このエントリーの本文記事は以上です。 



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